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「Vulnerableな順番=傷つけられやすい順番=アウトリーチする順番」で「LTBG」って並べたんだよ。AIDSや薬物AddictionはVulnerableな人々が惨禍に置かれる病気だしね。(2004国際エイズ会議バンコックのレインボーパレードで32才が26才から学んだこと)・改題

つまらない経験を100回するより素晴らしい経験を生涯1回でもする方がやはり人生は豊かになるモノだと思う。自分にとって目から鱗の経験をさせてもらえたのが「国際エイズ会議」への参加だった。
IAS参加は一回しかないわけだが、やはり「世界」を目の当たりにした衝撃は自分の生涯でとても大事な経験だったと思っているから、何度も同じような話題が出てきてしまうものだが、どうしてか、日本のコミュニティは同じ方向を向いている人たちの中でもとても窮屈な考え方しかできなくなりがちなのだ。緩やかに繋がりあう、尊重する、というのは違う考えの人たちであっても自分の側に誘導したり教唆しようとしないことでもある。
たとえば、タイのHIV/AIDSの関連団体は2004年当時700を越えていた。それらを電話相談やサポートグループの紹介をメインに据えたドロップインセンターや、予防啓発のグッズやメッセージを送るコミュニティベースのサークル、無料検査を進める団体、緊急避妊薬やコンドームを配る活動、ゲイのためのサークル、レズビアンの為のサークル、トランスの為のサークル、それらもグイグイリードしてくれるタイプの集まりからシェルターに囲ってくれる集まり、司法の支援をしてくれるところ、治療継続のための支援からなにから・・・これらの特徴特色を案内するコンシェルジュ活動・・・全部が反目や対立をすることなく緩やかに繋がりあっている、という。マッチングができるまで何度でも相談に行って良いことになっているし「合わない」ということには執着せず次の団体との出会いを応援する。そんなシンプルな事が日本あたりにいるととっても不自由きわまりないのだ。相談を受けた人たちは急に新宗教の布教活動のようにアソコの団体はこうだ、ウチはこうだ、と売り込みはじめ大概の場合どこかにジャッジが入る。逆に当事者尊重の立場で寄り添う人たちが逆に誤解されたり警戒されたりすることさえある。そのぐらい差別だの人権だの言う割には「黙ってオレについてこい」式の体育会・武闘系のアニキやアネゴに引っ張られていく快感が好きなような感じさえする。支援が支配と隷属に近いのかもしれない。それだけ社会が世襲や支配に馴染みやすいのかもしれないが、それを疑う人が少ないというのも画一的・均質な「基準」や「標準」がどこかに実体のように存在していると勘違いする人が多いことからも納得する。動的で過程的なものだというふうには理解されず、どこか正解が存在するような物言いが目立つのだ。そして自分のお眼鏡に適う結果や手応えがこないと急に冷たい態度に豹変したりもする。どうして飼い殺しにしたがるんだろう?という想いすら抱く。多様性という割に自分が多様性へのチャネルを持ち合わせていない人があんまりにも多いのである。かくいう自分もジジババになったから引き出しが増えた、というだけのことで最も恥ずべき自分の過去が今の自分を叱責し現在の自分が埋め合わせているというだけにすぎないわけなのだが。なので30そこそこの若い活動をしている人たちの方が開かれた視点をすでに獲得できていて、単に経験知が足りないだけだという場合もっともっと私たちが謙虚に応援して上げる必要がある。たとえ邪険にされてでも、である。そのためには僕らがもうちょっと「オトナ」に成長をする必要があるのではないかと思い知らされた経験談は何度でも出てくるということになるわけだろう(苦笑)。LGBTQの自称「活動家」たちについても、ほんとうに世界を歩いて耳で聞いて取材してきた人というのは実は極めて少数だ。今表舞台であたかも「活動家」ヅラしている人たちは全員井の中の何とやらで、日本の行政府の拵えあげた手のひらの中で物言いしている連中が大半。世界を股に挟んだ議論をした人たちはピンクベアたちぐらいなものだ。あとは観光地を渡り歩いた人たちということになる。だから、といおうか、社会構造や差別抑圧の構造を論じる観点が自分たちの属性の側の利益誘導に滑ったり、生活史べったりのモノサシで論じられているものが圧倒的で、それは「あなたの歴史でしょう?」