2歳の頃の、ドッキドキ

2歳だと思う。
毎日、毎日、わたしは思った。思う度に、胸がどきどき、ドキンちゃん。もとい。心も身体も、ドッキドキ。
「大きくなったら、よその星にゆくのかな?」
真剣に悩んだ。
何せ両親が、デカい。父母揃って、縦横(たてよこ)がある。
「お宅の両親、大きかったものね」他界した今でも、近所の語り草。世代を思えば、なるのだろう。

昭和15年生まれで父は176センチメートル、同18年生まれで母は161センチメートルぐらいの背丈があった。共にどちらかと言えば骨太、伴い肉と脂肪もついていた。
2歳目線では詳細まで分からなかったが(当時、住んでいたのは群馬の社宅)、友達の両親と比べ、ウチの両親がデカいの意識はあった。
だって見上げた時の何かが違うもの。何かが?今なら分かる。「距離感」だ。
大人と喋る時、見上げなければ、幼児はならない。
最近ですら、しゃがんで「視線を共に」と言われているが、当時はなかった。だから幼児に小学校の低学年。距離感がある子供は、大人と喋る時、まず、見上げた。そうしなければ、視線が合わない。
見上げる回数が多過ぎ、首痛になった子供はいなかったのであろうか?
曰く、わたしも同じく見上げて喋っていた。
と、段々不安になって来た。
両親がデカい=やがてわたしもデカくなるだろう。2歳にて遺伝を察するわたし、素晴らしいっ!
デカくなりすぎて、地球に住めない。よその星に、ゆかなければならないのではないか?よその星に、ゆくのかな?

可愛い悩みだったわねぇ。我ながら。
その後、親がデカい割には、左程、わたしはデカくもならず、幸いにして(?)今日まで地球に住んでいる。
よその星との発想したのは、単に「ウルトラマン」の見過ぎだったから。
シュワッチ!!

〇「よその星」 ウルトラマンに 発狂す
      幼女はやがての 移住先へと

                 <短歌 なかむら>
                             <了>






#創作大賞2023

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