見出し画像

『恋人たちの予感』(1986,監督:ロブ・ライナー)

※※※ネタバレ含む※※※

〜解説〜
初対面で最悪の印象を互いに持った二人が、“男女の間に友情は成立するか”という命題に苦悩しつつ、11年の後に結ばれるコメディ・タッチのラブ・ストーリー。散文詩的な作りの中で魅力をフルに発揮した主演二人(特にM・ライアンはポスト・ゴールディ・ホーンとでも言うべきキュートさ)とNYの色々な顔を美しく捉えたバリー・ソネンフェルドの撮影が素晴らしい。(引用:Yahoo!映画より)
「サンドイッチの注文に1時間半、でも君が好きだ。僕を見る時のここのしわ、僕の服にしみつく君の香水の香り、1日の最後におしゃべりをしたいのは君だ」

ラストシーンでハリー(ビリー・クリスタル)のプロポーズのセリフ。カッコつけすぎなくて、狙いに言っている感じもしない。そして、何よりヒロインであるサリー(メグ・ライアン)のありのままの姿を見ていることが分かりやすく、まっすぐに伝わる言葉ですごく素敵だった。

ダメなところって何だろう?

恋愛や結婚について本作は、

パートナーのダメ(欠点)を愛せるかどうか

を重要な点として掲げていたような気がする。婚活サイトなどにありふれていそうな文言だが、これを面白おかしくも、最後まで追求し続けたので、僕はハリーとサリーの二人がすごく愛おしく見えたのだろう。

振り返ってみれば、二人は出会った時からお互いの良い面よりも悪い面を見せあっていた。特に「ソースは横添えで」をはじめとした、サリーの細かい性格は目立っていた。

(ちなみに、ハリーは何となく欠点だらけなのは分かるんだが、「これ」と言及できないのは僕が男性だからなのか?)

しかし、冒頭で掲載したように、ハリーは最終的にサリーの「ダメ」な部分すらも愛していると伝えて、2人はめでたく結ばれるのだ。まだ、大学生。人生経験の少ない僕には分からないが、結婚するなら欠点を笑い合えるパートナーと結ばれたいと強く思った。

ただ、自分の欠点って何だろう?

頭を抱えてしまった。

それは決して、「僕には欠点なんてないじゃないか!」なんていうナルシスト的な発想ではなく、自分では欠点なんてわからないんじゃないかという気づきだった。

サリーを例にとっても、僕が先に挙げた点を欠点と認識している描写は一つもなかった。でも、ハリーと少なくとも僕にとっては「ダメ」なように思えた。

きっと「ダメ」な部分は関係性から生じるものなのかもしれない。サリーの相手がひどく神経質で几帳面な男だったら、きっとサリーの性格は長所になるはずだ。逆に、サリーのそれ以外の側面がダメに思えてくるはずだ。それは性格かもしれないし、容姿かもしれない。

もちろん、誰から見てもダメな部分は間違いなくある(倫理的に反することとか)。でも、きっとそうじゃないのがほとんどだ。もしかしたら関係性を育むうえで重要なのは、自分のダメな部分を改善することだけではなく、ダメな部分を受け入れてくれる相手を見つけることでもあるのかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?