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喫茶店百景-Another Girlの思い出-

 近くでクリニックをやっていて、休憩に来てくれていたKH氏はミュージックバーをもっていると父から聞いた。KH氏は陽気でよく喋る。あまりおしゃべりな男性は好まない方なんだけど、この人はからっとしているからか平気だった。

 私のことを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。
 お客さんの多くは緑紗ちゃんと呼ぶ人が多く、少数派として緑紗さんや緑紗くんなんて呼び方もあった。他には(父を挟んで)娘さんだったりした。

 KH氏と顔見知りになった時点で30を超えていたから、他の親しいお客さんからは「お嬢ちゃん(って年)じゃなかやろう」と言われたりもした。そうか、世間的にはとっくにお嬢ちゃんじゃないんだなと、姿勢を正す。
(※長崎弁はときどきつっけんどんだったり、言葉尻から怒っている風に聞こえることがあるらしいけれど、普通の会話です)

 父は気まぐれにCDなどを私にまわしてくれることがあった。自分は店でも自宅でもレコードを流しているので、店で流している曲に私が興味を示したりすると、CDを探して「持っていって聴けば」と渡される。
 いつだったか私の方から願い出たんだか、ビートルズのCDをいっぺんに借りたこともあった。ある日車の中で流しながら、その中の1曲が気に入って、父に会ったときにそれを伝えた。

——「ヘルプ!」の5曲め良かね。

 前に書いたように、曲名が覚えられないからこんな風に言ったとおもう。父は「Another Girlが好きとか。へぇ~」とすぐにどの曲か理解し、その名まえを言って「ヘルプ!」のレコードを取り出しターンテーブルにのせて流し始めた。

 数日後、店に入るとKH氏がいた。目が合うなり「お嬢ちゃん、Another Girlが好きとって? センスの良かね~」と言われた。センスがいい! 何をもってセンスがいい、なのかわからなかったが、つまり好みが合うということだろうとおもい、なんだか嬉しくなった。
 KH氏は歌詞が特にいいんだと言った。私は情けないことに歌詞ぬきで気に入っていたため、愛想笑いでかわしつつ、頷くばかり。

店 (4)

 それであとからこそっと歌詞の和約を調べてみた。なるほど、あまり女性に好まれそうな歌詞ではないかな。どうだろう。若いひとの恋愛という感じがして、その「新しい彼女」のことをあれこれ想像してしまう。

 KH氏は頭がいいのだ。回転がすごく早く、話題についていけないことなどしょっちゅうあった。サッカーをはじめスポーツ方面、将棋や競馬、もちろん音楽方面も、とにかく知識豊富なのだ。
 音楽についてはもともとはロックが好きで、自身の店でかけるものもロックばかりだったのが、父のところに通うようになりジャズに興味を持ったと聞いている。そしてまたジャズの知識を次々にその脳みそに収めていった(私なんかよりよっぽどミュージシャンや曲名などを知っている)。

 それから、日常的な飲み物は紅茶寄りだったらしい。コーヒーはどこで飲んでも代わり映えなく、英国人を気どって紅茶を選んでいた(本人談)。父の店でコーヒーを飲むようになって、おいしいとおもうようになったとは父の言い分なので本人に確認したわけではないが、コーヒーもよく飲んでくれていた。KH氏はいつも、デミタスカップ(エスプレッソを飲む小さなカップ)に注いでくれと言った。「イタリア人のごたろ(イタリア人みたいでしょう)」と言って笑っていた。

 海外ドラマの中で使われている、アメリカの古いロックやポップミュージックからイイナとおもった曲を探すときは、まず父に音源を持っているか尋ね、持っていれば貸してもらう。そういったやりとりを傍で聞いていたKH氏が、ある時1枚のCDを持って店に来た。ギルモアガールズの中で観た(聴いた)、バングルスのアルバムを私に持ってきてくれたのだった。
 別の日には満面の笑みで分厚いCDケースを手に店に来た。聞くとどこで手に入れたのか、アメリカの年代別ポップロックミュージックが収められた18枚組のCDアルバムで、しかもこれもまた分厚いブックレットのコピーと一緒に貸してくれた。ブックレットには曲の情報はもちろん、その時代の背景なども書いてあって興味深いから、とのことだった。

 いつも陽気で(つまりへらへらしていて)おしゃべりで、知識豊富なものだから、人によっては煙たがられるKH氏だったが、私は一緒になると嬉しかった。聞いたこともないような話を聞けるし、知らなかったことも知ることができる。いつも明るいのでこちらまで気分が良くなる。自分では、葬式でも見舞いでもその場に合った振る舞いができないと言って笑っていた。困っているふうではなかった。

 ビートルズの曲、Another GirlとKH氏のエピソードを絡めて書いてみた。

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