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待合椅子の女【小説】        ☆絵・写真から着想した話 その4

 この話は、エドワード・ホッパー「New York Movie」という絵に着想を得て書きました。著作権保護のため「New York Movie」は表示できません。是非リンク画像☟☟☟をご覧ください。((*_ _))ペコリ  
https://jahttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Newyork-movie-edward-hopper-1939.jpg.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Newyork-movie-edward-hopper-1939.jpg

「今日もいますね」
 遅番入りした日菜(ひな)ちゃんが、囁く。俺は小さく頷き、その女に目をやる。女は待合コーナーの椅子に座っている。夏の終わり頃から、夕方になるとやって来る。緩く巻いたロングヘア。毎回変わるワンピース。半袖だった服は、とうに長袖になった。恰好はお嬢様だが、おそらく四十手前。
 ここはスクリーンがひとつしかない古い映画館だ。シネコンでは観られない良質作品を上映する、マニアに知られた場所──と言っても、賑わっているわけじゃない。満員御礼の作品もあるが、そんなのは滅多になく、空席ばかりの日常。支配人の他に、映写担当が二人。チケット売り、もぎり、売店は、俺、日菜ちゃん、さっき日菜ちゃんと交代した古株のおばちゃんの三人で回している。俺と日菜ちゃんは、バイトだ。基本、俺が売店担当。女性二人が、チケット。狭い待合コーナーの壁際奥に、チケット窓口と売店が並んでいる。売店には、パンフレットと、ちょっとした映画グッズ。近所のパン屋から仕入れるサンドイッチのみ。
 たいていの客は、開映の少し前に来て、上映室に直行する。上映中に待合で、ずっと座っている人はいない。あの女以外は。次の上映待ちの客たちがやって来るまで、ぽつねんと座っている。そもそも、彼女はいちどもチケットを買ったことがない。つまり、映画を観に来る訳ではない。上映スケジュールだけは、しっかりと把握しているようで、開映時間が近づくと待合椅子から立ち上がり、入館して来る人たちをじっと見つめる。映画が始まり、遅れて来る人たちも絶えると、自販機まで歩き、コーヒー缶を買って、定位置に戻る。ゆっくりコーヒー缶を傾ける。スマホをいじったり、本を読んだりすることなく、静かに座っている。時に、たぶんトイレに姿を消すが、それは上映時間の中頃だ。終映時間が近づくと、すいと立ち上がって、鑑賞後の人たちを再確認するように見つめる。レイトショーが始まって三十分を過ぎる頃、一度振り返ってから帰って行く。               「宇波(うなみ)さん。私、考えたんですけど。いいですか?」
 客が途切れて暇な時間になり、日菜ちゃんが売店に入って来た。
「いいですかって、何がよ」
 俺が、グッズのクリアファイルを揃えながら呑気にこたえると、「しっ」と、唇に人差し指を当ててみせ、
「ワンピって、マジで気になりますよね」
 女をちらりと見て、小声で話し出した。細い目の奥が、キラリンと光っている。日菜ちゃんは、女のことをワンピと呼んでいる。俺は日菜ちゃんを促して、声が漏れぬように「ご自由にお持ちください」のチラシコーナーまで移動した。
「何だよ、今さら」
「宇波さんて、今日までじゃないですか。どっかの離島の小屋付き求人に当選して、遠くに行っちゃうんですよね」
「当選じゃない。ちゃんと面接して採用されたんだ。正職員だ」
 俺は、正職員を強調して言った。三十半ばの今までバイトで食いつないでいた生活から、自分なりに飛躍したのだ。島興しの農業にかかわるのだ。遠い昔は映画監督になる夢もあったが、もう忘れた……ことにしてある。
「置き土産として、彼女がなぜあのような行動をとっているのか、直接訊いてきて欲しいんですよ」
 日菜ちゃんは、ラックのチラシを整理するふりをしながら、するりと言った。
「ええっ。お前なあ」
 声がでかくなるのを抑えて、一緒にチラシを整えるふりをする。首を伸ばして女をちらりと伺うと、いつもと同じように、しかと前を向いている。
「もうここには来ないんだから、気まずくならないでしょ。宇波さんこそ、ずっと知りたがってたじゃないですか」
 そりゃそうだけど……。俺は支配人の横森さんの言葉を思い出していた。
以前、女の謎について面白おかしく話を振った時、「人の事情を詮索して楽
しむのはやめたほうがいいよ」と釘を刺された。親父と同世代の横森さん
から注意されたせいか、「気になるだけです」と、少しむっとして返すと、「親切心で声をかけても、相手を傷つけることがある。そっとしといてやれよ」と。が、考える隙を与えぬように、日菜ちゃんがたたみかける。
「上映室の、出入りドア前の通路。昨日(きのう)あそこに、じっと立ってたんです。いつの間にか。もぎりが済んだ人じゃないと、入れない通路じゃないですか。で、お客様……と注意したんですよ。そしたら、びくっと肩を震わせて、口を変な形に歪めて定位置に戻って行きました。怖かったですぅ。私、まだ当分バイト続けるから、彼女に関わるとやりにくいし」
「日菜ちゃん、大学何年だっけ」
「三年です。インターンシップに行ったりで、就職活動の準備は始まってるし、結構忙しいんですよ」
「将来を真面目に考えているんだね」
「は? 超フツーですけど」
「──よし。訊いてきてやるよ」
 売店に戻ってサンドイッチを掴むと、ポケットの金をレジに投げ入れ、女に向かって歩き始めた。
「あの、これ良かったらどうぞ」
 サンドイッチを突き出すと、女はコーヒー缶を両手で抱えたまま、怪訝そうに上向いた。
「えーと。今日の感じだと、たぶん三個ほど売れ残りそうなので。あ、俺たちも、もらって帰るんですよ。だから……その」
 この導入は、失敗だろうか。話をなんとかそっちに持っていかねばならない。もう、やけくそだ。
「いつもいらっしゃるから。いえ、そういう意味ではなくて。映画、お好きなんですか。と言うか、えーと、この場所の雰囲気が好きとか」
 女は唇の端をゆっくりと上げると、
「私、映画は興味ないし、よくわからないの」
 悪気のかけらもなく、言ってのけた。想像していたより、一オクターブ
高い声だった。狼狽している俺にかまわず、             「でもね、ここで久し振りに観たの」
 一方的に語りだした。それは今年の夏、爆発的にヒットした映画だった。あるミニシアターで細々と上映していたのが、SNSで火がついて拡散し、一気に有名になった。ここでも上映したわけだか、整理券まで配るほどの大盛況で、普段と客層も異なった。純粋な映画ファンよりも、ミーハー的な俄か客が多かった。あの大勢の中に、彼女もいたのだった。

