もうろうの人

障害を持たれる当事者の方が
もうろう。という言葉に
違和感はないとおっしゃってました。

もうとは目が不自由で見ることが難しい方
としるして良いのだろうか?
視野狭窄(視野が著しく狭くなる)の方は
見えにくいが見える範囲は見えるとのこと
視力にもよると思いますが。

ろうとは耳が聞こえにくく
言葉を理解するのが難しく
言葉を発するのみの
コミュニケーションが難しい方
としるして良いのだろうか?
難聴の方は補聴器を
使われる方も
いらっしゃるが
頭が痛くなったりする場合もある
ときいたことがある。

耳が聞こえにくく
障害をもつことになったのが
生まれてからあとの場合
それまでに言語での
会話コミュニケーションが
されていたら
障害を持たれてからも
言葉で伝えられたりだ。
受け取るコミュニケーションは
目で見て理解する。
要約筆記 拡大要筆(ツルツルの白い紙に滑りの良い黒のマジックで会話に合わせてくせ字が出ないように大きな字で書く)
手話等。

もうろうの方
目も耳も不自由な方もいらっしゃる。
一人では外出は不可能です。
アイマスクと耳栓をして
手引通訳をしてもらったことがあります。
実際に見えている感覚と
アイマスクをして物を確かめるのでは
その物の大きさも
私の場合、違う感覚がありました。

障害を持っている方は
情報が少ないと
昔聞きました。

耳が不自由な方は
後ろからの自転車のベルなどがわからないのでそのことをわかってほしいと
おっしゃてました。

どの人も生きやすい場所なら
自分の大切な人達も
生きやすいのだろうと想ったことがある。

全ては皆でやっていって
障害によって
困難さが違ったり
求めておられることは
その方その方で
違うかも知れないから
コミュニケーションを
出来るだけして
理解しあえることが
出来たらと想う。

私は精神障害を持っていて
統合失調症だ。
幻聴がきこえる。
集中しにくい。
色々だ。
周りに理解してくださる方が
いることの有り難さ
障害は
毎日のことだ。
その日だけ
ということではない。
障害と仲良く付き合える
それが毎日を
幸せにすることに
近づけて
いけるかも
知れない一つかも知れないと想う。

素敵な夢を見たように今を生きて行きたい。