見出し画像

悲しみは癒えない。2018年(平成30年)7月 西日本豪雨災害から思うこと

2018年7月6日。

挙式から1か月も経過しないこの日。私は会社に行っていましたが、朝から激しい雨でした。定時が近づいてきた頃、思いもよらない豪雨に市内全線の線路は水没しかけていたようで、次々に電車やバスが運休になっていっていました。

社内でも、運休により帰宅困難者が出る人を防ぐため、業務状況を見ながら早めに帰宅するようアナウンスがありました。

早め早めにいつも社内アナウンスがあるものの、いつもそれほどでもなかったため、この日も定時を少し過ぎるくらいまで仕事をしていました。終業後、私は電車で帰宅を始めます。
途中で違う路線に乗り換えるはずでしたが、すでに線路は冠水し、電車が使えないことが分かりました。乗り継ぐ駅では、駅員さんが臨時バスへ乗り換えるよう案内をしていました。私も案内に従い臨時バスへ乗り換えますが、そのバスも一向に進みません。

道路も冠水し、帰宅ラッシュの車やバスが渋滞をなしていたからです。

これからまだ雨は強くなることを知っていたため、きっとこの臨時バスも動かないだろうと私は傘が意味をなさないほどの雨が降りしきる中、そこから数kmずぶ濡れになって帰宅しました。

その日の夜、スマホの防災アラートが鳴りやみませんでした。いつ川の氾濫が起こるかも分からず、夫婦でリビングに防災用品を用意し、不安でそこに横になりました。夫は、いつ避難が必要となるか分からなかったため、夜中ずっと起きてくれていました。


2018年7月7日・七夕。
朝になっても状況は変わりませんでした。
防災アラートも相変わらず鳴り続けていました。

「雨が大変なことになってる」

夫の声で目が覚めました。

時間雨量は今までに見たことのない量になっていました。テレビでは岡山県倉敷市真備町の様子が映し出されていました。川の堤防が決壊し、避難できずに家屋の2階から助けを求める人の姿が映し出されていました。それを不安になりながら見ていると、ふと自分のスマホの着信履歴が目につきます。

母からでした。

いつもは訳ありで折り返しの電話は入れないのですが、嫌な予感がして折り返しの電話をかけました。

「ごめんね、もうスマホの充電がないからあまり話せないのだけど…」と母が電話に出ました。

実家のある地域は豪雨で道路も山も崩れ、あふれた川が大人の背丈まで押し寄せていたのでした。この時すでに電気も水道もガスも止まってしまい、外では車が押し流されていました。家には両親のみで、消防に駆り出されていた弟は朝方から不在のようでした。

画像はお借りしました。最寄り配送業者も水没。


避難所に指定されていた場所は全て水で埋もれ避難ができず、少し高い場所にあった自宅は浸水しているものの無事だったので、そこでしのごうということになったようでした。

県内で一番早い夏祭りが開催される予定だった七夕のこの日、地元は町全体が水没し、何もかもが流されていたのでした。

近隣の市町村でもダムの下流の川が決壊し、何もかもが流されている様子がテレビで映し出されていました。もう一人いる弟の住んでいる町も家屋が流されているということが判明しました。しかし、一向に地元の町は放映されません。後に分かったのは、町に入る道路が崩れ落ち、水没し、メディアも入ることができなかったからでした。

道路脇の壁が押し流され、
道路真ん中を塞いでいます

facebookでも町内外に住む友人や同級生から情報がシェアされてきました。LINEでも同級生が心配で声をかけてくれていました。どれも共有された情報は悲惨でした。自分が通っていた小学校も中学校も高校も水没。家がなくなったり、土砂で埋もれてしまい亡くなった方も多数いました。

自分の故郷が見たこともない姿になっていること、市外に住んでいる私には現状何もできないことを恨み、ぽつぽつと涙がこぼれました。泣きたいのは
地元に住んでいる人の方だと思い、それも余計につらかったです。

海に押し流された家屋

あまりにショッキングすぎて、その後、月曜日を迎えて会社に行っても、会社の休養室で横になっている時間も多くまともに働けなかったのですが、情けなくて仕方がありませんでした。当時、水道に困っていた状況を見て、配送の邪魔にならない程度に水を送りました。どの人も同じことを考えていたようで、近隣の店のミネラルウォーターは、どこもすぐに完売でした。


被災から6年。
まだ仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃいます。基幹産業の柑橘農家が多い土地ですが、山が崩れ落ち、みかんの木もろとも流されて廃業した方も多くいます(苗から育てても数年かかるため、生計を立てていくことが困難です)

町はすっかり見慣れた風景とは変わってしまいました。確かに18年間住んでいた土地ですが、それが幻だったかのように消え去ってしまいました。

正直、災害は他人事だと思っていたふしがありました。しかし、どこでも誰でも被災する可能性はあるのです。それを思い知らされました。


あれから、一層防災意識は高まりました。
トイレに困るとも聞き、簡易トイレも用意しました。簡単に水で食べられるご飯や長期保存できるビスケットなども備蓄しています。その他、まずは3日間生き延びられる品々や、その後生きていくための生活用品もストックしています。

今年は、年始に大きな地震もありました。

今一度、家族と自分の命を守る防災について考えたいものですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?