「彼に誘われて来たのよ。僕は、ここの映画館が好きなんだよって。今日は賑やかで、レトロな雰囲気が台無しだなあ。いつもふらりと立ち寄っては、名作に出会うのが楽しみなのさって」
 彼女は、「彼」という言葉を誇らしげに発音し、あるタレントに似ていると説明したが、常連にそんな男はいなかったし、近所で見たことも無かった。最後まで聴かないうちに、なんだか先が読めて来た。
「そのあと二回、他の場所で会ったのだけれど、連絡しても繋がらなくなってしまって。ここに来れば、会えるはずだから」
 お見合いイベントで、見初められたのだと言う。つかまらない理由など、見当がつくではないか。認めたくないプライドか。ぼんやりのお嬢様か。
「そうでしたか。きっと何か事情があるんですよ。会えるといいですね」
 なんて期待外れの理由! でも、俺はこの女(ひと)を救ってやったのだ。吐き出させて、楽にしてやった。俺に話しただけで、彼女はこんなに顔つきが明るくなったじゃないか。そうだよ、人助けだ。心温まる置き土産だ。
 女が、サンドイッチに手を伸ばす。
「ありがとう。いただくわ。あなたに話したことで、踏ん切りがついた。私、聴いてくれる人を探していたのかもしれない。ねえ、あなたなら。毎日必ずいてくれる。明日からは、あなたに会いにここに来るわ」

                                                                                                     了

「公開時ペンネーム かがわとわ」