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幸田露伴の評論「貧乏の説」

貧乏の説

 自分が富貴でないからでしょう、貧乏の説をもとめられた。
 説が有っても無くても貧乏についてアレコレ云うことなどは余り嬉しいことではありません。その説を聴くことを人も余り喜ばしくは思われないでしょう。
 しかし物は観よう考えようです。立ち通しで一日を過ごす路面電車の運転手は坐った時が楽しいに違いない。一日坐り通しでいる銭湯の番台は立った時が嬉しいでしょう。そこで余り貧乏というものの味を味わい馴れない人々には或いは却って面白いと感じられるかも知れません。昔の大名が空腹を覚えた時に目黒の農家で塩の強い秋刀魚を食べて、秋刀魚は目黒に限ると云った笑い話も、確かに或る真理を示しているのですから。
 そこで憚り気も無く、貧乏の説を申してみる。御承知の通り、貧乏の貧は財の少ないということであります。金が無い、財産が無い、貯蓄が無い、家・蔵・田地が無い、ヤット生きているという状態なのをいうのであります。乏はどうかというと、これは亡という字にも連なっていれば無という字にも繫がっている字で、即ち「無い」ということであります。有って欲しいものが無いのが乏です。邦語で云えば「事欠け」がすなわち乏であります。貧・乏、ドチラも余り好いものではないらしい。
 貧窮となると、窮は狭苦しいところに身を曲げて入っている形でありますから、いよいよもって情けない悲しい状態です。貧賤となると、賤は貴の反対で、卑しい・低い・願わしくないというのでありますから、富貴の向こう側の位置にあるものをいうので、これも有難くないものであることは云うまでもありません。
 貧乏・貧窮・貧賤のほかに、貧という字の付く言葉には、貧素だの、貧困だの、貧窶(ひんろう)だの、貧蹇(ひんけん)だの、貧凍だのと云うのがあります。貧素は寒素というような意味で、貧で生地のままで文(かざり)や彩(いろどり)の無いものですから少しはまあ好い方ですが、物には文や彩が有った方が好いから、あまり褒めた事でもありません。貧困は貧窮と同じで仕方ない方です。貧窶はやはり情けないのです。貧蹇の蹇は足が萎えていることで、足が不自由では歩行ができないように、貧で何事も思うに侭ならないことを云うのです。貧凍と来ては、寒空に衣服が足りずに手足が凍り屈まって動けない状態です。何れを見てもイヤハヤであります。
 たった一ツ貧楽というのがあります。貧でも楽を感じて居るのですから、これは好いようですが、どうも痩せ我慢の様子があるのを否定できません。「食わず貧楽」などと云う言葉がありますが、食わずでは何と云っても生きている身には堪え難い苦痛です。もっとも本来貧楽という言葉が出て来たのは、「食わず貧楽」と云うことではありません。道を楽しんだ古(いにしえ)の賢人が、「一箪の食、一瓢の飲(いったんのし、いっぴょうのいん・僅かな飲食物)」で、貧民街に住んで居て、他の人ならその厭な思いに堪えられないところを悠然と運命に安んじて、これを楽しんでその道を変えずに居ると申したのです。確かにそうであれば、それは正に貧楽に相違ありませんが、そういうのは生まれつきが余程上等で、その上に修業を積んでいる人で、そこで始めて出来ることでして、なかなか以て並大抵の生まれつきの人が生易しい修業を積んだ位ではとてもできる事ではありません。古人の貧楽もただの人にとってはやはり貧窮貧困で、泣きツ面・皺ツ面・膨れツ面・ガッカリ面・気抜け面・死神面それらの面のどれかをして、みじめな様子を現わすに相違ありません。
 笑ってはいけません。自分も随分貧乏の経験は持って居ります。それどころでは無い、貧乏の仕通しで、富貴などと云うものは雲丹ほども嘗めたことは有りませんが、どう考えて見ても、イヤ考えて見たことも有りませんけれど、貧乏はたしかに余り好いものではありません。昔の演劇や小説だと、貧乏な奇麗な男が、美しい・才気ある・性格のおもしろい夫人に愛されて、そして富貴のイヤな奴がその夫人に嫌われて、猛烈な肘鉄砲を頂戴したり、雄弁美辞な嘲罵をあびたりして引き下がるのが常であります。しかしそれは昔でも余り事実としては多くは無かったらしいことで、単に演劇や小説の上での事だったらしい。曽我物語などで大磯の虎という美人が、一座の長者である和田の義盛に酒杯を献じてもらいたいと、一座の人々が望んでいるにもかかわらず、貧乏な曽我の十郎に酒杯を与えるところは、曽我の酒杯論と云って、物語中での華やかな愉快な場面です。