旅に生きる20180814

※旅のレポートですがかなり内容がおかしいです。

旅費はみなさまの投げ銭で賄っております。



今年も無駄に元気な夏が来た。

戦争が終わってもまだざわざわする人間がいる。完全なる歴史になる境目だからしょうがないのだろう。       

しかし騒ぐ張本人はなんでもそうだが、一番『当事者に遠い』人間だ。

別に何か区切りがあるわけではない。


福島県が原発事故に遭ってから7年、

正直なところ6号線も脇道が通行禁止だったり、停止したり二輪で走行できないだけで通り過ぎることができる。そして原発の入り口の交差点まで行くことができる。まだ終結していない最前線の横を帰省の車が通り過ぎる。

避難区域だったところがどんどん解除されている。しかし完全に人口が戻った自治体はない。

ちょっとした社外マフラーよりもうるさい蝉しぐれの中、飯館村にある神社を訪ねる。

飯館村は2011年、4月22日から避難区域に指定され、今は長泥地区以外は解除されている。

空間線量も低いが、あまりに人気が少ない家が多すぎる。

正直牧場や農業関連の人、そして高齢者以外は福島市や伊達市にそのまま居ついているのだと思う。

だって一度便利な暮らしを体験し、補助や弁償が手に入ったのなら戻る義理がない。

ここは『虎捕山津見神社』という神社だ。

辺鄙(ごめん!)な立地だ。観光地でもないし常に参拝者がいるわけではない。

でも古い由来があり篤い信仰を集め、仙台などからも講で集団参拝があるほど愛されている神社である。

山間の民家も数件の道路沿いにとつぜんに立派な鳥居と広大な駐車場が現れる。

ちなみにこの神社は調べると謂れよりも先にニュース記事が出てくるはずだ。

2013年4月1日に火災が発生し、社殿と宮司宅が焼失した。山頂の本殿は火災の起きた社殿から離れているため焼失を免れた。
拝殿は2015年6月に再建された。計242枚のオオカミの天井絵が東京芸術大学の学生たちによって復元され、2016年10月に収められた(wikiより引用)

この神社の本殿は虎捕山山頂にあるわけで、この立派な鎮守の森は『拝殿』なわけです。高さは705m、山頂まで30分の道のりだが今回はパス。サンダルなのと何も装備がないため、そして蚊と虻の攻撃に無対策なため。実は駐車場でドアを開けた瞬間から攻撃をくらっており刺されまくっている。

ちなみに駐車場は二か所あってどちらも広大、そして車のご祈祷所への通路もちょっとした林道のような規格でこのまま入ってしまいたくなる。ちなみにこのまま車で侵入しても行き止まりに駐車場があるのでいいっちゃいいのだがやはり鳥居から歩きたい。

実に立派。

駄菓子菓子割れているんですね。これが震災前なのか震災後なのかはわかりません。

『明治四拾五年』の文字が見えますか?立地と人気のなさと不釣り合いなほどに愛されている神社なんです。

なんでこんなに寂しいのかは置いておいて、この神社の由来は、この地に『橘墨虎』という凶賊が住み着いており、巨体で力も強い上に神通力も使うというチートっぷりでこの辺りの領民から強奪を繰り返しておりました。

さらに周りの豪族も墨虎に従って勢力衰えるところを知らず!

そこに源頼義が奥州鎮守府将軍として近くの掛田という土地へ陣を張った時に住民が

「おねげぇですだ、陸奥守様!この虎捕山には墨虎ちゅう賊がいて、おれらはほとほと困り果てて死にそうなんだ。助けでくんちぇ!」とお願いをしたわけです。

源氏二代目棟梁、弓の名人源頼義、住民の訴えを受けて

「捕えてまいれ!」と部下に命じるも、地の利を生かし、宮城県亘理まで逃亡しては舞い戻りゲリラ戦をしかけてくる墨虎に手を焼きます。

彡(-)(-)「どうしたらええんや・・・」

そんな頼義の夢に山の神が現れ

「おいこら、よーく聞きやがれ!一回しか言わねぇぞぉ?白い狼の足跡あんだろ?それ辿ってみいや?ぜってー墨虎倒せっからよ?わかったかボケ」

そして狼の足跡を見つけ辿っていくとついに墨虎が潜む岩穴を見つけ、

「墨虎天罰まぬがるべからず朝命の刃に伏せ!」

とソシャゲの詠唱とかに出てきそうな言葉を叫び刀を投げると見事墨虎の体を貫いた。。。。

彡(^)(^)「神様のおかげやで!サンガツ!」

と感謝し頼義は祠を建て、その山はいつしか『虎捕山』、地名は『佐須(刺すから転じたとかなんとか)』となり、その後北畠顕家も戦にたびたび勝てたため篤い信仰を得ることになったそうな。


めでたしめでたし・・・・

つまりそういうことでここは狛犬ではなく狛狼がお出迎えをしてくれます

「なんじゃこら」

「撮影許可取れや」

ひぃえ~すいません!ごめんなさい!

