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笑いのちから

 たいせつな人が笑っている姿というのにはしあわせが詰まっている。

 数年前に、宮崎のみんなと他愛もないことで笑い転げていて、そのときにふっといくつかのことをおもった。あれ、わたし、以前はこんなふうによく笑い転げていたな。でもしばらくの間、笑うことを失っていた気がする。どうして笑っていなかったんだっけ。

 小学生、中学生のころは学校が好きじゃなかったこともあって、そんなに笑っていた記憶はないけれど、家族の間なんかではよくテレビ番組を見ては笑っていたとおもう。高校生のころは友だちも増えて、それこそ箸がころがるだけでといったかんじで、もう膝から崩れ落ちるくらい笑っていた記憶がある。働くようになってからも、若いころというのは何かというと笑って過ごしていた。笑っていなかった数年間を思い出してみると、まあ人生においてけっこうしんどいことが多かった時期だった。それでもそこからまた色んな人に、色んな存在にたすけられて、またこうして笑えるようになってしあわせだな、とおもった。

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 北山耕平さんを知ったのは、友人の読書レビューからだった。ネイティブ・アメリカンといえばこの方、という感じでいくつかの著書を読み、ブログに足を運んだ。"笑うことで世界をひっくり返す知恵の書"と謳うこの本には、ネイティブ・アメリカン・ジョークがはじめから終りまでぎっしりと詰まっている。自分たちが置かれた現実のなかで、笑いというものがどのように作用するのかをよく教えてくれる本である。

 日本でも、昔話などの中で笑いがもたらす"開け"に通じるなど、笑いに関するモチーフはいくつかあるようだ。笑いには緊張をほぐしたり、免疫力を高めたりといった心身の健康への影響も大きいと聞く。笑うことは生きるうえでとてもだいじなことなのだとおもう。

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 このごろなんか、毎日のように笑っている気がする。特に昨年の末ごろから今にかけて、日頃付き合う人にちょっとした変化があった。ちょっとした変化なのだけれど、それは比重としては大きくて、だから毎日の生活にたくさんの笑いがあるというのが、こんなにも景色を変える力を持っているということに驚きもする。最近の友人とのウォーキングでもよく笑っていて、これは足腰というより腹筋に効いているのじゃないかとおもうくらいだし、親しい人との会話やメッセージのやりとりでもすごくよく笑うようになった。ひとりでいても思い出してにこにこすることも多い(ただの変な人だ)。
 しばらく笑いを失っていたことは不幸だったけれど、こうやってまた笑える自分に戻れて、そして一緒に笑える仲間がいるというのがとてもうれしい。

 そして、また、その人たちが笑ってくれるのを見ると、なんともしあわせな気もちになるのだった。


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