見出し画像

9人の天才たちのルーチンワーク/ぶりゃん

メイソン・カリーの『天才たちの日課』から、過去のクリエイティブな人たちがやっていた、日々の習慣を9つピックアップした😚


天才たちのルーチンワーク

世界の偉人たちの日々のルーチンを集めた本。クリエイティブなアウトプットを安定して出すにはどうすればいいかのヒントになる。

この本の中から、9人の天才たちをピックアップして、ルーチンワークを紹介!

1. フランシス・ベーコン

アイルランド生まれの画家。

しかし、伝記作家のマイケル・ペピアットが書いているように、ベーコンは本質的に習慣の奴隷」で、生涯を通じてほとんど変化のないスケジュールに従っていた。それはまず絵を描くことから始まる。夜更かしが続いても、、、、つねに夜明けとともに起き、五、六時間仕事をして、たいてい正午くらいに終える。そのあと午後から夜まで長い飲み騒ぎが続くが、ぐずぐずすることはない。友人を一人アトリエに呼んでいっしょにワインを飲むか、パブに出かけてそこで飲む。そのあとレストランで長い昼食をとって、それから会員制のクラブをはしごしてまた酒を飲む。日が暮れるとレストランで夕食をとり、ナイトクラブをいくつかまわってからカジノへいくこともある。深夜に小さな居酒屋でまた食事をすることも多い。

こういった長い夜の終わりに、ベーコンはしばしば、酔ってふらふらになった連れを、 最後にもう一杯やろうと自宅に誘う。それはどうやら夜ごとの不眠症との闘いを少しでも先延ばしするためだったらしい。眠りにつくためにベーコンは睡眠薬にたより、ベッドに入る前には、リラックスするために古い料理本を繰り返し読んだ。それでも一晩に二、三時間しか眠れない。にもかかわらず、体はいたって健康で丈夫だった。運動はカンバスの前を行ったり来たりするのみで、ベーコンの考える健康によい食生活とは、ニンニク入りのサプリメントを大量にのみ、卵黄とデザートとコーヒーを控えることだった。そのいっぽうで、一日にワイン六本、レストランでの豪華な食事を二回以上という暴飲暴食は続けた。それでも、ベーコンの体は過剰に摂取された食物をうまく処理することができたらしく、頭がぼけることも、ウエストが太くなることもなかった(さすがに晩年は飲みすぎのつけが体に出るようになったが)。たまに二日酔いになったりしても、それをありがたいと考えた。「二日酔いのときに仕事をするのは好きだ」とベーコンはいっている。「そういうときは頭にエネルギーが満ちて、思考が冴えわたる」

メイソン・カリー著、金原瑞人/石田文子訳2014(2013)
『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』
フィルムアート社、pp.23-25

2. モートン・フェルドマン

アメリカ人の作曲家。

作曲のための時間がじゅうぶんにできたとき、フェルドマンはジョン・ケージに教わった方法を採用した。それは「いままで人から教わったなかで、最高の助言だった」とフェルドマンは一九八四年に行なった講演で述べている。「ケージは、少し書くたびに中断して、書いたものをもう一度書き写すといい、といったんだ。なぜかというと、書き写しているあいだはその曲のことを考えているから、また新しいアイデアが浮かんでくるんだよ、と。そこで僕もそのやり方でやるようになった。作曲することと書き写すこと。その関係はすばらしい、ほんとに驚いてしまう」。周囲の環境——よい筆記具やよい椅子など——も大切だ。一九六五年のエッセイで、フェルドマンはこう書いている。「私はときどき、仕事をしやすくするためにどうしたらいいか、具体的にいろいろ考えることに夢中になってしまう。何年ものあいだ、私はこういっていた。すわり心地のいい椅子さえ見つかれば、モーツァルトにも匹敵する音楽家になれるのに、と」

pp.37-38

3. ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ベートーヴェンは夜明けに起きて、ほとんどすぐに仕事を始めた。朝食はコーヒーで、細心の注意を払っていれた——一杯につき、豆六十粒。正確を期すために一粒ずつ数えることもよくあった。それから机について二時か三時ごろまで仕事をしたが、ときどき休憩をとって散歩に出かけた。散歩は作曲の役に立ったという(おそらくそのせいで、ベートーヴェンは、あたたかい時期のほうが多くの曲を作ることができた)。

