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書評:又吉直樹著『夜を乗り越える』

19歳大学生です。

普段はインスタグラムで読了後の本の写真に簡単な感想を添えて記録しているのですが、noteというツールを知り、挑戦してみます。
長続きしない性なので、刹那的な試みだと思ってくださって構いません。

この本は現在僕が通っている大学の付属図書館を、特に目当ての本もなく彷徨っているときに、偶然見つけました。
そういえば『火花』も読んでいないし、芸人さんが書く本も若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』以来読んでいないな、と。あれは面白かった。
そうして手に取った次第です。

この本は読書家として知られる芸人、又吉直樹さんが「なぜ本を読むのか」という問いに正面から真摯に向き合った本です。

はしがきにもあるように、すでに読書が好きだという人ではなく、本を読む理由がわからない人、興味はあるけど気が進まない人の背中を押す本となっています。
僕はどちらかといえば読書好きの部類ですが、この本は発見だらけで、勝手に自身の青い読書観を揺さぶられているところです。

僕が想像していた又吉さんは、常に温厚で、深く自分の世界に没入して、人に何を言われようが関係ない、そんな人でした。
しかし、その想像は大きく裏切られた。
この本を読んだ限り、幼少期には(不本意ながら)ケンカばかり、芸人になってからも多くの人に心の中で噛み付く、激しい熱を孕んだ人でした。


なぜ本を読むのか

この本の最大のテーマであるこの問いに対する解答として、僕がもっとも明瞭の述べられていると感じたのは、以下の箇所です。

よく、スタイルで、教養主義的なものとして読書を始めるということも聞きます。でも僕の場合、自分が相当なアホであるという自覚はありましたし、お笑いや音楽やファッションと同時期に刺激的でおもしろいものとして近代文学と出会えたので、教養主義的な読書にはなりようがありませんでした。文学が、ファッションと共にお洒落なものとして扱われることを嫌悪する変な潔癖さも持たなくて済みました。近代文学はお笑いやファッションと同じように刺激的で僕をドキドキさせてくれるものでした。(本文より)

結局「面白いから」なんですよね。

この本でも一貫して述べられているように、読書は知的な人のための娯楽ではない。
僕もなぜか、「読書は知的で、高尚なこと」という観念を持っていたかもしれません。
でも実際には、音楽にハマる、ファッションにハマる、読書にハマる、これらは本質としては何ら変わりない。
だから「読書はいいぞ、絶対にやっておけ。」なんて誰も強制できるはずないんです。
面白いと思ったならやればいいし、そうでないならやらなければいい。

矛盾するようですが、同時に僕にとって読書は、人生を全うするうえで必要不可欠なものだとも思いました。
なぜなら読書は命綱になりうるからです。
その理由はすぐ先で述べます。


読書の役割とは

本書の言葉を借りれば、読書の役割は2つに分類できます。

それは「感覚の確認-共感」「感覚の発見」です。

まずは前者から。
普段から何となく感じている、もやもやとした気持ち。
自分では表現できないけどいつも心に引っかかっている何か。
この何かが、ある本の中で明確な言葉で描写されていることがあるんですね。
それを見つけた時に浮かぶ、「これだったのか!」という気持ち。
これが「感覚の確認-共感」でしょう。

僕が思う、命綱の機能はここにあります。

自分の感覚は他者とズレているんじゃないか、自分が間違っているんじゃないか、こんなことを考えてるのは自分だけではないのか。
そんなことを考えて苦しくなることは誰にでもあるのではないでしょうか。

そうやって鬱屈としているときに、自分と似た登場人物のいる本に出会う。
「ああ、俺だけじゃなかったんだな」と思って、救われる。

又吉さんは『人間失格』の大庭葉蔵などに自身を重ね合わせたそうです。
そのように、自分と同じことを考える人間はいるもんだという「感覚の確認」ができれば、太宰治が乗り越えられなかった「あの夜」が来た時に、それを乗り越える力となるかもしれません。


次に後者、「感覚の発見」です。

本を読めば読むほど、新たな視点が見つかります。
僕は幸いにして人を殺したことがないので、人殺しの気持ちはわかりません。
同じように、不倫をする人の気持ちも、自殺する人の気持ちもわからない。

しかし自分が経験したことのないことに至る過程や心情を知る手段として読書は有効です。

悩むことは大切です。正解、不正解だけではなく、どうしようもない状況というのが存在することを知って欲しい。世界は白と黒の二色ではなくグラデーションです。二択ではありません。二次元ですらありません。それを表現するために言葉があり、文学があります。(本文より)

世界のありようを知るには人生は短すぎるし、個人の頭には限界があります。
それでも必死で多様な視点をかき集め、真実に近いものを導き出したい。
そんな人にとって読書は強力なサポートとなりうるのではないでしょうか。


これって書評?

タイトルに偉そうに「書評」なんて書いてしまいましたが、これが書評の体裁を保てているのか、自分では判断がつきません。
書評というよりかは、学生の読書感想文というほうが正確でしょう。

まあ、それでもいいんじゃないかと思います。
優れた物書きの作品はこの世にあふれていますが、19歳の大学生が書いた読書感想文を読む機会はそんなにないでしょう。
これも「感覚の発見」の一環ってことで、勘弁してください。

自分としては、この本のテーマに沿って、本を読まない人にも読みやすい表現でポップにまとめたつもりではあります。
誰かが重い腰を上げる一助となれば幸いです。


それにしても、noteは便利ですね。
リンクも簡単に貼れるし、視覚効果も使いやすい。
これからも、考えをまとめるツールとして活用していこうと思います。

とにかく、文章はガチャガチャ、構成もろくに考えていないこの記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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