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夏目漱石『それから』を読んで 2021/9/29の日記

 夏目漱石の『それから』を読み終えた。

 なかなか読破するのに時間がかかったけれど、代助が三千代に対する恋心を思い出してからは、2人の間にある複雑な関係性がほぐれていくようで、さらに絡んでいってしまう。そんな描写がとても面白かった。

雨は夕方やんで、夜に入ったら、雲がしきりに飛んだ。その中洗った様な月が出た。p.286

 ぼくの印象に残った個所は、代助が三千代に恋心を話すシーン。

 代助と三千代の間に張り巡らされた緊張感、そしてお互いの思いを確認した後に覚悟を決める2人の運命が全く予想できなくて、読んでいる最中、まるで真っ暗闇のなかに入っていくような感覚を覚えた。

 ただ、その一方で代助は三千代を平岡の家まで送ったのち、上記の一文が描かれる。代助は縁側から雨上がりの月を見るのだ。それはぼくが感じた「闇」とは対照的な「光」のメタファーのように。

 どうして、代助はこれほど晴れやかに月を見られたのだろうか。

 そう考えずにいられなかった。2人の複雑な関係性が描かれた後のこの一文に、ぼくは違和感を覚えたのだ。

 三千代に対する恋心に限らず、代助は終始なにかに囚われ続けているように見えた。無職で親の金でぶらぶらと文化人を気取る彼は、一見自由に見えて、本質的にはそうではなかった。

 そんな彼にとって、三千代に思いを打ち明けることは、社会に対する自己の諦めだったのではないか。三千代との話で「漂泊」という言葉があったように、他人の妻を奪うという社会的な罪を犯すことで社会から葬られる。それは代助にとっては清々しさをもたらす。まさに「光」だったのではないか。

 踏み込んで考えすぎた気がするけれど、ぼくは代助と三千代の話のあとに来るこの美しい一文が、とても好きだった。

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