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全ての生き辛さは不安からだった

私は今まで生きている中で自分が不安が強いと思っていなかった。
むしろ自分は明るい人間で、嫌なことがあってもすぐ忘れるし、
お酒も好きで陽気で前向きな人間だと思っていた。


が、それは大きな勘違いだった。

コロナ前の私は週に3日〜4日は飲みに行っていた。
落ち込んでるであろう自分(無自覚)に、
友人+酒と言う最強タッグを上から被せ、
ネガティブな感情を感じている自分を見ないようにしていた。


今考えると体はしんどいのに、
なぜ毎日飲みに行かなければいけないか?
を考えるべきだったと思う。

他にも、仕事のミスが減るような気がして
早起きが苦手なのに6時に起きて1時間程度運動。

口を開けば「でも」「だって」と言って不安を感じる行動を避け、
仕事に行く前は当日のスケジュール、
誰に何を言うかを頭の中で何度もリハーサル。

いざ言うとなっても自分に自信がなく、自分の発言に不安を感じて他人の言うことが正しく聞こえ、結局そちらの意見へ合わせる。

一番厄介なのはスピリチュアルを信じて
振り回されていたことかもしれない。


私が思っていた、「明るく楽観的な自分」は私の願望であり、
そうありたい自分の姿だった。

我慢に我慢を重ね、本当の自分が分からなくなっていたし、
自分に自信がなく他人に意見を合わすことも
協調性があると思っていた。
自分が我慢して辛いと思っていることに
世間では「良い人」とされる名前をつけては安心していた。


一つ一つの行動が全て不安からくる行動であり、
理想と現実にギャップがあった私の姿は、
他人から見たほうが分かりやすかったかもしれない。


ある時気付いたことがあった。
ネガティブな感情を抱えてる自分はダメな人間だ。
と私が私に言っているということ。


それは私が病院に勤めていることもあって日常的に
他人(患者さん)に振り回されることが多く、
無理難題でもNOを言えない、
自分を押し殺して要求に応えなければいけないことが辛く、
迷惑と感じていたからだった。

自分がネガティブな発言をすることは周りにいる人に
迷惑を掛けていると無意識に自分に刷り込み、
周りに迷惑をかけてはいけない、嫌われる、と
ネガティブな感情を持っていることを自分に許可できないでいた。


逆を言えば、自分に許可を出せないから他人にも許可を出せなくなっていたんだと思う。
私はこんなに我慢してるんだから、あなたも我慢しなさいよ。と言う具合に。

最大の恐怖は誰かに嫌われることだった私は、
周りに嫌われると思い込んでいる行動をできないでいた。

自分が思っていた嫌われる行動は周りに助けを求めることだった。

助けてと言えば迷惑をかける、めんどくさい奴と思われる、嫌われる、と思い込んでいた。
全て一人で何とかしないといけない私は自分を無視するしかなかった。
「助けて」と言っている自分に、楽しい時間を重ねて「助けて」を無視し続けてきた。

その結果コロナが流行し、飲みにいけなくなった私は
仕事中に涙が止まらなくなったり、食事が摂れなくなったりした。
そこでやっと自分と向き合う決心がつき、コーチングを受け、
自分がかなり大きな不安の中で生活していることに気が付いた。


ヨガや瞑想、ジャーナリングを始めて(ややスピリチュアル傾向だが)自分を俯瞰して見るようになり不安に感じてる自分に気付けるようになってきた。
今でも不安を感じることはある。でも以前のように不安を感じている自分を否定することはない。
不安を感じてる自分に、何が不安に感じる?と聞けるようになった。


まだまだ不安との付き合い方は難しく、いきなりストレスが体に現れることもある。
その都度自分との対話の仕方を考えるチャンスだ、学びだ、と思い自分を知ることを楽しんでいる。

#不安 #承認欲求 #孤独

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