というものばかりになる。かと思うと、イデオロギー論や経済学由来の社会構造論と搾取構造について論じるか素材主義的にパーツパーツが語られて、本当は男性中心社会の掌に乗せられ踊らされている。もうちょと人様の言葉に耳を傾けたり、寄り添って上げたりできないものか。「正しさ」は普遍的なものは実は少ない。場面の条件に規定されるからだ。普遍的な正しさ、社会正義と本当に突き詰めるならば「人を殺すな」「人の上に人をつくるな」「独り占めするな」という事ぐらいだということに気がつくはずだ。これをゆがめているのは宗教や風習など地域社会の支配者との折り合いの中で生み出されてきた都合であって、その価値観や習慣を別の場面の条件においても機能できるかどうかを考えればそれは「正しくない」ものに変わるだろう。それは普遍的な正しさとは言えない偏ったものだということになるのだ。偏狭だろうと歪んでいようと、それはそれそれで尊重されねばならない。だが、いつまでもしがみついていないで人々との交流の輪が拡がれば拡がるほど皆の共感で正しさをつむいでいく長い目を、と思うのだ。妥協の産物を日々更新しつづけてよりよい落としどころにむけて育てていくという気の長い仕事をそろそろ出来る必要がある、という私自身の反省でもある。一見面倒臭いように思うかも知れないが、違う考えを持つ人たちとでもチェーンハンドできる方がどれだけ日々ワクワクが更新されるのか、ということを思わされるわけなのだ。
正しさを一度手放してみるともう一回つかみ直された正しさは前よりずっと豊かに大勢の共感を得られる正しさへ成長する、そんな感動が日常に起きてくる事を実感できるように変わるのだ。わかるから変わるし、変われるからわかり方がより豊かになっていく。ワクワクが止らない生き方に変わるんだから不思議なのだ。
LGBTQは人口学的な少数から多数への順番に並んだ序列ではなく、オトコとオンナという2つの性しか認められていない社会で認知され始めた属性がレズビアンとゲイだった、で、女性が弱者という事、女性開放が第一義であったことは自明だったから省略に従った。つまりLGという順序は社会の課題に立脚して必然的に生まれた、という歴史的な順番以外ではない。
それゆえに女性の身体を持つ人たちが社会的弱者であることは揺らがない事実だしその前提があればこそ、さらなるミソジニーの渦中に置かれ「オトコの味もしらないくせに」と男性からも女性からも迫害されて浮き彫りにされていくわけである。ゲイにおいては数が多い事も手伝うわけだから社会活動家は弱い人たちを尊重した。ただVulnerableな人を前にというかけ声を20世紀言ったり行ってきたかといえばそれはNOだろう。これは21世紀に入ってからやっと到達して獲得できた概念だと僕は思っている。
自分のような東京の場末に育った人間は、偏差値や力の序列が顕著な地域に生まれ育った。差別的だから受験産業の最も入りやすい市場でもあった。だからといおうか、僕がいじめの標的にされたのも「わたしより女らしいことが気にくわない」「オトコとオンナと両方できて便利」という言葉と態度に顕著に表われているだろう。「女性である」だけではオトコは振り向いてくれない「現実」を「脅威」と覚えたわけだろうし、弱虫に優しい強い男の子が僕のような泣き虫にも優しい事は「許せない」ということだった事はこれらの言葉を見れば明らかだろう。それはオトナになって大人の目線で俯瞰できるからわかることでもある。同時に、僕自身がトラウマから自由になってきたからこそ、こうしたおぞましい言葉の裏側にある恐れの感情を読み取ることもできるように変わった、ということ以外ではないだろう。30そこそこの頃は「こんな言葉で侮辱した」と糾弾して終わりだったし、それ以上の感情の整理ができないからこそ言葉も荒くなっていた。さすがにトシをとってみると生きていられる時間が圧倒的に短いと感じるから、怒っている時間ももったいなくなってきたから諦めたのかもしれない。だから悟りの境地というにはほど遠い小さい小さいものである。

「AIDSや薬物AddictionはVulnerableな人々が惨禍に置かれる病気だから、僕らは「Vulnerableな順番=アウトリーチする必要がある順番」に「LTBG」って並べただけなんだよ」


