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「なつかしい 未来へ」という言葉


3月11日。
この日が来るたび、多かれ少なかれ、誰しもが何かを思わざるを得ない、そんな日。
あの日、2011年から、3月11日は意味を持つようになった。


「大変なことになったなあ。」
当時わたしは、高校3年生。実家のテレビに次々に映し出される映像は、"大変なこと"の深刻さを浮き彫りにしていく。

そんな状況を息を飲んで凝視しつつ、画面越しに見る光景はどこか現実味がなかった。

「実際に目で見て、知らなければいけない。」
そう思ったわたしは、震災から約2年後、とあるプロジェクトに参加し、東北の被災地を数カ所訪れ、実際にその地の状況を目の当たりにし、微力だがボランティア活動にも参加した。

あれから経った今も、あの日見た光景と言葉、そして感じたことは、二度と忘れることはないのだろう。 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

南三陸の宮城県 防災対策庁舎。
避難していた人の多くが、亡くなりあるいは行方不明になった。最後まで、市民に防災無線で高台へ避難するよう呼びかけ、命を落とした職員の方もいたという。

ぽつんと、鉄骨だけが痛々しく残っている様は負の遺産、原爆ドームを彷彿とさせた。

実際に訪れた当日は肌寒くも、雲一つない突き抜けるような晴天。
近いところから、遠いところから、何羽もの、鳥の声が重なって響き渡っていた。

大きな瓦礫は、もうすでに撤去されて、辺り一面、細かいガラスや瓦礫が広がるばかり。

「国、破レテ 山河アリ」
という、かの有名な漢詩が頭によぎり、
何もない、その中に響く鳥の声が、より虚しさを増幅させる。

ふと、目線を足元に、向けると砕けた、ラーメン鉢があった。
2cm程度のカケラだったが、ラーメン鉢だな、と瞬間的にわかったのは実家に似たような赤いグルグルの渦巻きが描かれたラーメン鉢があったから。

家族揃ってラーメンを食べていたのかもしれない。
恋人同士で食べていたのかもしれない。
一人で食べていたのかもしれない。
お店のものかもしれない。
ー今、この食器の持ち主は.....。

ここに、誰かの暮らしが、あった。
誰かの当たり前が、あった。

報道される、何百、何千、何万いう大きな数字の中に、一人一人の当たり前で、ささやかな暮らしが確かに存在したのだ。

決して軽い気持ちで、この地を訪れたわけじゃなかった。
けれども、改めてその事実を本当の意味で噛み締め、わたしは真綿で首を絞められたような感覚になり、深く、息が吸えなかった。

歩みをすすめ、ほかに細かな瓦礫や石以外に何もないこの場所に、目に飛びこんできたものがあった。この町や市の、あるいはどこかの団体のスローガンなのだろうか、
白い縦看板に、黒い筆文字で力強くこう書かれていた。

「なつかしい 未来へ」

ー懐かしいとは。
過ぎ去った時間を偲ぶ、郷愁にかられるような、想い。
ー未来とは。
これから起こること。将来。
普通、なつかしい、に対応する言葉は過去にあたる時間軸だ。

懐かしい昔のように、未来に当たり前の生活が営めること。
近い未来、前のように、それぞれが笑顔で生活できますように。
それまで、力を合わせて乗り越えよう。

寄り添うような温かさや優しさ、
そして立ち上がってみせるという、力強さ。

一見して矛盾した言葉に、込められた想いに目頭が熱を持ち、わたしは眉間に力を入れるしか出来ず、しばらく立ち尽くした。

被災された方々の話も聞いた。
「東北を、忘れないでほしい」
「誰かにこの地で、見てきたこと、感じたことを伝えてほしい」 

わたしには、何が出来るんだろう。
重い宿題が課されることになった。

*…*…*…*…*…*…*…

震災から10年以上が、過ぎた。
あれから、10年。
昨年はそんな風に報じられているのを多く目にした。が、本当は10年なんて、区切りはないのだと思う。
今も、大変な暮らしを余儀なくされている方だっているし、まだ全部が元通りになったわけじゃない。時が悲しみを癒やす、なんて言葉を使って良いのは、悲しみを背負う当事者だけだ。


3.11。あの日から10年以上経ち、わたしは、かねてからの夢を叶え、教壇に立ち、未来を担う子どもたちと、大変ながらも充実した日常を過ごしている。

防災訓練があるたびに、災害を扱った教材を
学習するたび、わたしは口を開く。

当たり前の生活が、命が、一瞬にして消えることがあるということ。
かけがえないのない命を、守るために今、出来ること。
あの日、わたしが見てきたものたち。
困難や試練を乗り越え、今も精一杯生きている人がいること。

話しながら、あの日の空気が、感じたことが、奥からせり上がってきて、わたしはいつも少し泣きそうになる。それらの話を、真剣な面持ちで聴く彼らは、何を感じてくれているのだろうか。

伝える、こと。
そしてこれからもずっと、伝え続けること。

今のわたしに出来る、実際に被災地の土を踏んだ、あの日からの宿題である。

#エッセイ #3.11 #言葉 #防災
#わたしにできること

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