// note: 急がなくていいよ、もう。
「時間」を「時」と意識したという、ハタからはよくわからない、結論のない話。
経験をダラダラと書き並べる自己満足のために、書き残す羽目に。
課題は「時間」にあり。
中学生の頃に「ペンタブレット」を両親に買ってもらいました。これが絵描きの始まり。
当時は「キャラクターデザインを生業にしたい!」なあんて、まさに絵空事を思い描いていました。
志高くペンタブの前に座り、描き始めておよそ32時間。ようやく線画が出来上がりました。
当時は「32時間でこれとか、吐きそう…」と、労力と成果と期待の中の大きな差に絶望したものです。
練度や技量は描いた枚数に比例すると思ったのですが、一枚一枚にかける「時間」は節約しようと考えました。
時間と「効率」を追い求めるけど。
時間を重要視したのは、描く枚数を稼ぐという「効率」に着目したからであり、時間がかからなければ疲れもしないという発展した結論を導き出しました。
32時間、16時間、8時間…、どんどんどんどん描く時間を短縮していき、加えて、効率の良い「技巧」を用いて描きこむように。必要となる時間も短くなるにつれ「上達している」という感覚になりました。
まあ答えは先細りで…
結局は疲れるばかりだし、要は引き算の考え方しか無かっただけであって、少しずつ絵が上手くなるけど「素敵だな」と心から思える絵にはなりませんでした。
時間から「時」として思うように。
これはニュアンスの問題なんですけど、今までは、何か具体的に、建設的に「時間」を組み立ててたんですよね。まるで仕事のように。
でも、時間を精密に組み立てて描いた絵が"素敵だな"と思われるわけではなく、素敵だなと思える"時"を過ごしながら絵を描くから、その素敵さに共感するのであって。
ものすごく技巧的に仕上がったPSDファイルより、教科書の片隅に描かれた鉛筆の落書きの方が「上手いね」と言われることに、社会人5年目の今、ようやく気づいたんですよね。
そもそもにして「無駄」なんて考えはないし、描くことに「限り」もない。だから、描くこと全てに対して『無理をしない』ことにしました。
時は金なり、とはよく言ったものなんだけど、お金を稼ごうとする覚悟がある人が初めて語れることであって。
生半可な僕は、趣味で描ければいいかなって。
取り急ぎココまで。
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