「Access for All」を掲げた国際エイズ会議2004inバンコック(UNAIDS)は僕が参加した正式な国際会議。こんな経験をさせてもらえたのはジャンププラス(日本HIV陽性者ネットワーク)立ち上げ準備のお手伝いをさせてもらっていたからだ。幸運にも翌年開催されたアジア・太平洋ブロック会議(ICAAP2005神戸)のPWAラウンジ委員にもエントリーさせてもらった。
神戸はろくな会議ではなかったが、バンコック会議は極めて画期的な会議でもあったと思っている。特に今回紹介したいのは、どうして日本のコミュニティは「正しい」とか「間違い」とかまるで犯人捜しのような言い争いや活動しかできないんだろうという強い思いを抱かせたのが国際エイズ会議を記念してバンコックのパッポン、シーロムを中心にレインボープライド、そして国際エイズ会議会場内で行われたTNP+(タイHIV陽性者ネットワーク)の呼びかけで世界からスカラシップや自主参加で来ていたHIV陽性者とその支援者たちが会場を取り囲んだデモ行進での経験、を紹介して考えるべきポイントについてまとめていきたい。

コフィ・アナンの国連事務総長の激怒とタクシン首相のターニングポイント



ハームリダクションを開始すると宣言(この会議直前にスラムの大虐殺をやってのけたので貧乏人もヤクチュウも減ったし)。しかしこの会議について政府側の準備は極めてABCアプローチでやってきた国だっただけあって、陽性者スピーチすら軽視。会場の人たちもセレモニーが終わったのかと思ってほとんどが退場してしまった中で、TNP+のパイザン氏の涙のスピーチがあった。タクシンの側には計算尽くの演出でもあっただろう。
「ハームリダクションへの切替えを宣言しとけば国連は万事OK!なはずだ」
名残惜しいがおとといスラムの最後の弾圧はやりとげたし、これだけ大勢の人が巨費を投じてきてくれたから地下鉄も通せたし!国連さまさまだぜ!といったかどうかはわからないが、鼻高々だったのである。
だが、UNAIDS(国連AIDS合同計画)は国連全体へサミットのGIPAをしっかり地で行く事を国際社会の良心に照らして正しい王道だと突き進んできた事務総長直轄の特務機関である。ここがWHOやRED CLOSEのようなアンブレラ団体でもなく、安全保障理事会でもヒューマンライツ委員会のような意思決定機関でもない。
このことを知ったコフィアナンは「わたしはついに当事者の声を聴くことなくここを離れなければならないのか!」とタクシンを呼び出して直接叱責したという。
すでに20年以上前の政権だから知る人が減ってきたが、タクシンはアメリカの共和党政権ばかりご機嫌をとってきた為政者でもあった。だから自民党とも仲良くやってきたし、都市化をすすめたバンコックにいち早く伊勢丹やセブンイレブンが上陸したのも日本の商業施設が先に入ったのもその証拠でもある。スラムや薬物使用者の弾圧や虐殺は軍隊を使って容赦なくやってきていた。だから富裕層によるスラム市民への虐待や差別もすさまじかったし、逆に富裕層のエリートぶりは日本の騒ぎではなく、先進国2カ所以上の留学経験や3カ国語以上の会話能力を有する人たちでもあり、毎晩ディスコやダンスホールの入場料金500バーツを支払って毎日遊んで外国人観光客とあそぼうという層がパッポンに群がっているわけでもある。僕がでかけた2000年代アタマでタマサート大学に行くのは地方を支えるぐらいの人々でエリートとは言わなくなっていた。むしろ日本からタマサート大学に留学しているぐらいだったし、いまだに植民地でもないのにコミュニティの白人支配が濃厚だった。だからといおうか、HIV陽性者ネットワークであるTNP+やこれらが加わるAPN+では「意思決定機関にはアジアンフェイスのメンバーが半数以上いなければその場でリコールとする」という厳しい自戒が施されている。この厳しいルールを自分達のこととして置けるパワーこそこのコミュニティの真価だということを思わないでは居られない。
つまりは当時のタクシン政権のようにアメリカに飼い慣らされてきてブッシュやレーガンが口にしていた「国連は欺瞞の集まりでアメリカの言う事さえ聴いていれば国際社会なんてチャラい」というような態度だったのと違いコミュニティはそのはるか先を歩いていたのだ。そしてそれはコフィ・アナンが国際社会の良心に立脚した威厳ある怒りとほぼイコールのメッセージだったということをタクシンは目の前で知ることになる。
コミュニティではなく世界の行政実務者たちから軽蔑されるぐらいの重圧を感じたはずである。「国際社会の良心」(日本国憲法序文)に直接対峙させられたのである。

