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泳げないわたしと、水に潜れない息子

息子の人生はじめての夏休みが始まって一週間。

6年間、盆暮れ正月以外はせっせと保育園に通い続けてきた彼は、小学生になってこの夢の1ヶ月半がスタートするまで、マジでマジで「夏休み?何それ、おいしいの?」状態だったのだけれど、もうね、3日で宿題ドリルも終わらせちゃって、毎日毎日遊びに遊んで、遊び倒して生きている。最高だね!

だけど、今朝の彼は憂鬱。

今日は学校で水泳指導がある日。
学校は大好きだし、プールも三度の飯より大好きだけれど、息子は「学校のプール」がきらい。

「だって、水に潜る練習しなきゃいけないんだもん」

保育園では「ガラスのハート」の異名をほしいままにし、繊細こそわが最大の特徴!として生きてきた彼には、もちろん「顔を水につける」なんつーのは、めちゃくちゃハードな行為。
やりたくない、やりたくないのにやらされる。だから「学校のプール」はいや。

一学期からスタートした水泳授業も、もう何度目か。結局、息子はいまだに水に顔をつけられないまま。とにかく「いやだ」の気持ちを重ねて、今日に至る。


かく言うわたしも、小学生の頃、とにかく水泳授業が大きらいだった。
息子と同じように、水に潜ることがいやでしかたなかったし、泳がさせられるから泳ぐだけで、それが楽しいと思ったことなど一度もない。
「泳げない子」のレッテルを貼られ(実際にそうなんだけど)、プールサイドの同級生たちから声援を送られながら、水を飲みに飲んで、どうにか泳ぎきった25メートル。先生はわたしを抱きしめて喜んでくれたけれど、わたしは「二度とやりたくない」と思っただけだった。

泳げないと困る、と言われ続けたけれど、実際、困ったことはまったくない。
だって、人間は陸生の生き物だもの。

泳げないと溺れる、と信じているひともいるけれど、泳げないひとはそもそも溺れるような行為をしない。安易に海や川に飛び込むこともしないし、水に入るときは必ず救命胴衣や浮き輪を忘れない。

泳げたほうが楽しい、という意見にはそれはそうかもね、とは思うけれど、泳げなくても楽しいんだよ、現実は。


こんなわたしだから、息子が泳げるようになる必要性も感じなかったし、彼がいやだと言うならそれを尊重してやろうと思っていた。
問題があるとすれば、まあ、水泳授業が苦痛になること。教師の熱血指導も、同級生の純粋なアドバイスも、どれもこれも、鬱陶しくてしかたない。高校生までの間、このストレスと付き合っていかなきゃならないのは大変だぞ、と経験者としては思っている。

だけど夫は、中学生まで水泳を習っていて、県のなんとか選手とかにも選ばれたとかなんとかのひとなので、自分ほどやる必要はないけれど「息子といっしょに泳ぎたい」という希望があるらしく、家のお風呂や、家族でプールに出かけたときなんかに、「ちょっとだけ、お水に顔をつけてみよう!」なんて唐突に言い出しては、息子にドライに対応されていて、それはそれですこし気の毒ではあった。

「お父さんは、できるから、あんなこと言うんだよ」

うちの天才息子は、いつも道理にかなっている。

だけどまあ、いやはいやなりに、ちょっと挑戦してみて。がんばるとか、諦めるとか、どういう風に自分の「苦手」と付き合うべきかは考えてもらわなきゃならんなと思うので、今朝も「学校のプールはできるだけ行ってくれ」と送り出した。


泳げることが絶対に必要だとは思わないけれど、泳げないよりはいいと言われればそれはそうだし、こんなことなら乳児の頃からスイミングに通わせておけばよかったかな、とか。だけど、そんなこと今さら言ってもどうしようもないし、とか。
ちょっといろいろ考えたりして。


またすこし日に焼けて帰った息子は、機嫌よく洗面台で水着を水洗いしている。
やっぱり楽しくなかったって言うかな、次回はなんて言って送りだせばいいかな。そんなことを考えながら、小さな背中に声をかける。できるだけ、なんでもないように。

「今日のプールは、どうだった?」

「今日はね、水の中で先生とジャンケンしたの!」

「水の中?手だけ水の中に入れてやるの?」

「ううん。お水に潜ってジャンケンするの」

はい?

水に潜って?

「水の中に潜ったの?息子も?」

「うん!潜れた!ここまで潜ったの?」

息子は頭の上で手のひらを水平に振ってみせる。

「息子、潜れたの!?お水に顔入れられたの!?」

「うん、先生がジャーンケーンって言って、ホイっていっしょに潜るよって言ってね。先生といっしょにホイってしたら潜れたの!」

公教育バンザーイ!!!!すげーや、先生!!!!天才かよ!!!!

「すごいね!めちゃくちゃかっこいいじゃん!がんばったんだね、素敵!」

そう言って息子を抱きしめたら、彼はわたしの腕の中で照れ臭そうに笑った。


いろんなひとに背中を押してもらって、息子は彼のペースで成長する。
たくさんの感情と向き合って、何かを手にしたり、手にしなかったり。

こんな風に、息子は彼の人生を生きていく。
わたしはそれを眺めて一喜一憂して、呆れたり驚いたり喜んだりをくり返す。

泳げないわたしと、泳ぐことをまだ諦めていない息子。

夏のはじまりの、うれしい日のはなし。

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