けっこう強面じゃないすか・・・・(;´Д`)とりあえず礼をしまして通らせていただきます。

手水場。立派でしょう?ちゃんとポンプで水が出っぱなしになっており大変清潔です。

さらに宝物庫がいい雰囲気出してるんです。これは焼失を逃れたんでしょうね。

ちょっと擦れて見えにくいんですが『昭和八年』としっかり刻まれていますね。

そしてこういう移動可能なモノにまでしっかり寄進した人の名前が入っております。相当に篤い信仰を受けているのがお分かりいただけると思いますが、本当に独り占めです。社務所も無人です。

これは拝殿の横にある自動車ご祈祷所です。すぐ裏が山でございます。

宝物庫の横。戦前ぽい作りの蔵っていうのは少ないんです。もちろん戦火に焼かれたのもあるかと思いますが、そもそも蔵をこういう様式で建てること自体が珍しかったんじゃないかな?と勝手に予想しております。答えは知らなくてよし。

それではいよいよ拝殿へ。

なんと鳥居をくぐったところとまた別でこちらにも狛狼が。こっちが『古株』さんなのでしょうか?少し顔つきが荒々しく体つきも骨ばっており野生感が強いです。

しっかり新しい注連縄を首に巻きオサレなお盆スタイル。しかしなぜ『狛犬の首に注連縄』巻くんでしょうね?

それでは拝殿を・・・・

綺麗ですね。再建も非常にお金をかけて立派にされています。もちろん『復興』させるのも手なのでしょうけど建築法とか消防法とか施工費とかいろいろあると思うので。

ところで見て気が付きませんか?

俺が映っている扉、『自動扉』っすよ!(プッシュする式ですけど)

お寺とか都市部の神社だとたまに見かけますけど山奥にどん!と自動ドア。こいつは狼もびっくりしたんじゃないでしょうか?

中は成田山新勝寺を綺麗にして超コンパクトにした!みたいな感じ。やはり相当な人数がお参りするようで床布が立ち位置バミってあるかのように擦り切れております。

愛されている証拠ですな。残念ながら山奥の神社だと見かけることがないのですが、ここはたくさん奉納されております。

焼失前を再現したという天井の狼絵。なにかストーリーになっているのかな?と思いましたがまったくわかりませんでした。

でも1枚1枚すごく息遣いを感じます。もちろん復元だから色鮮やかなんですけど『ビンテージっぽさ』もある。レリックな古さではなくちゃんと経年劣化したかのような質感。これを再現した東京芸術大学の学生さん達すごいよ!

一部を見やすいところにも配置してあったり、衝立に飾ってあったりして絵をよく観察することもできる。

さて長いので音楽でも聴きながらどうぞ


冒頭で避難区域に指定された日を書きました。

ここまで引っ張ったのはほかでもない。

原発事故で『風下に当たる地域が危ないから避難するべきだ』と一部の学者は言っておりましたがここ飯舘村が避難区域になったのは1か月も遅れてから。


探しても数値を載せた情報が消えているのでデータが出せないのだが、

甲状腺に異常・経過観察の診断が出た子供は

『断水時に滞在していた福島市内』そして飯館や伊達の風によって線量が高かった地域に多かった。

なぜこれを覚えているかっていうと車屋も原発事故とは無縁ではなかったのですよ。

エアクリーナーというエンジンに空気を吸い込む部分でゴミを取り除くフィルターがある。

車検や整備の時に劣化が見られないならエアで埃や汚れを落として再利用するのが当たり前なわけです。部品代も抑えられるし、頻繁に取り換えるようなもんでもないから。

ところが福島市の車、高線量なのに政府が最初に避難させなかった自治体の車のエアフィルターを調べたら(これを調査したのは現代。雑誌としてはアホだけどこれはナイス。)

テルル132が検出されたんですね。テルル132あるところにヨウ素132あり。

ヨウ素132は半減期が短い。つまり人体へ影響が強い。しかしテルル132があるとこれが変化してヨウ素132が生成されてしまう。

しかもこのテルル132は人工的な核分裂生成物らしいので通常3日ほどの半減期の物質が漂っていた、そしてもちろんそれが変化したヨウ素132(半減期8日)を吸い込んでいたということになります。