これに恐れをなしたタクシンはまるで別人になったかのように次々と人権政策を強化した。彼が尊敬される首相となりえたのはエイズ国際会議とここから先の大転換があまりにも劇的だったからだ。いまでは、「第二犯までの人の再雇用を企業は拒んではならない」という法律まで整備された。2004年からたった20年足らずで日本社会では考えられないほど矯正教育と再チャレンジ政策に至るまで人権政策が整備されるに至った。
日本がここから20年で到達できるだろうか?

Access for All に応えた世界の潮流。


折角の機会なのでこの段階でのHIV/AIDSはどうだったのかを復習したい。年間のエイズ死者数が300万人、新規感染者が600万人。そしてその大半は南アジアとアフリカと南北の経済格差によってハッキリしているという状況であった。
現在では、2006年に満屋教授の新薬開発があり特許放棄によってキードラッグ3剤の1剤が無償化になったことで治療アクセスができる人たちが激増した。HIVは強力な治療薬を飲み続けていれば制御可能な慢性疾患に変わっている。このことで現在では新規感染者数も死者数も年間30万人にまで減らすことができた。
 さらに、アフリカでは幸運にもレアアースが発掘されたため労働市場・経済市場が向上した。南北の所得格差問題がかなり解消された。
 2000年に国連内と治療している当事者間では通説であった「治療こそ最大の予防」のメッセージを様々な形でキャンペーン化しはじめたのが2013年ごろということになる。U=Uもこの潮流の上にある。2000年段階ですでに「ウイルスの血中濃度が検出限界以下のPWAがコンドームをしないセックスに関与したとしても感染は起こり得ない」という結論が出ていたのだが、南北格差により新規感染が増え続け死者まで出ている段階で感染経路遮断の協力なツールであるコンドームを外すことをUNAIDSでもハームリダクション運動でもよしとしなかった。ピル解禁騒動で女性がまんまと「性の自立」論で男性から「ナマでやらせろ」という欲求に応じてしまったことで、HIV以外の性感染症の抑止にもなっていたSTIの感染が増えたのだ。とりわけクラミジアによる子宮頸がんなど様々なリスクを女性は一方的に負わねばならなくなっていた

日本で行われていたのは個別の疾患にカラーリボンがつけられ自分たちの活動以外が関与することを嫌う強迫的な予防啓発キャンペーンが行われた。レッドリボンへのアンチ活動でもあるかのように、である。

当事者参画のために120万ドルを拠出できる国際会議

「3by5やGlobal Fundが満額でたとしても、当時のタイ国民の所得水準では3割のPWAが治療アクセスができない。自分も皆のために活動しているけれどスラム出身の自分に治療は届かないだろうと思っている。でも、このことで大勢の仲間達が不死鳥のように元気になるんだからやる意味がある」
長谷川博史さんに熱く語るパイザンはデモ行進当日発熱し具合が悪そうだった。それでも国際会議場を取り囲む大勢のPWAが世界中から集まっていた。このエイズ国際会議は日本円で1人10万円の参加費を徴収している。そしてそのお金で世界中にいるPWAから当事者の意見を聞けるよう、途上国のPWAスカラシップを設定し無償で招待し参加と滞在費のすべてを会議が負担している。だから破格に高い。それゆえ日本の新聞やテレビなどのマスメディアは誰一人参加していなかった。唯一記事を書いた東京新聞は10万円もの参加費で当事者が参加できるわけがない上、会場のマクドナルドは日本と同価格帯で販売されていたと不平不満ばかり。ただ、マクドナルドは会場のゲートの外にある店舗しか存在しておらず、この会議参加を本当にしていたのであればどういう会議でPWAのスカラシップがあること、中ではハームリダクションのアプローチでどちらが最終勝利者だ?という公開討論まであったのだから、もっと書き方が違っていたはずで、何のために特派員として出張したんだろうか?カラ出張も甚だしい、という状態であった。
つまりは、水際作戦で情報遮断され、日本のメディアが追従して黙殺した国連主催の会議だったことになる。いい加減安保理だけでなく人権理事会や労働委員会、AIDS合同計画など他の話題を日本人はきちんと知る必要がある
もう少しだけ、ダメだしだが、スカラシップの予算規模について、触れておきたい。International AIDS Societyの開催せておいた。最後の会計報告をご覧戴けば、SCHOLAR SHIPSの支出額が1,218,341USDと明記されている。これは世界中からHIVとともに生活する当事者(People Living with HIV/AIDS)の会議に招待した当事者の参加費・滞在費の予算である。参加者の参加費から120万ドルの支出をしているわけである。120万ドルがどれだけ大きな金額かはわかるだろうと思う。この規模の会議で決して少ない金額ではないこと、タイの物価事情に照らしたらどれだけ大勢呼び寄せられるか、そしてそれだけの人たちが私費を投じた参加者に加えてバンコックの市街地に宿泊し、国際会議場で食事をし会議で発言していたのである。当時のレートはまだ104円前後だったと記憶している。バンコックの市街地でミネラルウォータが20バーツ。ディスコなどが500バーツ(当時で約2000円だった)この会議がどれだけタイの経済効果を生んでいたか、わかろうというものだ。