昼にしっかりと食事をとったあと、さっそうと長い散歩に出かける。日中の残りの時間の多くがその散歩に費やされた。いつも鉛筆を一本と五線紙を二、三枚ポケットに入れて持ち歩き、浮かんできた楽想を書きつける。日が暮れてくると、居酒屋へ寄って新聞を読んだりした。夜は友人と過ごしたり、劇場へ行くこともあったが、冬は家にいて本を読むのを好んだ。夕食はたいてい簡単なもので、スープと昼食の残りなど。食事しながらワインを楽しみ、食後はビールを飲みながらパイプを一服する。夜は音楽の仕事をすることはめったになく、早々に寝る。遅くとも十時にはベッドに入っていた。

pp.40-41

4. セーレン・キルケゴール

デンマーク人の哲学者。

デンマーク人の哲学者キルケゴールの一日は、二つのことで占められていた。執筆と散歩だ。通常、キルケゴールは午前中に執筆し、正午になるとコペンハーゲンをめぐる長い散歩に出かける。散歩から戻るとまた執筆を始め、夜まで書きつづける。最高のアイデアが浮かぶのはいつも散歩中なので、それを一刻も早く書きとめたくて、帽子をかぶったまま、ステッキや傘も置かずに、机の前に立って書きはじめることもあった。

キルケゴールのエネルギーの源はコーヒーだった。いつも、一杯のシェリー酒とともに食事をとったあと、コーヒーを飲んだ。一八四四年から一八五○年までキルケゴールの秘書を務めたイスラエル・レヴィンによると、キルケゴールは「少なくとも五十種類のコーヒーカップをもっていたが、どれも一客ずつしかなかった」。コーヒーを出す前に、その日はどのカップを使えばよいかレヴィンが決めるのだが、おかしなことに、なぜそのカップを選んだかをキルケゴールにきちんと説明させられたという。

p.43

5. アンソニー・トロロープ

イギリスの小説家。

文筆家として生きてきた者——日々、文学的労働に従事している者——ならだれでも、人間が執筆をするのに適した時間は一日せいぜい三時間であるという私の意見に賛同するだろう。しかし、文筆家はその三時間のあいだ、途切れることなく仕事ができるよう、訓練すべきである。つまり、ペンをかじったり、目の前の壁を見つめたりすることなく、自分の考えを表現する言葉が見つかるように、おのれの頭を鍛えなければいけない。当時、私が身につけた習慣は——いまでも私の習慣なのだが、最近は少し自分に甘くなっている——目の前に時計を置いて、十五分間に二百五十語書くことだった。すると、じっさいに二百五十語、時計の進みぐあいと同じくらい規則正しく出てくるようになった。しかしその三時間は、すべてが書くために費やされるわけではない。いつも書きはじめる前に、前日に書いたものを読む。それに三十分かかり、その間、おもに耳を使って単語やフレーズの響きを吟味する・・・・・・このように時間を区切ると、一日に普通の小説本の十ページ以上書くことができ、それを十ヵ月間続けると、一年で三巻シリーズの小説が三作できあがる——まさに出版業界の人間が激務に悲鳴をあげそうな分量だが、それはともかく、世の中の小説の読者も、一人の作家の本をこれ以上読みたいとは思わないだろう。

p.51

6. カール・マルクス

一八五八年には『資本論』を書きはじめてからすでに数年たっていたが、この政治経済学の大著の執筆が、その後も彼の人生の大半を占めることになる。マルクスは一度も定職につかなかった。「私はどんなときも、自分の目的を追求しなければならない。ブルジョワ社会によって、金もうけのための機械に変えられてしまってはならない」一八五九年、 マルクスはそう書いている(じつはこのあと鉄道職員の仕事に応募するのだが、採用されなかった。理由は字が汚くて読めなかったからだ)。定職につくかわりに、マルクスは友人や共同執筆者のフリードリヒ・エンゲルスから定期的に金を送ってもらっていた。エンゲルスはその金を父親の織物会社の金庫からくすねていたが、マルクスは金銭管理能力がなく、せっかくの金をすぐに無駄遣いしてしまった。「金についての本を書いた者で、こんなに金のない者 は、いままでいなかったと思う」と本人も書いている。そのころ、マルクスのできものはひどい状態になっていて「すわることも歩くことも立っていることもできなくなった」とある伝記作家は書いている。結局マルクスは二十年間毎日苦しみながら、やっと『資本論』の第一巻を完成させ、残りの二巻を完成させる前に死んでしまう。しかし、彼が後悔したことはひとつしかなかった。「私は自分の全人生を革命闘争に捧げた」一八六六年、マルクスはある政治活動家の仲間に宛てた手紙で書いている。「そのことを後悔してはいない。その反対だ。もし最初から人生をやりなおしたとしても、私は同じことをするだろう。だが、結婚はしない。自分の娘が母親のような悲惨な目に遭わないよう、力の及ぶかぎり守ってやるつもりだ」

