見出し画像

誰にも伝わらない感動/届かない気持ちと仮初の感情

映像ドラマの作り方は大きく様変わりした。
大作を作るためにはそれこそ大金が必要で、長期間が必要だった。

それがいまは一変した。
AIの登場でコストが大幅に下がった。
が、デジタル化の波はコスト削減だけでは済まなかった。

それ以前からマス的なドラマの作り方は下火になっていた。
多数のドラマが作られ、動画アップロードサイトができてからは個人が好きな動画を上げ、自分の好みにあう作品を見るようになった。

が、そんなものの中では駄作も多い。
そして、個人の趣味趣向も細分化していった。

ハリウッドのような大作が好きな人、人間ドラマが好きな人、ただ単純に好きな俳優や女優が出ていて見るのが好きな人…人に刺さるモノは多種多様になり、誰もが楽しめるヒット作は少なくなった。

稀に出ることもあるが、それは単にコミュニケーションの一環だ。
話を合わせるだけの消費に過ぎない。
自分の趣味に合わない映画やドラマに付き合うことに疲れた人々が増え、そういったヒットはさらに尻すぼみしていった。

では娯楽はなくなったのか? というとそんなことはない。
いまでは『自分専用のドラマ』をラクに見ることができる。

自分の好きな話や傾向、俳優などを学習して、それを下に生成されるコンテンツだ。
自分が教え込まなくても自分の行動データを素材にして、勝手にいい具合にアレンジしてくれる。

そうするとアクションドラマでスカっとしたいときはどんなドラマを、恋愛映画を見たいときはそういった話を好きな女優や俳優をキャスティングして生成してくれる。
ちなみに著名人を使った場合はその分、使用料が払われる仕組みだ。
いまではドキュメンタリー風の動画や、リアリティショーのようなテイストの創作も、自分が見たい時間尺まで配慮して作られ、自由自在だ。

世界にはこれまで制作された映画や映像、小説…様々なコンテンツが山のようにある。それらを素材にして、すべてデジタルでーーしかし見た目は現実さながらのクオリティの物語を体験できるというわけだ。

そして、今日ーーとんでもない作品に出会った。

自分の好みにドンピシャで、ワクワクし、最後は感動した。
自分はそれが生成AIによる模倣創作ということを忘れて、涙した。

生成ドラマをただの模倣や劣化品と呼ぶ輩もいるが、それでも既存の組み合わせから新たな価値が創出されることもある。

しかし自分もいままで少し、生成ドラマを一段下に見ていたのかもしれない。
いまこの感動に貫かれ、どこかでただの暇つぶしだと思っていたことを思い知らされる。

ああ!! 誰かにこの思いを伝えたい!
他の人にも見てほしい! この感動を共有したい!!!!

しかし、それは叶わぬ願いだった。
これは自分専用にチューニングされたドラマだ。
他の誰も、この作品を知らない。

出力し、シェアしたとしてもこれは自分のためだけの物語。
きっと他人が見たとしても、駄作扱いされるだけ。

この作品は自分にとって最高だ。
しかし、他人にこの気持ちが共有されることはない。

誰とも共有できない。自分が見た夢のような話。

つまらない、作品だな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?