TNP+が先頭になったGNP+によるデモ行進と団体交渉にUNAIDS代表ピーターピオットは護衛なしで壇上に立った〔!)



さて、会場を取り囲んでのデモ行進はトラックの荷台にTNP+が先頭にたって始まった。トラックのボンネットの上にパイザンが半分横たわるように乗っかり、荷台の上に若手たちが元気に立っていた。そして正面玄関前にトラックが横付けされると丁度玄関前の敷石と同じ高さとなった。
団体交渉のはじまりである。
ピーターピオットが護衛をかきわけて登場し、文字通り二人が同じ目の高さに向き合って対峙した。全員がシーンと静まりかえる。
手持ち式のハンドスピーカーでWHOの3by5政策はいつになったら達成できるのだ、グローバルファンドはいつになったら提唱国日本やアメリカ政府はカネをだすんだ?この間にも私たちの仲間は毎年300万人が死んでいるのに。いったい治療アクセスはいつになったらできるようになるんだ?
一問一答でピーターピオットは「努力し働きかけをしている」「もうじき開発される新薬がありこれの特許について交渉の余地がある」などはっきりと ごまかさずに回答をしていった。
国連の舞台でのデモ行進と団体交渉を生まれて初めて目撃し、それらを整然と受け止めてごまかしも忌避もせずに真正面から受けて立っているUNAIDSを見て、政策集団かくあるべしと感動すら覚えた。この交渉自体たぶんにセレモニー的ではあると国際NGOの中ではされているそうではある。形骸化しているというのは、それだけ簡単に現実は動かないからでもある。同時に、執念深く繰り返すだけのエネルギーがまだ、ここにはあるということでもある。パターンは悪いことだけではないのだ。

学びととるか?間違いととるか?
バンコックのIASを記念してのプライドパレードでは「LTBG」と掲げられていた。TNP+、予防啓発ネットワーク、ユース、みんながあっけらかんと口を揃えていった。「Vulnarble peopleの順番にしたんだよ」
日本でこれをあっけらかんと一言で言える人がどこにあるだろう?

世界で最も弱者は子供であることは自明であるが、ビアン<女性<バイセクシュアル女性<バイセクシュアル男性<ゲイとなるのは自然なことである。
誤解を避けて申し上げるならば、日本のGAYほどマジョリティとなった経験知もなければ、自分達の地位向上についてアクションをしたためしがなく、パートナーシップ条令や地方自治体の議員になったり、という目でみると、各種の先鞭をつけているのはVulnable minorityばかりだということ。トランスジェンダーの方達やレズビアンの方達が市民連携のもとで条令を構築したという格好のものが何と多いことかということである。しかし、いざ風がふいたと見るや同性婚訴訟など派手なところで立ち回るという傾向がある。行いの一つ一つは喜ばしい結果をもたらしてくれているものの、魔女利てぃとはかくあるべきかと時々思うのだ。どうして時流・時勢の勢いに乗っかってさも自分達がフロンティアにいるような錯覚で酔っていられるんだろうと。

「活動家」の資質が問われる一幕では?