今は物故されてから既に余程になりますが、明治の文壇・政壇においての一異彩だった田口鼎軒氏なども、酒杯論の場面は大好きだったと云って居られたほどで、「十郎を愛することを現わすに何憚るところの無い虎が、満座の中で酒杯を吾が情人に差す、振られた和田義盛がブツブツ云って、南無阿弥陀仏というところは堪らなくおもしろい」と云われましたが、成程それはおもしろいに違いない。けれども或いは曽我物語の作者が貧乏坊主かなんかで、貧乏な方が美人の愛を得るように貧乏気焔を揚げたのかも知れませんし、鼎軒先生も余り富貴の方では無かったからその場面を称揚したのかも知れませんし、また今でも自分がその場面を痛快がっているのも、実はヒョットすると自分が富貴党で無いためかも知れないと、至って正直に省察するとチットばかり後見られるところが無いでも有りません。
 歴史上では漢の卓文君などは大金持ちの愛女で美人であったのですが、貧乏な文人の司馬相如を愛して随意に共同生活をやったのであります。今日の人が申します新しい女なのですが、一体このようなことはチットも新しくは有りません。既に卓文君などは二千年近くも古い人ですから、いわゆる新しい女なんかというものは二千年ばかり時代遅れなのです。イヤそれどころでは有りません。自由行動を取って駆け落ちした羿(げい)という古(いにしえ)の人の妻や、取替え引替え若い男に接近して刹那的享楽主義を取ったと云われる西王母などは、どれほど古い時代の人だか知れないところを見ると、いわゆる新しい女は古い古い数千年も古臭いものかと思われます。イヤ話が脱線しましていけませんでした。卓文君に来られた相如は貧乏だったので、居酒屋をしてパンツ一つで徳利洗いなどをしたということが伝わって居ます。パンツ一つの色男などは実に痛快で、ブン子さんがそのパンツぶりに美しい眼を通わせながら帳場に坐って居たところなんぞは、貧乏党にとってはマドンナよりも有難い図かも知れません。しかしこのようなことは昔でも中々無いことだったから話の種子に遺(のこ)ったので、すべて話の種子になっていることは、それが稀有だから種子になるのです。ですから昔でも貧乏が好まれた訳でも何でも無いのです。まして十郎にしろ相如にしろ、彼等が貧乏だったから美人の愛を得たのでは無く、十郎は立派な魂を持った武士で、そして孝子であったから愛され、相如は優秀な文学の才能と音楽の妙技を有した詩人的情趣の豊かな人であったから愛されたのです。して見れば貧乏は貧乏であるために尊いのでは無かったのですから、やはり貧乏の為に気焔を揚げる訳には行かず、ただ後世の貧乏党が貧乏党にもこういう人が有ったぞというだけの事です。薩摩の人が、東郷大将が大功を立てられたのを「オイドンが国の人じゃ」と誇っても、それが無意義であると同様に、さっぱり無意義なことなのです。
 まして演劇などでも明治になってはもう昔とは違いまして、黙阿弥の「人間万事金の世の中」などになりますと、美しい女が貧乏な男を嫌うことを書いて居りまして、その中のセリフに「業平さんもヒョットコさんも灯りを消せば同じ事」と申して居ります。即ちヒョットコさんの金持ちの方が業平さんの貧乏なのよりも、「大切なる生活の保証が確実であるによって結婚の必須条件の具備という点に於いてヒョットコ氏の優者たるべきは必然の理なり」なんかという難しい意見を開陳して居るのであります。イヤハヤ貧乏人は、「浮世の風に肩窄(かたすぼ)る心も寒き空や・・」とか何んとかいう浄瑠璃に引っ張られて、トボトボヨタヨタと歩きながら、ブッブーという大きなオナラの自動車にひき殺されて幕になるというような事になってまいりました。
 小説の方でもコナンドイルだったか誰だったかの、「花嫁紛失事件」なんというものには、余り金の無い貴族が成金の娘と結婚しましたが、尾崎紅葉の「金色夜叉」にしても結局は紙幣(さつ)の束で横っ面を撲られた男の敗戦記のようなものであったと記憶していますし、そのような類の話を書いたものは沢山ある事になって来まして、薙刀草履を穿いた伊左衛門が水揚げかねし牡丹花のような立派な太夫を足蹴りにするなんということは、間違っても無いことになりました。
