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精神薬が効きすぎて創作以外の日常生活が送れない

一週間前の私は、相も変わらず希死念慮、離人感、悪夢に苛まれていた。
特に自分から病みにいくような事はしていなかった筈だが、特に悪夢に悩まされ毎日中途覚醒、二度寝、三度寝という堕落したゴミ人間のスパイラルに陥っていた。

木曜日、悪夢によってかなりのダメージを受け起きがけに泣いた。しかし持ち前の記録癖で悪夢を記録していたようだった。
後々考えると夢を覚えていても夢日記を付けたりするのは悪夢障害の悪化に繋がったりするらしくあまり宜しくないみたいだったが、あまりにも恐ろしい展開でショッキングな夢であった為記録せずにはいられなかった。

以下は中途覚醒した朝4時くらちのメモ書きでら寝起きすぐに書き出していた為ひどく乱文なのだが、自分自身の記録として残しておく為あえて手を加えず記載しておきたい。

※支離滅裂な文章である為、閲覧は自己責任でお願いします。

ロリータ大好きピンクハウスすき!ポムポムって呼んでね!っていわれたSWIMMERはメルカリパパとお揃いの服きて寝てるの嫌われたくないから
ばあちゃんにそだレられるわけないそれでもするって言うなら勝手に2人でInstagram撮ってヘラヘラ暮らせばいつものようにパパと水遊びしながらお風呂ママが入ってきて豪速球で洗髪凄く怒っている私はエヴァ?のちっちゃいお人形さんを湯船にうかべていたママにはずっと怒られていて少し怖くて何も言えなかっまさたパパが何かをママに言って風呂を出たママがお風呂の水を抜くところでなるも浴槽でたとこだったけど泣きながらエヴァの形をした人形が流れるのを止めていてどうして味方するの?と思っていたらもう二度と見ることがない、赤ちゃんたち、あなたの、、いいの?ほらはやく写真を撮ってあげなさいよと言われた私はいつものように撮ろうとしてInstagramのフィルターを起動させたかったけど時間がかかって湯けむりで曇る画面を擦りながら一生懸命起動させたかった 流れていくお人形さんたちをママが必死で掴もうとするけど逃げていってつかまらない。人形たちは無機質な筈なのに呼吸しているみたいで少し気持ち悪いと思ったそれからみんなお風呂あがって やっぱりばあちゃんの石鹸はお茶葉石鹸に変わっているんだね何も匂いがしない 普通は歳をとってきたら腐るんだよと言って自分の腐っていく足を見せるパパ それからなにかものすごく怖くなってお風呂場に行く ママがパパと話していて、あまりにもかわいそうって聞こえた お人形さんたちは桶の中に入れられていた やっぱり写真を撮りたくて浴槽に並べようとしたら パパが小さく泣いていて それでもって言うんなら死にますよってママが言いながらお風呂場にきた お人形さんを並べている私になきながら 二度と会うことが無くなったのね、あなたと子供たち。と言われた
女性性にしがみつくママと子供ながら子どもを失った私 過度に距離が近く男性性が理解できていない私 老いについて考えることから逃げているパパ 一連の流れを無かったことにして一言も話さないばあさんは家族というものを捨てている

パパの友達が家の掃除をしているエアコんとか、相変わらず怒られていたから片付けをしていたらもっとしろと言われて仏壇に行くと丸くて直径が拳のような長いミミズのようなものをおばあちゃんが吐いていた。最初は透明クリーム色でだんだん血になっていく口はわっかで苦しそうに目を見開いているけれど何も言わないとりあえず水をもっていった

わたしは絶対に悪くない

この一連の悪夢があまりにもリアルで、恐怖で仏間に行くどころか仏間のある方向にすら目を向けられなかった。
祖母が口から管の様なものを吐くシーンは、伊藤潤二氏の漫画作品「ギョ」に登場する彼女を連想させた。そこから半ば怖いもの見たさで彼の作品を見返すなどし、模写を趣味とする私は作品をオマージュしつつ彼の画風で自分と彼女のイラストを描いた。

金曜日、朝から映画「惡の華」を観た。どことなく、以前視聴した「愛のむきだし」に通じる所がある様に感じた。
私は兼ねてより女優の玉城ティナさんのファンで、例外なくこの作品も彼女の美貌、醸し出す雰囲気に圧倒されつつ楽しむ事が出来た。