UNAIDSによるIASバンコック会議2004はバンコックの全てのテレビ局や新聞メディアが連日報道し特別番組も組まれていた。だから、といおうか。大会3日目バンコックの目抜き通りからパッポンに至るまでのコースを世界の政敵マイノリティ活動家やHIV陽性者、医療従事者や行政マン、法律家、教育者たちがいっしょに歩いた「LTBGパレード」はもちろん大成功に終わった。
でも日本から来ていた人たちは「ミスプリント」ぐらいにしか思っていなかったのが主催者発の「LTBGパレード」のプラカードたちだった。
さすがに3日目になると、仲良しになるもので僕もどういうわけかブースにいれば1時間に1人が呼び出しをうけ色んな人の経験やお話を聞いた後最後に「口説かれる」という東京ではゼッタイにない経験を沢山した。
こんなにアジアのイケメンや可愛い男の子たちにモテるぐらいだったら最初から国際活動をするべきであった(苦笑)。かえすがえす英語学習になじめないでドロップアウトした自分を恨んだものである。もっと自由に話せたらもっと違うことを知れたはずである。

2004年の段階でブッシュ政権による禁欲中心政策(ABCアプローチ)は国際的非難に晒された。コンドームの無料配布をはじめとするCNNアプローチの有用性、すなわちハームリダクションへの世界の人々の結集と参画を求めない限り人々のスティグマや差別と距離を置きながらの予防啓発も治療環境の整備も望めないということを「ABCとCNN勝ったのはどっちだ?」という公開討論で明らかにする一方で、この国際会議のコミュニティISSUEでの基調になったといえる。なぜなら翌年神戸で開催されたICAAP2005神戸で全く同じタイトルで公開討論会をわざわざ再現してくれたのだ。これを日本の人権事情や啓発の周回遅れ状況と主催者の自画自賛の悲惨さを揶揄するものだと気づくセンシビリティがあまりにも日本では枯渇していたわけである。


参考資料:



IAS2004 Bangkock報告書 International AIDS Society

https://www.iasociety.org/sites/default/files/Conference%20reports%202011/AIDS%202004%20BangkokReport.pdf

Human Rights Watchより
コンドーム、清潔な針、ジェネリック医薬品: 
「第15回国際エイズ会議の主要な問題==ヒューマン・ライツ・ウォッチの背景知識==」

https://www.hrw.org/legacy/campaigns/aids/2004/bgd.pdf


UNESCO 


from GOUPSTATE  NEWS

AIDS conference delegates praise condoms, slam Bush's abstinence policy
(エイズ会議の参加者らはコンドームを賞賛し、ブッシュ大統領の禁欲政策を非難)

VIJAY JOSHI Associated Press
https://www.goupstate.com/story/news/2004/07/13/aids-conference-delegates-praise-condoms-slam-bushs-abstinence-policy/29727883007/


from JSTOR 
OURNAL ARTICLE

AIDS 2004, Bangkok: A Human Rights and Development Issue

Nandita Solomon

「Reproductive Health Matters」Vol. 13, No. 25, Implementing ICPD: What's Happening in Countries: Maternal Health and Family Planning (May, 2005), pp. 174-181 (8 pages) Published By: Taylor & Francis, Ltd. 

https://www.jstor.org/stable/3776243


XV International World AIDS Conference, 11-16 July 2004, Bangkok

6 September 2004. Related: Conference reports, Conference index, World AIDS 15 Bangkok 2004.

The biennial World AIDS Conference, which alternates hosting by countries in the Northern and Southern hemispheres, is the largest and broadest focused of the international HIV meetings.
https://i-base.info/htb/9011


XV International AIDS Conference, Bangkok, Thailand, 11-16 July 2004: expanding research in developing countries

Lorraine Sherr 1 Affiliations expand

  • PMID: 15534565

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15534565/

JSTAGE 
学会消息
「HIV/ADIS感染者数推計の現状:第15回国際エイズ会議から」小松隆一(国立社会保障・人口問題研究所)「人口学研究」35号 2004.11

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jps/35/0/35_KJ00009384663/_pdf


学会報告「第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議と大規模感染症の時代」宮田一雄(「ウイルス」53巻1号P113-116、2003)
http://jsv.umin.jp/journal/v53-1pdf/virus53-1_113-116.pdf


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