 ですから、どんなに写実とは云っても多少白粉も付いていれば香水も付けてある芸術の世界さえその通りなのに、まして現実の世界はソレハソレハ酷いもので、貧乏であったならば顔回だろうが樊噲だろうが鼻をひっかける者もありはしません。貧乏を論ずるなどはヨクヨクのお茶人で、お茶人も利休や宗旦の畠では無い、粉炭をゾロゾロやって茶を立てたと云われるヘンテコ茶人のノ閑(へちかん)のようなもので、そんな事をしていれば、アレが本当のヘチャムクレだと云われて仕舞いましょう。ことに従来は貧は貧、富は富で、ただそれだけの事でしたが、今では貧富に成功失敗の意味を裏打ちしまして、貧乏であれば失敗者とし、富貴であれば成功者と目して、そしてまた失敗者は悪いから失敗したのである。成功者は善いから成功したのであるという風に解釈したがる傾向にあります。そこで富貴であれば実際は才徳の無い人でも、さも才徳が有るように尊敬し、貧乏であれば実際は才もあり徳もあるが、ただ富貴を得る事に汲々としなかたために貧乏であるに過ぎない者をも、フンと鼻であしらう世情であります。これも今始まったことでは有りません、昔から、イヤ太古から存在した事実でしょうが、それが二十年来このかた成功不成功ということを余計に言い出してから、ことに強くなって来たことも争えない世間の事実であります。貧乏だと実質まで劣悪なもののように思う、富貴だと実質がよいものだと思う、富貴の人々に対する嫉妬や憎悪の念の一世に燃え盛っていることは驚くほどでありますが、その反面にはこういう状態がいよいよ増長しています。
 社会主義的な感情や議論が燃えていながら、その反面にこういう状態が見えるのは、一見甚だしい矛盾のようでありますが、実際の事であります。これは何故かというと、矛盾しているようではあるが、それが皆一つの事から出発しているからであって、少し観察すれば明瞭に理解することが出来ます。それは何かというとつまり世人が貧乏を嫌うこと甚だ強くなったためで、そのために富貴を尊び貧乏を卑しむのでありますが、それと同時に既に富貴を得ている人を、まるで自分等を永久に貧賤にする者でもあるように看做して、そしてそれを仇敵でもあるかのように憎むのであり、また現に貧乏である者をまるで自分等の一隊の敗戦を招いた愚かな士官や弱い兵卒のように看做して、これを憎むのであります。この人情世態はまことに険悪で残酷で有難く無いものであります。
 貧乏ということは種々の原因から生じるものであります。今日の人々はともすればこれを社会組織の不合理から来るように考えていますが、それは確かに社会組織の不合理から来ることも多い。しかし単に社会組織の不合理からだけ来るというのでは無い、他の種々の関係からも来るのであります。ただ社会組織の不合理からだけ貧乏が来るものなら、そういう社会に在って貧乏から富貴になる人が生じる道理は無いのであります。貧富というのも変化しないものではなくて、何時の世でも富者が貧者になったり、貧者が富者になったりするのであります。
 その一番大きい原因は個人の性格及び性格から生じる行為です。偏った性格、ねじれた性格、頑迷な性格、空疎な意見に固執する性格、その他種々の宜しくない性癖から生じるところの中心を失った行為、周囲との調和を破る行為、自己の悪所短所を弁護して進歩と修養とを旨としない行為、その他種々の宜しくない行為、これ等の性格や行為からはどうして好ましい結果が生まれましょう。たとえ最初は富貴であっても、これ等の悪い性格や行為の結果はその人を貧賤にしないではおかないでしょう。次に貧賤と富貴とを余り問題にしない人、これは小数ではありますが、芸術・学問の人や、普通の生活をしている人でも何処かに詩人的性情の潜んでいる人にある事実です。性格からもこのような事は生じ、また習慣からも、境遇からも、生理的からも生じるもので、貧富に心を取られないというと大層偉大なようでありますが、必ずしも偉大な人でなくてもこのような人は可なり多く世に存在するものであります。これ等の人は意識しながら貧乏になる人よりも苦痛は少ないでしょうが、貧乏に陥ってからの苦痛はやはり全く無いという訳には行きません。
 さて二番目に大きい原因は、自然が与える欠陥であります。誰しも美しく生まれたいには違いないが、生まれる時には何も知らない、知らない間に団子鼻に生れる者もあれば色黒に生まれる者もある通り、天然自然に農家に生まれたり、借金が山ほどある家に生れたりする。これは天然自然に貧乏なので、天然自然に富家に生れたりするのと同じ理屈で、甚だ違ったことが現われるのであります。なお一層進んで言えば、才能が不足に生れたり、腕力や眼力やその他身体の有様が低劣に生まれたりするのがあります。これ等の人は何もその人の意志では無く天然が貧乏を与えているのであります。これ等の人は憐憫すべきであって論議すべきではありません。この中で貧家に生れたり負債山積の家に生れたりする方は、それが外的事情であるから大した事では無い。却ってその外的事情の自然的欠陥はその人を鍛錬して利器にするような事情があります。彼(か)の貧児や孤児などで立派な事跡を遺す人物が生じた事実は少なくありません。