土曜日、映画「彼女」を観た。2回目、いや3回目の視聴であった。私はこの作品に使われているサウンドトラックが大好きで、特にドライブシーンに多く使われている楽曲を楽しむのが主な目的と言っても過言ではないくらいである。
また、好きな女性の為に殺しを平気で行ってしまう女性という図もとにかく惹かれる。
それから更に映画「下妻物語」を観た。この作品は何度見返したか分からない私を構成する映画作品の一つである。視聴後にロリータ服を探してネットサーフィンしてしまうのはもはやルーティンと化している。
この日は彼女にもロリータが着たいと話し、新居でロリータファッションでもって作品撮りしようという話で夜遅くまで盛り上がった。
やるからには当然細部まで納得がいくまでこだわって作り込みたかった。コンセプトや着たい系統の服の画像を共有していくうちに、もうここまでこだわるのなら私達のウェディングフォトの第一弾という事にしようと決まった。
あらゆるサイトで画像検索しまくり、またこれまでに影響を受け着想を得た映像作品を参考にすべく彼女にも共有した。
ドレス、ヘッドドレス、ヴェール、手袋、ピアス、ピストル、ショートケーキ、キャンドル、ニーハイブーツ、タトゥー、花、ロザリオ…
更にはプロジェクターで世界観を具現化した映像を投影しながら作品を撮る事にした。

日曜日、構想がブレないうちに画像加工、動画編集に明け暮れ映像の制作に成功した。一度決めてしまうと成し遂げるまでに気になりすぎてそれ以外の生命活動を疎かにしてしまうほど没頭してしまう。今回も例によってある程度仕上がるまで食事をとる事を忘れていた。

月曜日、自分の構想している世界観を言語化するよりまず映像として共有したいと考え絵を描くことにした。
この記事の画像がその時に勢いで描いたものである。
もちろんモデルは自分達だが、作品として残したいが為に人物像や、この構図に至るまでのバックグラウンドを脚色した。

火曜日、更に世界観をを作り込んでいくと絵として残すだけで一旦留めておくつもりだったのにも関わらずメモ書き3枚がA4用紙5枚程のプロットの様なものと化してしまった。
これまで、創作といってもエッセイや意見文、絵などを趣味で描く程度で小説はホラー、ミステリーといった類のものを少し書いた程度だった。
しかし、ここまで人物像や背景が出来上がってきてしまったら完成しなくても、拙い乱文で誰も読まないとしても記憶として残しておきたいと思い、小説の執筆に踏み切ったのだった。

そしてその夜、23時〜4時の間で本当に稚拙な小説と呼べるか分からないくらいの文章を一つ完成させた。
まだ、未完成の様な気もしてならないが、自分と彼女の名前から1文字ずつとった登場人物のそれぞれの名前の由来から考えた為に愛着の持てる作品となった。
真夜中、戸川純女史の楽曲を聴きながら、自分達をモチーフにアレンジした世界観に入り込み広げて明らかにしていく作業はとても楽しく、時間も眠気も別次元だと感じられる時を過ごした。
久しく見ていなかった中指のペンだこに達成感を覚えた。

一、二週間前の私は、自傷していないと生きている心地がしていなかった。今は描く、書くことで生きていると実感出来る。
日々の恐怖、不安、虚無感…その他諸々の厄介な感情を、痛みは痛みのままペンを走らせて昇華する事が出来るようになった。

やはり私は良い意味でも悪い意味でも、普通の日常を送ることが出来ない人種なのかもしれないと痛感した。
病んでいる様な時でも心の奥底では言葉に出来ない感情が渦巻いていて、当然健康的には過ごせないしその心の中のどろどろを出来る限り言語化したり、絵として表す事で自分で自分の中身に片をつけていく作業を行い続ける他、生きていくすべは無いのである。

また、最近創作作業を通して生きていく意味が一つ見つかった。私は、私を苦しめる人達に頼っていかなくてもこうしてなんとか生きていけると分かった。それを証明する為生き続けるのである。
私は私で、自分の満足のいく美しい人生とはいかなるものかを明らかにしながら、それに準えて生きた証を残してからでも死ぬのは遅くない様に思う。

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