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風俗嬢だった私へ、救いのnoteを

自傷行為として始めた性風俗。
辞めて一年以上経ってもずっと胸に残り続ける後悔、懺悔、絶望。
そしてこの気持ちは多分、分かってもらえない。それでも書くことにした。


⚠︎この記事は、性風俗、自傷行為、親との関係などセンシティブな内容を含みます。
また、以下の内容は私個人が感じたことであり、夜の仕事に従事する方の総意ではありません。


今回は自己紹介の記事にて少し触れた「性風俗産業のキャスト」を経験した話をしたい。

匿名アカウントで裏事情やキャストの本音を発信している風俗嬢が増えたため、わざわざ歓楽街に行かずとも夜の世界はスマホで簡単に覗き見することができる。

したがって、私がこれから書くのは「風俗嬢あるあるネタ」ではなく、2年ほど勤務した私の気持ちである。
冒頭で述べたように、おそらくこの気持ちは理解されないもので、もしかしたら夜職をしている・していた方には「誤解を招く」と叱られるかもしれない。

でも、「きっと世間に受け入れられないだろうから」と誰にも言えないまま、ずっと悲しい思いをしている人がいるかもしれないから……とあたかもヒーローのような立場でかっこつけてみたが、その人というのは結局私自身であり、この記事は悲しい思いをしてきた私自身に対する救済である。


仕事自体を自傷行為として

きっかけは、離婚した父の都合で生活費が足りなくなることを聞かされたことだった。
危機を感じた。ただでさえ母子家庭で苦しいのに、これ以上母に負担させるわけにはいかないと思った。

咄嗟に、風俗で働くしかないと思ったのは、それを自傷行為として利用できると思ったからだろう。

実は私は高校一年生の頃からリストカット常習犯だった。
自分を傷つける行為は、私にとってなんとか生きるための手段であり、表現であり、自分が誰だかわからなくなった時に現実に戻してくれる唯一の救いだった。

自分を大切に扱わないことで安心を得ていた。
そんな私にとって、体を売って身も心も傷つけることのできる仕事は魅力的に映った。リストカットよりもずっと傷つくことだと分かっていたからだ。

大金を得られるからだとか、母の経済的負担を軽くできるからだとか、そういうことはもうどうでもよかった。

いろいろ種類のある性産業の中から、一番過酷であろうと思ったソープランドの体験入店に行くことに決めた。
行ってから気づいたが、そこはソープではなくて店舗型のヘルスだった。
確認不足だったが、講習を受け、実際に数人とプレイをして、すぐに本入店を決めた。

こうして、自傷行為としての風俗嬢生活が始まった。


欲情されることは価値があるということ

たとえ道具であっても

初日の仕事を終えて帰宅してから、手に入れた5枚の一万円札を見ても何も感じなかった。

気持ち悪かったとか嫌だったという感情もなければ、たくさん稼げたという喜びも達成感もなかった。

ただ「彼氏とするのと何にも変わんないな」と思っただけだった。
それが、どういう気持ちだったのかは今でもわからない。

その後は週4日くらいのペースで出勤した。
風俗で働く前からやっていた接客のアルバイトと掛け持ちでやっていたから、なかなかハードな生活だったが、今よりずっと精神状態は良かったように思う。

それは、客に性欲を向けられることに嬉しさを感じ始めていたからだった。
ずっと無価値感を抱えて生きてきた。
でも、接客している時だけ「自分には愛されるだけの価値がある人間なのだ」と思えるようになった。

客にとって私の存在は欲を発散する道具でしかないとは理解していた。
性欲を向けられているからといって愛されていることにはならないことだって分かっていた。

それでも、欲情されることは自分に価値があることの証明だと信じた。

父からの愛情に対する渇望

20代から60代までのたくさんの男性と会ったが、40代くらいの客から喜ばれる時が最も価値を感じられる瞬間だった。

多分、父を重ねていた。

小さい頃から父はほとんど家に帰ってこなかった。
たまに帰ってきた時は豪華なご飯を家族みんなで食べたし、ゲームも一緒にした。

それと同時に別に子どもを作っていて、そっちの方に時間と愛情を注いでいたことを知るのは高校生の頃だった。

そういうわけで、父親がいる家庭、父親に愛されるという感覚が分からない。知らない。

ずっと、父親という存在に愛されてみたかった。
悪いことをしたら叱られたかったし、頑張ったら褒めてほしかった。

賢者タイムの客から「こんな仕事続けちゃダメだよ」、「親が悲しむよ」と説教されることは、父から叱られたいという気持ちが叶った気がした。

汗だくになりながらも私が動いて射精させた後、頭を撫でて添い寝してくれることは、父から頑張りを認められて褒めてもらいたいという気持ちが叶った気がした。

どんな客でも、買ってくれた時間の間だけは私だけを見てくれる。

でも、客は父親じゃないし、愛情を向けられた気がしていただけで、ただ単純に私は買われているだけ。
叶えてもらった気持ちは全部偽物で、本当は何も満たされていないことは、分かっていた。

