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椿姫 デュマ・フィス 感想

椿姫(デュマ・フィス作)を読み終えましたので感想。

あらすじ

椿の花を愛するゆえに“椿姫”と呼ばれる、貴婦人のように上品な、美貌の娼婦マルグリット・ゴーティエ。パリの社交界で、奔放な日々を送っていた彼女は、純情多感な青年アルマンによって、真実の愛に目覚め、純粋でひたむきな恋の悦びを知るが、彼を真に愛する道は別れることだと悟ってもとの生活に戻る……。恋愛小説の傑作。

感想

驚くべきは出版年がなんと1848年であること。

この恋愛小説を簡単に要約すれば、「高級娼婦の女が本気で男を愛したが、娼婦であるという過去を消すことはできず、相手を愛するが故、身を引く」という話。

1848年から人間は1歩も成長していないんだなぁと。

あとがきに訳者による似たような解説があったのですが私なりに書いておきます。

つまりはこの本が言いたいのは、世間や社会が見ているのは、肩書き、お金にすぎず、関係性や人間性などは社会的地位の上でやっと目が行くおまけ程度のことでしかないって事。

本気で相手を愛しても、何なら愛し合っていても、高級娼婦という社会的地位の上ではそれは許されない。まず社会のテーブルにつかないとね。椅子のない人に、人権などないんです。それは椅子に着こうと、誠心誠意努力しても、やはり椅子は用意されない。一度席が用意されなかったら、もう一生そこに座ることができない。このことが、古い時代に書かれた話なのでかなり膨張されています。しかし私は今もかわらないと思うな。いまはみな平等といわれているし、差別(や貧富の格差)はよくないとされるけど資本主義である限りこれはなくならないと思う。1800年代からこうした文学作品で訴えられているにもかかわらず200年も人間はずっとこの社会における問題を孕んだまま繁栄してきているんだから、もう解決は無理なんではないだろうか。

あと、表向きのメッセージは、「椿姫」ことマルグリット・ゴーティエは真実の愛を持った女であり、「真実の愛」とは自分の為に誰かを愛するのではなく、身を粉にしても相手の為にすべてを捧げることだという恋愛小説の普遍的なものですね。

このような文学作品は一気に読む面白さはないですが、倫理観が非常に勉強になります。外国の作品、かつ古い作品である割に日本語訳が非常にわかりやすく、読みやすいので、一読に値するかと。

椿姫を愛する青年アルマンの語りで物語のほとんどが綴られるのですが、傲慢な男の嫉妬と虚栄心が非常にリアルで、腹立たしく、人間味に溢れている。私は椿姫の立場なら、いくら彼を愛していても、彼の嫉妬心と虚栄心を許せない。それは私は今まで本気で恋愛をしたことがない(本気で誰かを愛したことがない)証拠だし、私に恋愛は不向きだなと思った。愛は赦すことだからね。しかし作中では、「贖罪のない赦免はありません」とつづられていたけどね。

そういえば、私は、フランス文学作品は初読みでした。前述の恋愛描写の生々しさはさすがはフランスという感じか。

追記

今調べていたらミュシャが戯曲のポスター書いてるんですね。(※見出し画像)素晴らしい。私ミュシャが好きでね。日本人に人気あるよね、ミュシャ。

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