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失敗することはダメなことじゃない
これ、30代になってから感じたことです。
ちなみに、今でも「完璧主義」が抜けない私は失敗することが怖いので、
こんなタイトルをつけておきながら、「失敗を恐れるな」という言葉が、半分理解できて、半分理解できていません(だから、抑うつから抜けられないんだぞ!と言ってやってくださいw)
親元を離れるまでの私は、だいたい何でもできる子でした。
と言うと、「なんだこの人、偉そうに!」なんて思われるかもしれませんが、ちゃんと注釈があります。
「自分が努力して完遂できる範疇の事柄を取捨選択していた」
「地で才能があるわけではなく、隠れて努力をしていた」
これに尽きます。
「お姉ちゃんなんだからできるでしょ」「お手本になりなさい」「お父さん、お母さんが子供の頃にできたんだから、あなたもできるはず」
こんな感じの教育理念の家庭に育ったので、失敗は許されず、失敗すると「どうしようもない子」と扱われていました。私も失敗は悪いこと(恥ずかしいこと)という意識が、どこかこべりついていて、失敗をしないように一生懸命努力をしたり、失敗すると必死で隠すようになりました。
おかげさまで「失敗」を知らない、「挫折」を知らない人間が完成。
それが高校生までの私でした。
しかし、努力や自分のすべきことを自由にコントロールできるのは、親元を離れるまで。親元を離れると、学ぶことも、働くことも、生活をすることも、人と触れ合うことも、何でも誤魔化しがきかない場面が出てきます。
どれだけ努力してもうまくいかない。
何度チャレンジしても完遂できない。
「人には得手不得手があるので、"何事に対しても完璧"な人はいない」ということを知らなかった私は、挫折をします。そして、挫折を経験してこなかった私は、挫折をして転んだことがないので、当然ながら起き上がり方を知りませんでした。
どうしてできないのだろう。。。
ダメな人間なのかな。。。
そこで思考が止まってしまい、前に進むことをやめてしまいました。
しかし、十分な休養を経て、誰だって失敗もするし、頑張ってもできないことというのは一定数存在するということに気づかされました。
何でもうまくこなせるあの子だって、どこかで失敗をしているし、苦手なことだってある。そう思えたのは、遅ればせながら30代になってからでした。
もっと早くに挫折を経験していれば、きっといくつもの道が開けただろうし、違う人生を歩んでいたかもしれない。もっとうまく生きてこられたかも知れない。自分の得手不得手を隠して、完璧を目指すことばかり考えていなければ、抑うつ神経症やパニック障害にだってならなかったかもしれない。
でも、いいんだ。
今、なんとなくだけど、少しずつそれが理解できるようになったから。大きな挫折だったかもしれないけれど、起き上がる方法も覚えたから。
「失敗は早いうちにしておいた方がいい」
と聞くことがあります。
私もそうだなと最近になって思います。
感性が柔軟な早いうちに失敗して、挫折して、たくさん転んでおいた方が、いくらでも楽に修正がききます。転んだ時の起き上がり方を教えてくれる歳かさの人も、周囲にたくさんいます。
歳を重ねれば重ねるほど、失敗をしにくい状況(特に仕事)が出てきたり、ものを聞きにくい状況も増えてきます。
「失敗することも学び。むしろ成功」
「失敗よりも、起き上がり方を考える方が実がある」
過去は変えられないけれど、これからはこんな感じのスタンスでゆるく、余裕をもって生きていきたいと思っています。
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