見出し画像

優しさ、気遣い、想像力



今、その時、
自分さえ良ければ
それでいい。

そういう人たちがたくさんいる環境で働いている。
(少なくとも、私の個人的な感覚で、そういう風に感じている)

大多数の人が、
優しさや気遣いに欠けている。
大抵は、
自分以外の誰かに思いを馳せたり考えたりしているようには見えない。
みんな、
優しくないわけじゃない。
気遣いのカケラもないわけじゃない。
みんな、
誰かを傷つけたいわけでも、
誰かを排除したいわけでも、
決して、ない。
あくまでも、
その時の自分のことにしか意識が向いていない。
ただそれだけなんだと思う。
目の前に誰かがいて、直接関わっていれば、優しい。
でもそうじゃないとき、
今現在は見えない誰かのことは、想像ができない。想像力が足りてない。
ただそれだけなんだと思う。


もう結構慣れた。
イライラしなくなった。
そこまで驚かなくなった。
自分では考えられない言動をする人を、おもしろく感じることもある。

でも、時々、
ちょっと悲しくなる。

人が集まって、
人と人が関わりあって、
みんなで働いているのに、
こんなにもひんやりした空気になるものなのか。とか。
誰かの無意識の自己中によって誰かの負担が増えているのを見たとき。とか。
自分の存在が蔑ろにされたように感じたとき。とか。
私は別に、みんなから優しくされたいわけじゃない。チヤホヤされたいわけでも、私が楽をしたいわけでもない。
ただ、働く上でとか、人間関係においてとか、最低限の気遣いってあるよね、とは思っている。



私は、
仕事だけの人間関係に、愛情はなくていい、
と思っている。
あるに越したことはないだろうけど、湧かないなら、なくていいと思う。

仕事のためだけの、機械的な、事務的な、最低限の関わりだけで、別にいいと思う。
でもそれは、相手を機械だと思っていいという意味ではないし、他の人の気持ちを考えなくていいという意味でもない。

相手に対して、周りの人に対して、
愛情はなくていい、
でも、
人として、尊重はしなきゃダメだと思う。






時々、ちょっと悲しくなる。

私は“人”だよ、と心の中で呟く。
そしてあなたも“人”でしょう?と。

人には感情があるんだよ、
人の感情は、人と人との関わりで、強く動くんだよ、と。



心の中で呟くだけ、ただそれだけ。

色んな人がいて、色んな価値観があって、色んな考えがあって、色んな働き方があって、色んな生き方がある。


たまたま、今私が働いている環境が、自分の感覚と合っていないだけなのかもしれない。
私はそういう環境だと感じていながら、そこで働き続けることを、自ら選んでいる。それは、“時々悲しくなること”以上のメリットを、今の仕事で感じているから。

ただ、私は、今自分が感じている“悲しくなる”感覚を忘れたくない。
いくら自分が悲しい思いをしようと、いくら周りの人に蔑ろにされているように感じようと、いくら他の人の無意識の自己中で自分の負担が増えようと、
私は、今私自身ができている気遣いを、し続けたい。なんなら、私ができる最大の気遣いと優しさを振りまいて、周りの人の負担を減らすことができたら嬉しい。
私は、関わる人に対して愛情が湧いてきてしまう人間だから、相手からいくら機械的な扱いを受けようが、私は、愛情を込めて接したい。

自分にできる気遣いや持っている優しさが、これからも生きていく上で、まだまだ全然足りていないと思っているからこそ、今の職場のような環境であっても、周りに合わせず流されず、感覚を麻痺させないように、していきたい。
そして、職場にいるほんの少しの、とても気遣いができて優しい方々と、いつか分かり合えたら嬉しいななんて思っている。

















最後までお読みくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?