 三番目には不意の出来事であります。昨年の大地震大火災の為に働き手を失ったり家財道具を失ったりして、一時に収入や資産の無くなったような場合、誰だってそういう時に貧乏になるのに不思議は有りません。これ等は大抵次第に回復するものでありますが、またこれが原因になって転々として不幸は不幸を生み、復起状態に急には向かわないものもあります。これ等は実に悲しむべきことで、これに類した事では、養蚕に全力を傾注した時に生憎なことに糸価が低落したり、蚕の発育が気候のために不良だったりするとか、植林した苗が干天つづきで尽く枯れるとか、漁業設備を十分にしたのも関わらず、寒流暖流の往来の具合が異常になって漁獲が皆無となるとか、種々様々な事があります。これ等もまたどうすることも出来ないことで、そのために貧乏に襲われるということも随分世間には多いのであります。人力人智が届かない事態の発生は、聖賢といえども致し方無いのですから、これ等は天災と思うより他なく、まずは自分の出来る範囲で改善できることを改善する方が、災い転じて福と為す道でありましょう。
 第四番目には他人の行為によって、換言すれば自分の油断によって貧乏に陥れられるのでありまして、これも随分世間に多いことであります。他人の行為と云っても種々ありますが、激烈な競争によって敗者にされたり、詐欺によって転倒させられたりするのも有れば、アニリン顔料の出現によって茜(あかね)栽培の農家が亡びたり、銅鉱山の精錬排水のために陸産・水産の衰滅したりするような場合もあります。しかしこれ等はある程度までは、自分で貧乏になることを防いだり軽減することが出来るものですが、これもやはり同情すべき事情と看做して差し支え有りません。
 これ等の一切の事情と関係することでは有りますが、世間に貧乏というものを多くする最大の事に、第五番目の不道徳があります。即ち懶惰とか、非道生活と云うような事です。非道生活とは桁外れの飲酒であるとか、賭博常習であるとか、淫乱驕奢であるとか、麻薬中毒であるとか、邪教崇拝であるとかの類です。懶惰は魔王さえ亡ぼすと申しますが、懶惰ほど人世を浸潤してこれを汚染しその光明を滅するものは有りません。世間全体に懶惰の風潮が増長した時は、その国が他の国に征服されるべき時で、それが本当の末世であります。一家一人もそれと同じ道理です。非道生活は論じるまでもありません。非道生活をして、そして貧乏にならないのであれば、それはいよいよ恐ろしい最後となりますから、非道生活をする人にとって貧乏神ほどその人達を愛してくれる神は無いのです。ですからそれ等の人は貧乏神の愛児であることに感謝すべきです。
 さて最後に申したいことは貧乏の効用であります。この冷たい水に浸されることは一応は辛(つら)いことで有りますが、この水によって色々の汚れは落ちるのであります。悪友はダニのようにシラミのようになるものですが、一旦貧乏の冷たい水に浸る身になりますと、それ等の悪友はまるで種々の悪虫が水を恐れて去るように去って仕舞います。悪友の去ることほど人間にとって幸福なことはありません。その人の持っている天与の才能は次第に現れてまいります。各種の悪習慣は自然に取り除かれます。貧乏になった時、そこで一転頭すればもう将来は有望であります。春風春日であります。貧乏に対面する事を恐れて逃げ隠れしてはいけません。勇士が陣に臨むように、ただ敵に会わないことを恐れて、敵に会うことを恐れない様でなくてはなりません。もしも人が貧乏に苦しんでいるのを御覧になったら、願わくはその人の貧乏を緩めてやろうとなさいすな。チフスにかかった人に解熱薬をやたらに服用させても、害有っても効少ないのと同じであります。願わくはその人を正当で有らせたいと祈ってやって下さい。一寸逃れの道を講じてやらないで、真の親切を以って徹底的にその人が貧乏の淵から這い上る勇気を出すようにしてほしいのであります。
 世界の文明は富貴の人によって送り出されたのが多いか、貧乏な人によって造り出されたのが多いかと云うことは興味の大きい、そして関係の広い十二分に研究価値の有る問題です。自分は世界の文明は貧乏人によって造り出されたことが多く、そして富貴の人は貧乏人の恩恵によって幸福を受けているものだと答えたいのです。この事は長くなりますから、今ここでは措きまして、貧乏の妙趣を考える事は皆様に御委ね致して置きましょう。
(大正十四年一月)

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