30kmの同心円内を避難区域にしてSPEEDIを隠して『一番お金を使わない方法』を取ったんですよ国は。

自分はまったく化学とか物理苦手なんでわかりませんけど、放射性物質は

『チリと同じ』なんだそうです。

つまり風に乗って飛ぶし、雨で染み込む。

なんでまずがーっと避難させて除染で染み込む前にガシガシ流しておけば良かったわけです。

しかしこの国の官僚は公害などでも

「裁判とかそういうふうになる不安定な状態を維持し、最終的に保障を出す範囲を狭める」ことをします。

20Km範囲の人にだけ手厚い金額が最終的に出るかもしれません。

逆にどんなに大金でも今もらった額で打ち切りオシマイの人はもう

「騒ぐ権利はないんだぞ」っていうことです。

そうしておけばどんどん高齢化して当事者が死に、遺族が死んでいったところで手打ちしておけば支払いは最小限、

しかし事故を起こした会社はそのまま存続させて対策などで税金をたれ流せばおいしい利権が作り出せる。

だから東電は国営化されない。

除染も数年経ってもう意味がないころに税金じゃぶじゃぶで結局潤ったのは土木建築関連だけだ。

天下りとかそういうのは新しく創生できたから官僚は新たな国から吸い取る方法を編み出したことになる。

作り物はすぐ作れる。しかし復興ってそうじゃない。

街を整えたってニュータウンみたいな雰囲気を全体が覆うんじゃもうそれは『故郷』ではないし、コミュニティは金を使っても人が戻って違和感が消えない限り復活はしないもの。


初期対応が適切ならこうはならなかったと思うのだよ。

逃がしてきっちり除染したら、もっと広いエリアが復興できたかもしれない。そうすれば建物ばっかりじゃなくて産業や雇用に大きな税金を使えたはず。それをみんなコンクリートへ使っちまった。


そのくせ命に係わる大切なインフラは絶賛放置中だからあちこちで橋が崩落したりしてるわけじゃん?

ここは建物は新しくなっちゃった。

宮司さんの家(と思われる)も真新しいが生活している気配を感じない。

それでもオオヤマツミが鎮座してると信じお参りを欠かさない講の人や手入れをしっかりしてくれている宮司さん、氏子のみなさんがいる。

自動ドアになったって『心は壊れていない』そういう場所だ。

そう思った。


新しいトンネルと橋と高規格な道路が行きつく先の集落は人気がない。

家は昔のままなのにもう二度と戻らない原風景が残ってる。


この近辺ならもちろん『霊山』が一番真っ先に浮かぶとおもいます。あと伊達地鶏とか。

でも『なんとか保てた場所』と『保てなかった場所』が同じ自治体にあり、しかも車で1時間もぐるぐるすればそういう寂しいところから福島市の繁華街まで行けてしまうわけです。


これが一番残酷だと思う。


「さあ、新しい家だよ。鍵をお開け」

若い親は子供にそう優しく言ってくれるかもしれない。

その子が成人したら東京に行くかもしれない。

もう『故郷』ではなく『ルーツ』になってしまう。

すぐ帰れる場所が『起源』になって、しかも便利でもなんでもなく、きっとこの神社とか郷土史に興味を持たなければそのままフェードアウトしてしまうだろう。


そういう故郷と一緒にただ消えてやろうと思う自分はおかしいのだろうか?

もちろん年寄りのように

「住んでたから」とかじゃない。

むしろ田舎の衰退って排外的だったお前らが元凶だと言ってやりたいし、

残った若いのも「ウェーイwwww」ばっかでチンピラか公務員かよほど規模がでかい家業のある2代目ばっかじゃん。


そういうやつらは祭りとかやるだろうけどきっと見えてないと思う。

勝手な偏見決めつけだけどさ、

「常に狼がオオヤマツミとともにこの山にいる」って

直接じゃなくて日本人的な『畏れ』を抱いて

自然に感謝したりしねーだろって。


もちろんつる〇剛士みたいに日本会議とか神社本庁に担がれないとわかんねーよーなのばっかじゃないの?

自分は宗教が政治に口出しをするべきじゃないと思っている。

そんなの信長がしっかり叩き込んでくれたじゃん。

なんで神社で政治活動するん?なんで神社を政治に利用するん?

そういうのに左右されずあるべきように生きられんの?

別に神社行けってことではないんです。

だってお守りだって自動販売機で買えるんだぜ?(笑)

無宗教でもなんでもいいけど

日本は『災害から逃れることはできない』くて、

そういう自然を擬人化して生きてきた。

だから「ウエーイwwwww」って生きてても

『自然はお前らを見てる』わけ。


地震、山崩れ、噴火、津波、豪雨、冷害。

そういうのをわからせなかった年寄りもダメだし

知ろうとしなかったガキもダメ。

俺ももっと早く知ればよかった。


『日本人はへばりついて生きている』んだって。

きっともう狼の足跡見つけられないんだよ、俺ら。



投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。