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~移植と昏睡④~
前回の続きになります。
私が昏睡していた数週間については、あまり情報が正直ありませんでした。
私が知りたがろうとしなかったというのもありますし、ICU担当の看護師と病棟担当の看護師が違うというところもあったのかもしれません。
「医師に聞けばいい」と思われるかもしれませんが、医師の方と接するのは 回診の時のみであまり深い話をすることができなかったという事実もあります。
ただ、自分がリハビリや 食事など退院に向けて努力をしていく中で、どうしても気になったのは『昏睡時の私と現状の私を比べて褒めてくれる病院の方の態度』でした。
別に悪い気がするわけではありません。ただ、私の感覚とずれてしまっているので、だんだんと気になり始めたというところです。
▼ 面会
7月のある日、両親が面会に来ました。
両親は私が昏睡時に2度訪れており、眠っていた私の様子を知っています。
両親としても「焦らず頑張れ」と口々に言っていたのが記憶にだいぶ残っていましたので、思い切って聞いてみました。
「自分が昏睡の時どんな状態だった?」
ということです。
多少話しにくそうにしていましたが、 父が一言だけ言いました。
「…諦める覚悟をした」
と。
もちろん病院からの説明もあって私の姿を見たというのもあるのでしょうが、私が倒れた時は想像をはるかに超える程悪化した状況だったということでした。
自分には3歳になる息子がおり、以前Noteにも書いた通り親として子供 か先に死ぬということはとても耐えられるものではありません。
…それを覚悟させたということはよっぽどの状態だったんだなというのを瞬時に悟りました。
もちろん死ぬつもりが昏睡時の私にあるわけないですが、自分の感情とは別に身体がそれに耐えられなければそういった事態が起こっていたかもしれないというのは事実です。
話を聞き終わり、改めて思いました。
今、自分がここにいるのはただ単純に運が良かった…それだけなんだろうなと。
・たまたま優秀な医師たちに対処してもらえた
・たまたま設備の整った病院で処置をしてもらえた
・たまたま薬が効いて副作用から回復した
様々な偶然が自分にはプラスに働いて この世に生を留めることが出来たんだなとということに気づきました。
だからこそ周りの
「よくやった」
「頑張った」
「焦るな」
そこに繋がってるんだなということが、ようやく分かりました。
▼ 医師と
数日して当直の医師と話す機会があり、思い切って聞いてみました。
「私は死ぬ可能性もが多いにあったということでしょうか?」
と尋ねました。
医師は少し驚いた感じでしたが、両親からある程度当時状況を聞きましたと説明をすると「…そうですね 」と答えました。
「年齢や病状など一概には言えませんが、同じ様な状態から蘇生した方は世界的にもほとんど前例の論文がありません。なので、おそらく論文になるようなレベルの回復と現状になるのではないかと思います」
と回答されました。加えて
「前例がないのでどのように我々としても対処していいのか手探りなところはありますが、しっかりとサポートしていきます」
と回答をされました。
私は改めてその説明を受けて、今の自分がどれだけ恵まれているのかと感じました。
ご飯が食べられなくても、左足に麻痺が残っていても、声がかすれてほとんど出なくても、私は生きているんだということを少し実感した気がします。
もちろんやりたいことはたくさんありますし、この病気で出来なくなったこともきっとたくさんあるでしょう。
ただ、自分が本当に望むことや本当に必要としていることがあればチャレンジしてみたいと思いましたし、私があと何年生きるかわかりませんが、私が生きていることで同じ病気で苦しんでいる方の目標にもなるのではないかと勝手ながら思ったりもしています。
▼ さいごに
次回で一旦今回のシリーズは終了とします。
退院の目処がたって…の様なNoteが書ければ嬉しいですが、まだまだどうなるか分かりません。
早く元気になりたいものです。
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