いつだって虚しかった。空っぽだった。

そんな自分と、もう愛してくれない父親に、傷ついて絶望し、その度に客から求められることで得られる一時の安心感に縋った。


有償の愛からの逃避

給料は日払いで、退勤時に手渡しされる。

私にとってかなり大金だった。

でもこのお金は、客からもらった愛情が有償であること、偽物であることの証明だった。

そんなものは見たくない、いらない、持っておけない。

給料をもらう度、すぐに全て使った。
全く興味なかったのに、ギャンブルをするようになった。

仕事を終えて帰る途中にパチンコ屋に入って、全て溶かした。
偶然当たって5万円くらい増えたとしても、次の日にはまた全て溶かした。

一応は、家計を楽にさせるという名目で始めた仕事なのに、結局家に入れていたのは4万円だけ。
体を売って稼いだお金を母に渡したくなくて、渡していた4万円はアルバイトで稼いだ方の給料から出していた。

気づけば、得た給料をギャンブルで全てなくしてしまうのも自傷行為と化していた。
依存症になり、消費者金融で何十万も借り入れて一日でなくしてしまうようになったのは、数ヶ月後の話。


性を売らないと親密になれない

いわゆる「ガチ恋客」の中で印象的な人がいた。
私のことを恋愛的に好きになったと言い、プレイはせずにただ90分一緒に話すだけなんてこともあった。

そんなことは初めての経験で、私は戸惑った。

昔から、男友達と遊ぶ時だって必ずと言っていいほど性的な目で見られ、行為を迫られる。
それは、私が悪いのだと思う。
決して魅力的な容姿をしているわけではないのにそういう目で見られるのは、私が隙だらけで、嫌がる素振りを見せても結局許して、その後も関係を続けてしまうから。

関係を切られるのが怖い。
私と関わり、私の内側に入った全ての人がいなくなるのが怖い。
だから、繋ぎ止めておける手段が「女性という性を売る」しかないのであれば、どれだけ嫌でも頑張って応えた。

内面の素敵さで人を魅了するなど、私にはできるはずもなかった。
立ち振る舞いやこの文章からだって、どうしようもない人間感が滲み出ている。わかっているのに、変われない。変わりたい。

同性の友達は少ない。
自分のことはほとんど話せなくなり、いつまでも表面的な関係を続けてしまう。多分、本当の意味で親密になれた女の子はいない。
性を挟まずに仲良くする方法が分からない。最低だ。
それを見抜いているから同性の人は私と仲良くしないのだろう。
本当にごめんなさい。


退店

辛かったね、と私に

入店して2年弱ほどでついに辞めることにした。

前に進もうと思った。

もう夜の世界に戻る気はない。
それでもずっと後悔している。

あの客は元気にしているだろうか、突然何も言わずに辞めてしまってごめんなさい。店じゃなくて外の世界で出会いたかった。

家族へ、自分を大切にできない人に育ってしまって、ごめんなさい。

先生たちへ、何年も治らずにわざわざ破滅の道を進むようなことばかりして、ごめんなさい。

私へ、いつも身も心も傷つけることばかり選んで苦しませてごめんなさい。
「幸せになりたい」という気持ちを無視して、穏やかに生きられなくて、振り回してごめんなさい。

せめて、傷ついていた、悲しかった、辛かった、虚しかったということを自覚して文章にして、客観視して、救われたい。
自分で自分の頭を撫でてあげなければならない。

本当はずっと分かっていた。
性欲に応え続けること、それでしか繋ぎ止められないこと、父に愛されないこと、ギャンブルをせずにはいられないこと、全部全部辛かった。

これは症状なのだと思うことで、自分が傷ついていることとは切り離して無視した。

医学や心理学の用語で自分の身に起こっていることを無機質に説明して、そこにある感情から逃げた。
これは「スプリット」、これは「投影」と。「私は病気だから、こうなるのは当然、仕方ない」と。

辛いことを自覚してしまったら、耐えられなくなる。
私の中で、しんどいと感じることは許されなかった。

でも、ちゃんとしんどかった。
それを自覚してやっとスタートラインに立てた気がする。

おわりに

これは、私のための記事だった。
自己満足と言われても否定できない。

途中、何度も書くのをやめようかと悩んだ。
内容がセンシティブだし、私の思想が気持ち悪いし、誤解される可能性の方が大きいと思ったからだ。

炎上リスクについて教えてもらおうと思って、chatGPTに読ませてみたら利用規約に違反していると言って削除された。自傷行為や性の話を含むのがいけなかったらしい。

そういう内容が含まれてないところを抜粋してもう一度chatGPTに読ませてみたら「炎上する可能性が高い」と言われてしまった。
だろうな、と思ったし、流石に炎上は嫌なので本当にボツにするつもりだった。

でも、せっかく自分の感情に正直になるという一歩を踏み出したのに、この記事をボツにしたら矛盾する気がした。

何か批判が飛んできても仕方ない。
炎上覚悟の記事である。

また長々と書いてしまった。4000字にもなった。
今日は「頑張ったね」と私に。

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