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人との別れに慣れないからこそ

【『書く習慣』1ヶ月チャレンジ │ 最近泣いたこと】

5月13日に祖母が亡くなった。
もう2週間も経つけれどまだ実感はない。

その日の夜に連絡があったのだけれど、それまで外で友達と会っていて「人はいつか死ぬもの」って話を丁度していたからタイムリー過ぎて呆然とした。

祖母は重い病気だった。
母は病院に行って顔を見せに行っていたけれど最近は途絶えてしまっていて、私も子どもの頃のように家族揃って頻繁に会いにいくことはなくなっていた。
そんな間にも病院と自宅を行き来しながら、辛い病気と闘っていたらしい。
ここには書けないほど。

連絡を受けて祖母に会いに行った。
痩せ細った体を見て、冷たくなった体に触れて、涙が止まらなかった。
もうあの頃の元気な祖母はいないんだという悲しみがじわじわとこみ上げてきた。

祖母は家に遊びに行く度に美味しい手料理を振舞ってくれていた。
特に私はちゃんぽんが本当に大好きで、会っていない間もまた早く食べたいなと楽しみにしていた。
祖母の作るものに勝るちゃんぽんはないと本気で思っている。
また祖母は私と姉のことを本当に可愛がってくれていて、2人揃った写真をいつも欲しがっていた。
なかなか会いに行けていなかった時でも父に頼んでいたぐらい。
この前見た祖母のガラケーの待ち受け画面は3年前に父が送った私達の写真のままだった。
それを見て余計涙がこみ上げた。
祖母は母に「こんな姿で孫に会えない」と言っていたらしいけれど、本当はそれでも私達に会いたかったんだと思う。

人は死んだらもう話せないんだと、動けないんだと、最後には焼かれて骨になって触れられなくなるんだと改めて思い知らされた。
誰もがそうなるけれど、正直受け入れ難いし残酷だなと感じてしまう。
だから後悔する前に、会える時に大事な人には会わないといけない。
その人と過ごした時間や交した言葉を思い返して悔やんでいる時点でもう遅い。
最期のお別れの時に周りが祖母にかけていた「ごめんね」という言葉がいつまでたっても頭にこびりついて離れない。
これから自分がやりたいことをしたいと言っていたらしいことを考えるとやり切れない。

生きている限り大切な人との別れはいずれやってくるもので避けられないもの。
でもそれがいつ来るのかはわからない。
だから誰かと会う度に共有しているその時間を大事にしないといけないけれど、その時間を最後かもしれないと考える人はほとんどいないんだろうなと思う。
「また」があると思ってしまう。
でもそんな保証はどこにもない。

そう思いながら毎日を大切に過ごしていけたら1番いいけれど、なかなか難しいものかもしれない。
そう構えていたとしても、いざ誰かとの別れが来てしまうと何度経験していても慣れるもんじゃない。
人との別れは一生慣れないし、まず慣れていいものでもない。
慣れないからこそ、とてつもなく悲しいものだからこそ、もっと他の周りの人との時間を大切にしようって感謝しようって思えるから。
もう祖母には会えないけれど、このことを少しでも忘れないようにしたい。

おばあちゃん今までありがとう。

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