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【渋沢栄一から学ぶ】”柔らか頭”でピンチを乗り越える!!
こんにちは。
住谷知厚です。
もし突然難問にぶつかってしまった時、皆さんならどのように行動しますか?
歴史作家の加来耕三氏は、ピンチに直面したときのリーダーが悲観的なのか楽観的なのか、どちらのタイプに属するかで、チームの命運が決まってくるといいます。
ピンチのときほど、楽観的に考えられる人が、チームを窮地から救います。なぜならば、冷静に考えれば本来は、打つ手は無限にあるのですから。
それを体現したのが、のちに日本近代資本主義の父と称えられた”渋沢栄一”だそうでです。
渋沢栄一とはどんな人物か?
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渋沢栄一といえば、2021年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公としても話題になりましたね。
40年ぶりに刷新されることになった新一万円札の顔としても知られているかと思います。
渋沢栄一は様々な企業を立ち上げ、日本経済の発展に取り組みました。
約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わり、幕末から昭和までを駆け抜け、「士魂商才」を説いた、時代の先駆者といわれています。
「第一国立銀行(現:みずほ銀行)」の設立からはじまり、「一橋大学」「東京経済大学」などの学校設立や、「日本女子大学」「東京女学館」を設立など女子教育の発展にも大きく貢献していたそうです。
さらに、経済の発展だけでは格差はなくならないと感じ、社会公共事業にも力を入れるようになったといいます。
私利私欲で誰かが利益を独占することを嫌い、多くの経済活動、社会活動に関わり、日本の社会全体の利益を重視して発展していくことを目指した人物ですね。
パリ万国博覧会に出張
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江戸期の商人は士農工商の一番下の扱いで、武士と同席することはおろか、対面はきわめて冷遇されたものでした。これからは、日本も身分制度をなくさなければならない、と渋沢は強く感じたのです。
パリの万国博覧会に出張することになった渋沢栄一は、商人と軍人が同じテーブルで対等に会話する姿を見て、かなりのカルチャーショックを受けたそうです。
そこであまりの違いに絶望するのではく、やるべきことを次々と見つけて、喜び勇んで日本に帰国したといいます。
しかし帰国した時、明治維新で既に幕府は消滅しており、主人であった慶喜は将軍職ではなく、上野から水戸、静岡へと謹慎の身の上となっていました。
渋沢栄一はそこでも気落ちすることなく、できることから始めようとし、フランスで見てきた「カンパニー(株式会社)」を日本に作ろうとしたそうです。
最後に
この“軽やかさ”、フットワークのよさが渋沢の持ち味、真骨頂です。彼は常々、「俺なら慶喜公を説得できる」と心中で思っていたようです。もともとの身分からいえば、天と地の開きがありましたが、それすら渋沢は深刻に捉えませんでした。
~中略~
楽天的に発想すれば、打てる手は無限にあります。彼は日本経済のリーダーとして、そのことを生涯かけて示し続け、彼の意志を継いだ人たちによって、日本は経済大国に成長していったのです。
困難に直面しても渋沢栄一は深刻に考えず、「やれることからやってみよう」と挑戦し続けたといいます。
渋沢栄一のように、どんなピンチな時でも頭を柔らかく冷静に対処できるようになりたいですよね。
今日はここら辺で♪
《参考》
「難問にぶつかった」リーダーが知るべき超発想
新一万円札の顔「渋沢栄一」とは?
住谷知厚(すみたにともひろ)
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