こういう所がイマイチねぇ、、、~「すぐ死ぬんだから」(内館牧子著/講談社刊)

かなり話題になった本である。
図書館で借りた。予約してから、1ケ月、2ケ月ばかり待ったであろうか。それだけに喜びもひとしおだ。
(いひひのひ)下品な笑いを心の中で一杯にしつつ、ページをめくる。

ざっとのあらすじ。
個人で酒屋を営む主人公の人生は、苦労も多かったが、総合的には満たされていた。結婚する前に、夫の両親は既に他界していたので、舅・姑とのいざこざがなかったのが第一だ。
子供は2人、一男一女。夫は浮気の「う」の字もない真面目な男で、店を長男に譲った現在は、折り紙で箸置きを作るのに没頭。そういう会の会長もやっている。悠々自適と言えるだろう。
が、突然、他界。葬儀を終えてひと段落していると、判明したのが、何と夫の浮気。相手はしかも女医であり、医者をやってる息子迄いて、、、。

ここから先は本書を読んで頂くこととして、気になるのが描写。主人公の嫁(長男の妻)に対する、感情だ。
「学歴が低い=考え方まで、愚かな民。非常識」がっちんがちんの固定概念オンリー・ユーだけがあるのだ。

「両親は共に高校教師で、姉も国立付属大学の高校を出ている。(或いは、国立大学だったかも?←カッコ内書きは、なかむら。自信がない)」設定。しかし、嫁の出た高校は「偏差値ゼロ」だから「偏差値ゼロの考え方しか出来ない」。
或いはそうかもしれないが、対照的に出来なかっったであろうか?
例えば「出た高校の偏差値はゼロだが、嫁の考え方偏差値は、悠に90を越える」とか、「大変、優秀な考え方をする嫁だけど、出た高校の偏差値は30にも満たない」とか、そういう風に。

内館さんが人を思う時、やはり学歴=性格となってしまうのだろうか?例え架空の人物。物語の中であったとしても。

最も「夢を叶える夢を見た」(幻冬舎)の中で、「東大卒が全て素晴らしいとは限らないが、早大卒より高く評価され、高校卒より数段、高く世間は見る」旨みたいなことを書かれているので、繋がりを持たせ掛けても来よう。

けど、どうにかして欲しかった。


嫁の人物設定に学歴を入れるのならば、主人公や夫、夫の友人その他にも同じようにするのが、作品の登場人物に対する、作者としての礼儀ではなかろうか?
この点がどうも引っ掛かる。イマイチねぇ、、、。後は「内館ワールド炸裂」といった感じです。




#読書の秋2022

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