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元興寺でふくらんだ月と合う

 奈良県を訪ねたことは書いた。
 さいきん、マップカメラのフォトシェアリングのページをずいぶんと放ったらかしにしていたので、何枚かアップした。もっと撮ったのだけど何枚かだけ追加しています(宣伝)。

モミジ

 奈良では、仕事の用事でたくさんの寺院といくつかの神社を訪ねた。あちこちで大小さまざまの仏像を見たんだけど、どうもわくわくしない。個人的な好みとして、やはり神社の境内などのほうがなんとなく心地がよい。
 この旅と前後して、フランシスコ・ザビエルまわりの書籍をいくつか読んでいて、そこには当時仏教を主たる宗教としていた日本人に対し「悪魔を拝む異教徒を救わなければ」などといった思いを抱えたザビエルの姿をいくつも見た。その影響もあったかもしれない(じょうだんです)。
 でも、自分がどこか神社のほうをより好むあたり、こういった「かたち」を拝むことにあまり意味を見出せないからなのかもしれないな、とはおもった。

禅室のむこうの瓦が夕日色に染まっている

 もう一年分の仏像を見た、そんな気分になった2日目の最後の訪問地として、元興寺を訪ねた。ここは、実は(っていうか)訪問の候補地としてはかなり下位にあった。時間が足りなかった場合には外そうとおもっていたところで、でも予想に反してわりと時間的な余裕があったため、せっかくだから行っておこうと足を向けた。時間は16時前で、奈良はもう薄暗い日暮れになっていた。
 門に向かう道が大きくとられているわけではなく、何か、路地というか建物のわきを進んで行くというような、ちょっと珍しい道筋で目的の寺に向かった。拝観券売り場で御朱印おばさんがもたもたしているのに対し心の中で舌打ちをしながらじっと待った。拝観券を購入し中に入った。

草履が脱いであった

 まっすぐ本堂(極楽堂)に向かい、靴を脱いで中に上がる。境内に足を踏み入れたときからなんとなく感じがよかったが、お堂の中はもっとよかった。これまで訪ねたどの寺院よりも空気がよく、好ましかった。それがどういう理由によるのかはうまく説明できないけれど。
 私は仏教にも寺院にも明るくないのだけれど、ここはもとは華厳経を講じた寺院だったようで、華厳宗というと浮かぶのは河合隼雄さんと明恵上人である(私にとっては)。華厳経というのをもちろん読んだことはないけれど、途中でいくつもの神(菩薩、如来、神衆)の名が並ぶ箇所があって、このところを唱えているうちにぼーっとなってしまうとか、そういう記述を読んだことがあった。なるほど、華厳というのは世尊の口から、またひとつ一つの歯の間から無数の光を放ち、それに照らされた菩薩衆はそこに蓮華蔵世界を見た、というのだから、華厳経を唱えているうと知らぬ間に宇宙の真ん中に放り出されたような、無数のまぶしい光の中にいるような、そんな気分になるのかもしれない。

かえる石

 とにかくここはよかった。来てよかった! と、そんな気もちで胸がいっぱいになった。境内には悪鬼みたいなのが寝そべっていたり、太閤秀吉が河内の川縁で見つけ気に入って大坂城内に移し、色々あって(雑だ)昭和33年にここにご縁ができたといわれる「かえる石」なんかもあった。本堂を出て奥に進み、振り返ると、満月を控えた大きな月が見えた。

こちらを見ている

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 次の日は大阪に行き、何をして過ごそうかと考えていて、ふと目にした四天王寺に行ってみる気になった。そんな気もちになったのは、地図を眺めていて四天王寺の文字をみたとき、ここは河合隼雄さんがカウンセリング講座をしていた場所だというのを思いだしたからだった。このお寺の別称のひとつと、四天王寺七宮のうちのひとつに縁を感じたというところもあった。
 講堂で講座がひらかれたんだろうか、そんなことをおもいながら、ゆっくりと見て回り、その後七宮のひとつにも歩いていき、お詣りをした。

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 そのうちに別で書くつもりでいるけれど、春日大社でも明恵上人に関係のあるらしい場所に出合った。それと他にも書きたいことがあって、だけどまだ全くまとめられずにいる。
 今日はとにかく、元興寺がよかったというのを書きたかった。

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今日の「暮らし」:ベッドのシーツ類を新調したい。家電もちょっと入れ替えたい。暮らすのって、もの要りですね。

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