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知らない町を歩こう

 数週間前に行った久留米市のことを書いておく。

 3年半だかそのくらいぶりの久留米市内だった。もともとが方向音痴なうえに色んなことをすぐに忘れてしまうため、町並みや地図をきちんと覚えてはいない。今回はちょっとしたことの同行、付いていった立場だったのだけれど、お昼をごちそうになり(ごちそうさまでした)、その後自由時間をもらったため以前訪ねたあの店に向かう。

 Googleで店の場所を確かめながら(とても便利ですよね)、歩いていく。午後のまだお昼に近い時間だったし、人気店なのでどうかなとおもいつつ店内に入ると、空席があって案内してもらった。すごく久しぶりにお会いするし、マスク姿というのもあって私の顔がわかるはずはない。名前を言ってあいさつをし、席についた。先の店でコーヒーはもう飲んでいたので、カプチーノを注文した。

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シナモンスティックを見たのは久しぶり

 ランチのお客さんが半数以上あったため、厨房は忙しそうだった。私の注文が運ばれてくるまでは、おばちゃんが手をとめて相手をしてくれたので父の近況などを話す。カプチーノを飲みつつゆっくりさせてもらったけれど、お客さんが途切れないしあまり長居をするのはいけない。会計とあいさつを済ませて外に出た。

 店の近所から、少し離れた目的地(待合せの場所)までゆっくり歩いた。8年前に父と歩いたのはどのあたりだったっけ。むたさんの以前のお店の場所や、かつてあった那珈乃なかのの場所も探したけれど、よくわからなかった。
 シャッターが下りている場所も多いアーケードの中は、古い店が並び、ごちゃごちゃっとした路地がのびている。目についた看板などを写真に撮ったりしながらゆっくり歩いた。

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以前は雑貨店かなにかだったんだろうか(かわいい色)

 この町には誰も、私を知る人がいない。そういうのってなんだか気もちが落ち着くようなところがある。ずっと前、10代で家を出て故郷から離れた場所に移り住んだときは、親も友だちもいない環境というのがすごく不安だった。そういう経験を若い頃に2度ほどしたけれど、その場所に慣れるまで、しばらく気もちがふさいでいたように記憶している。そのころの私と今の私は連続しているのに、こうも感じ方が違うのかとびっくりする。

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 壁も看板も薄汚れていていい(失礼)。流れた時間というものを感じさせるたたずまいだなどとおもう。

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 あまり歩いている人もいないし、気兼ねなく写真を撮りながら歩いた。看板を逆さまに付けるのって、どういうセンスなんだろうか。よくわからない。

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 唐突で驚かれるだろうけれど、干し柿の話。私は干し柿が好きで、行きつけの果物屋さんで地元産(島原とか)の干し柿を買うか、人の手づくりみたいなのを貰ったりして食べている(安曇野の友人のは絶品だった)。それで、ある人が市田柿がおいしいと言っていて、その干し柿はスーパーマーケットなんかでよく見かける商品だった。その人がおいしいというなら買ってみようとおもっていたら、この写真の果物屋に売っていた。思わず購入しそうになったのだけれど、待合せ場所に干し柿を手にしていくのもばかみたいだなとおもってやめた。っていう、どうでもいい話。

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 ちょっと足をのばして出かけるといっても、ふつうはこういう場所には来ない。でも私はこんなふうに人の生活が感じられるような場所というのも好きだから、いい時間を過ごさせてもらったなとおもう。観光といったってなにも風光明媚ばかりではない。

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これがその市田の柿である

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