童貞は結局、救われるらしい~『スクリーム』(1996)感想 2021/8/10の日記
・怒涛のストレスラッシュを見舞い、何もやる気が起きない毎日の中でも、文章を書くことと、小説、漫画、映画をぼんやりと見ることはできる。それが救いだった。
・Popeyeのホラー映画特集をインスタで見つけた。僕は臆病者なのでホラー映画の類は真昼間にしか見ない。午前10時、まだ爽やかな風が網戸を通して入ってくる時間帯に、ホラーの傑作『スクリーム』を観た。
~あらすじ~
カリフォルニア州ウッズボローにある民家で事件は起こる。ホラー映画を観ようとしていた高校生ケイシー(ドリュー・バリモア)に知らぬ男から一本の電話が。電話主によってケイシー宅で椅子に縛られていた彼氏も惨殺され、ケイシーも揉みあいの末、滅多刺しにされて亡くなった。
その犯人はムンクの「叫び」を模したマスクを被った男。彼の魔の手が、ケイシーと同じ高校に通い、1年前に母を惨殺されたシドニー(ネーヴ・キャンベル)にも迫る。数日後、彼女にも不審な電話がかかり、マスク姿の殺人鬼に襲われるが、恋人・ビリー(スキート・ウールリッチ)や、友人・テイタム(ローズ・マッゴーワン)たちの助けにより何とか難を逃れる。
しかし、休校中に生徒たちによって開かれたパーティーでさらなる悲劇が起こるのだった。
「メタホラー」として名高い。個人的には時期尚早だったか?
本作の魅力は、登場人物たちがホラー映画の中でホラー映画を論じるというメタ構造にある。物語自体は、ホラー映画にある狂気的な連続殺人、次は誰がその被害に遭うのかをハラハラする展開。そのなかで、登場人物の高校生たちは、ホラー映画のような世界にいる自分達に陶酔し、「ホラー映画の中で助かる人物の共通項」について話したりする。
それは犯人も同様であり、恐れの表象であるムンクの「叫び」を仮面として利用するのは、「ホラーファンである自分自身が、自分自身の映画を楽しまなければならない」(戸田山2016,p.71)と考えているからだという戸田山の指摘は、なるほどと思った。まさに、作中で犯人は、自分達でホラー映画を作っており、そしてそれを観客に伝えられている喜びに震えていたのだ。メタ的な構造である。
○参考
だからこそ、もう少し多くのホラー映画を観た後に、観るべき作品なのかもしれない。例えば、仮面についても戸田山は他の作品が無表情の仮面を被ることとの比較のなかで論を展開している。また、具体的に他のホラー映画のパロディも使用されているようだ。
サスペンス性もホラー要素も素晴らしかった
それでも、作中に描かれる犯人捜しのサスペンス性や、ホラー要素も素晴らしかった。
冒頭のケイシーにかかってくる不審な電話。迫りくる見えないけど、聞こえる恐怖の演出はとても恐ろしいし一気に引き込まれる。また、最後のどんでん返しのシーンは痛快で、どこかコメディ要素も感じた。
何と言っても、童貞は最後は救われるのだ…!
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