pp.66-67

7. カール・ユング

スイスの心理学者で精神医学者。

一九三〇年代を通じて、ユングは〈ボーリンゲンの塔〉を都会の生活から逃れる隠れ家として使った。都会でのユングは仕事人間で、一日に八、九人の患者を診察し、講演やセミナーを頻繁にこなしていた。そのため、執筆の仕事はすべて休日に行なった(たよって くる患者はたくさんいたが、ユングは休みをとるのをためらわなかった。「疲れて休憩が必要なのに働き続ける者は愚かだと思う」とユングはいっている)。

ポーリンゲンでは朝七時に起き、鍋や釜に向かっておはようとあいさつする。それから、伝記作家のロナルド・ヘイマンによると、「長い時間をかけて朝食の準備をした。朝食はたいていコーヒーとサラミソーセージと果物、バターを塗ったパンだった」。普通は午前中の二時間、集中して執筆した。残りの時間は絵を描いたり、書斎で瞑想にふけったり、丘へ散歩に出かけたり、来客に対応したり、毎日ひっきりなしに届く手紙に返事を書いたりする。二時か三時になると、お茶を飲み、夕方には楽しみながらたくさんの料理を作る。夕食前に食前酒をとることが多く、それを”夕暮れの一杯”と呼んだ。床につくのは午後十時。「ボーリンゲンでは、ほんとうの人生を生きている。とても深いところで自分自身になれるのだ」とユングは書いている。「電気のない生活のなかで、暖炉やコンロの火を絶やさないよう気をつける。日が暮れると古いランプに火を入れる。水道はなく、井戸からポンプで木をくむ。薪を割り、食事を作る。こういった単純な行為が、人間を単純にする。だが、単純であることが、いかに難しいか!」

pp.70-71

8. ヘンリー・ミラー

アメリカの作家ミラーは若かったころ、真夜中から夜明けまでの時間に小説を書いていた——ところがやがて自分は朝型人間だと気づく。そこで、一九三〇年代にパリに住んでいたときに執筆の時間帯を変えた。朝食から昼食まで書いて昼寝をし、それからまた日が暮れるまで、ときには夜が更けても書きつづける。しかし歳をとるにつれて、午後の仕事は必要ないし、しないほうがいいと思うようになってきた。ミラーはあるインタビュアー にこう語っている。「もっているものをぜんぶ吐き出してしまうのはよくないだろ?まだ書きたいことが残っているうちにタイプライターの前から離れるほうがいいんだ」。ミラーには、午前中の二、三時間でじゅうぶんだった。しかし、決まったスケジュールを守ることが毎日の創造的なリズムを作るためには重要だと強調した。「優れた洞察力が働く瞬間瞬間を維持するには、厳しく自己管理をして、規律ある生活を送らなければならない」

pp.85-86

9. トニ・モリソン

アメリカの作家。

モリソンの執筆時間は年代によって変わった。一九七〇年代から八〇年代のインタビューでは、夜に小説を書くと答えているが、九〇年代に入ると早朝になった。「日が暮れるとあまり頭がまわらなくて、いいアイデアも思いつかない」からだという。執筆のために、だいたい五時ごろに起き、コーヒーを作って「日の光が差してくるのをながめる」のが毎日の儀式となった。この「日光をながめる」という部分がとくに大切だった。「作家はみな工夫して、自分がつながりたい場所へ近づこうとする。自分がメッセンジャーになれる場所、執筆という神秘的なプロセスにたずさわることができる場所に。私の場合、太陽の光がそのプロセスの開始のシグナルなの。その光のなかにいることじゃなくて、光が届く前にそこにいること。それでスイッチが入るの。ある意味でね」

p.100

この本を読んで思ったのは、朝早く起きて、午前中仕事をし、その後散歩をして、午後は読書や映画、来客対応などをやるのが共通してるのかな、ということ😲

早起きがんばろ…🌞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?