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THE BLUE HEARTS「月の爆撃機」の解釈

はてなブログで数年前に月の爆撃機について解釈を書いていた人がいた。他にもこの曲について全く異なる視点から解釈している人がいる。それほどこの「月の爆撃機」という曲は解釈がわかれる、というより解釈が難しいし、ともすれば解釈できない。

ブルーハーツで一番好きな曲は「月の爆撃機」だ。高校生の時に聴いて以来、リンダリンダや終わらない歌を抑えてずっとナンバーワンに君臨している。しかし歌詞の意味は未だにわからない。ネットにある他の人の解釈も一部納得できても、完全にこれだというものはない。

そもそも甲本ヒロト自身が歌の意味は受け取った人が正解と思うものが正解というスタンスで「答え合わせ」をしないために、100%の正解はヒロト以外知らないことになる。ブルーハーツの曲は歴史や映画の含意や言葉遊び多く、解釈も一筋縄ではいかない。しかしその分、正しい解釈をすれば歌の意味が霧が晴れたように理解できる。

「正しい解釈」とうっかり書いてしまった。ヒロトが先述のようなスタンスなので客観的に「正しい解釈」は無いのだが、個人的にはブルーハーツを聴く上での「正しい解釈」とは、曲を作った時のヒロト・マーシーの気持ちに近づくことだと思っている。なぜなら、


ギターのテクニックをコピーするんじゃなくて、

アイツがあの音を鳴らす時の"気持ち"をコピーするんだ。
衝動を!

甲本ヒロトが水道橋博士との対談の中でこう語っているので。


結論からいうと、月の爆撃機の歌詞は何かの比喩や修辞ではなく、そのまま解釈すべきだと思う。

冒頭であげた方は、個々人を分断する強制力を持つ即物的なものの比喩としての爆撃機、それに対して分断された個にあまねく降りそそぐ希望を月に喩えて解釈している。「月の爆撃機」のテーマが孤独ということは、曲中で直接明示されていないものの多くの解釈に見られ、私もそれについては同意する。しかし、色々な解釈で語られる「比喩」については、先ほども述べたように腑に落ちるものがない。ヒロトが自由に解釈していいと言っているので、お言葉に甘えて以下に自説を述べる。

本当にコックピットで爆撃機を操縦していて、白い月の夜に街を焼き尽くしているというのが、私の「解釈」だ。もちろん、それはヒロトのイメージの世界で、例えば東京大空襲のような歴史的な事実の比喩ではない。今まさにこの街に爆弾を落としている。焼き尽くすのは「個人的な憂鬱」かもしれないし、ポケットの中の「孤独」かもしれない。そしてそれは無慈悲に、破滅的に。誰も入ることのできない内面にある暴力性を止めるものはなく、まして爆撃されて死ぬ人のことは勘定にも入らない。ただ世界中に自分一人と、薄い月明かりだけが存在しているような孤独だと解釈している。

ただ、比喩ではないといったものの、ヒロトが着想を得た「何か」があることは想像できる。ここから先は想像の世界だが、ぜひお付き合いいただきたい。私はそれはオートバイだと思っている。

大学3年の時にオートバイの免許をとった。理由はいろいろあったが、その一つはヒロトへの憧れだった。ご存知のように、ヒロトは熱心なオートバイマニアで、オートバイをモチーフにした曲も作っている。ブルーハーツ時代の甲本ヒロトはYAMAHAのSR400に乗っていた。安直すぎるかもしれないが、私はヒロトと同じSR400に乗っている。白い月が出ている真夜中に誰もい無い国道を走っていると、まるで世界に自分と月以外存在しないような気持ちになることがある。バイクはとても個人主義な乗り物で、孤独はつきものだ。もし世界中に自分と月しかいないなら、そしてもしこのバイクが焼夷弾を積んだ爆撃機なら、一瞬で後ろに流れて行く街の明かりを焼き尽くすことになんのためらいもないだろう。これはステレオやエアコンがついた車でもないし、様々な孤独がぎゅうぎゅう詰めにされた夜行バスとも違う、バイク特有の感覚だと思う。特にSR400は「バイクの基本形」とも言われるほどシンプルな作りで、ハーレーやSSに比べて遥かに心もとない。

先に述べたように、ブルーハーツを解釈する上ではヒロトの気持ちに近づくことが大事だと考えている。甲本ヒロトと同じバイクに乗ることで私は「月の爆撃機」についてある程度自分で納得できる解釈ができた。SR400に乗っている時の孤独、全能感、暴力性、そして自由こそ、ヒロトが月の爆撃機を作った時の気持ちではないかと思う。

この歌を「解釈」する上で難しいのは、先ほどの方が述べているように視点(=人称)が曖昧なこと、あるいは複眼的なことだ。そしてもう一点私は、Cメロの「いつでもまっすぐ歩けるか」以下の部分にあると考えている。全体を通して、この一節だけ視点や意味が際立ってはっきりしている。だからこそここの解釈に引っ張られて全体が見えなくなってしまう。私の解釈をベースにすると、「湖」も何かの比喩、例えば人生のつまづきや落とし穴、他人の悪意ではなく、本当に爆撃機が墜落する湖なのだ。

以上が「月の爆撃機」に関する私見だ。もちろん今後腑に落ちる解釈を見つけるかもしれないが、現在のところはこれが一番しっくり来ている。ご意見があればコメントください。

最後に、数年前までしていた「解釈」にも触れておこう。

長い間私はこの歌は甲本ヒロトの「悟り」に関する内容だと考えていた。私自身が仏教に傾倒していたこともあり、歌詞が仏教的な悟りとも読めると思っていた。もちろん、甲本ヒロトは他の歌において宗教的なものを否定している。教条的な救済や悟りではなく、自分自身の生活の中で気づくことが大事だというヒロトのスタンスからして、仏教の悟りそのものではないが、非常に近いもの、つまり人間は皆孤独であるとか、あらゆるものに実体はないということ、そしてそれに気づくためには他人の存在や声を閉ざして自分自身と対峙しなければならないということだと考えていた。もちろん「月」は悟りの比喩である。ヒロトの思考はとても明晰で本質的なので、スッタニパータに見られるような唯物的な初期仏教に近い。ただ、その解釈だとあまりにも理屈くさいというか、歌詞をかなり曲解しなければならないことに気がついた。そんな折に「比喩」を一切捨てることを思いついた。それが上記の解釈だ。

手がかりになるのは薄い月明かり。

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