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喫茶店百景-ジャズ・トロンボーン-

 最初の店は私が生まれる前から始めていて、Sという町にあった。子どもたちの成長過程で母が仕切る時期があり、両親が夫婦関係を解消したあとは父がひとりでやりくりした。
 S町もずいぶん様子が変わり、多くのチェーン店にお客を取られ喫茶店もすたれてきた。S町のその場所に見切りをつけた父は、ちょうど話があったらしくMという町の居ぬきの店に場所を移した。一度外に出てから長崎に戻ってきていた私は、M町の店にもちょくちょく出入りするようになった。厨房も客席もなかなかの面積をもったこの店では、ときどき父の知り合いを招いてライブをやったりもした。
 数年後、ここの建物のある土地があるところに買い取られることになり、立ち退きとなった。広い店を維持する経済も体力も不足しつつあったため、父は小さな店を探し、そこが最後の場所となった。Nという町だった。

 最後の店での話。

 今から5年前に、デザインソフトのレッスンを受講したことがあって、そこで知り合いになったKBさんという方は、トロンボーン吹きだった。とても博識で多才で、頭の回転が速く、ユーモアをたっぷり持ち合わせた人で、好感を持った。休憩時間の話が弾む中で、父が喫茶店をやっていることを話しすと、そのことに興味を持ってくれたらしく、しばらく経ったある日父の店を訪問してくれたそうだった。
 父はこのとき70歳に近く、けっこう落ちぶれて店全体の質は上等とは言えなかったので、私はその辺りに不安を感じていたが、KBさんは父とは主にジャズの話で気が合ったみたいで、良い店(父)だと言ってくれた。心がひろいなとおもった。

 KBさんはとても忙しい人だ。その多忙な生活の中、時間を見つけては店に足を運んでくれ、知り合ってから店じまいをするまでに、2度彼らの演奏を聴かせる機会をつくってくれた。こういうことが好きな父はとてもうれしそうだった。
 その2度目というのが2年前の6月のはじめで、狭い店に20人ほどが集まり、KBさんとギターのYM氏、ヴォーカルにAR氏と豪華な面々でのライブがおこなわれた。なまの音というのに圧倒された、素晴らしい夜だった。

 KBさんたちはこの後別の場所で続けてライブがあったため、片づけとひと通りの挨拶で別れた。父と私は残ってまず店を片づけ、父はライブにも来てくれた友人のIW氏とふたりで次の会場に聴きに(飲みに)行ったのだった。

 後日、KBさんにお礼のメールをすると、ていねいな返信をくれた。KBさんはこんなふうに言ってくれた。

——他の方からの感想のメールを頂いて嬉しかったですが、何よりマスターが喜んでくださったことが良かったです。僕はあんな笑顔のマスターを初めて見ました。

 私はこのひと言が忘れられない。今でもメールを見ると目頭があつくなってしまうのはどうしてだろうか。
 父は(何度か書いてしまっているけれど)けっこうろくでもないから、そんな風に好いてくれる人や、父を大切におもってくれる人がいるというのに心を動かされるのだとおもう。

 KBさんは店を閉めるときに、とても残念がってくれて、閉店の前にも忙しい中に足を運んでくれたりした。ときどき、お互いに思い出したようにメッセージを送り合うのだけど、最後はいつかといえば今年の1月だった。

 そろそろKBさんにメッセージをしたいと考えている。

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