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『蒼天航路』はサブカル『三国志』だった

 小山田圭吾氏の騒動は、どう振り返られるのでしょうか? 私はまったく彼のミュージシャンとしてのキャリアを知らないし、渋谷系と言われてもピンとこないのです。かなり前から洋楽派です。政府や社会への不満、不平等への怒りといった感情を吐き出す洋楽がカッコいいと思ってから、こってり政治的なミュージシャンにハマっていまして。

 そんな友達と洋楽派でよかったと語ることがありました。まあ、うちらの推しは政府の言いなりにならんもんね。むしろトランプに喧嘩売るようなことするもんね。#Metoo告白で失脚するもんね……。キャンセルカルチャーはファンにとってもむしろ救いかもしれない。楽しめなくなったり、聞きたくなくなることだってあるし。そういうとき、次に移るのだって切り替えるのだって、むしろ賢いやり方だと思いますし。

 昔あんなに好きだったけれでも、ハマれなくなるものはある。その一例として、この作品を苦い思いとともにあげたいと思います。

『蒼天航路』は傑作なのか?

「『三国志』漫画でおすすめですか? やっぱりここは『蒼天航路』ですね!」

 そう本稿を書き始められたら、どれほどよいことでしょう。けれども、好き嫌いは逆として、全くそうは言えないどころか、『三国志』をテーマにした作品の悪しき典型例として、この作品を取り上げねばなりません。

 これまた、何がダメか、どれだけ嫌いか、どの場面が嫌いか、ネチネチ書けたら楽なのでしょう。いつもののドラマレビューみたいにね。

 『蒼天航路』は魅力的です。迫力がある。おもしろい。絵が美麗。考証面でも、がんばっています。

 それでも、本作は決定的におかしなところがある。本作から『三国志』を学んだという人がいれば、とりあえず苦い顔になるしかない。

 そういう作品が、この『蒼天航路』なのです。本作のファンの方には、本稿は全くお勧めできません。

(文中一部敬称略)

曹操を主役にした「ネオ三国志」

 本作はどういう作品か、アニメ版の公式紹介から見てみましょう。

三国志ブームの切り札!

映像化不可能と言われた超大作がついにアニメーション化

日本でも圧倒的人気を誇る中国の歴史書「三国志」を、敵役曹操を主人公に大胆に脚色した超大作『蒼天航路』。

 『蒼天航路』を読んでいて、ずっと思ってきたことはあります。主役の曹操に魅力を感じないことです。

 いきなり喧嘩を売るようで大変申し訳ないのですが、作者と読み手であるこちらの解釈違いが起こっているのです。

 『蒼天航路』の曹操は、ともかくダイナミックで魅力的で、いつも自信満々です。森羅万象を司るようであり、モテモテで、ともかくカッコいい……が、そんな設定だと根源的な問題につきあたります。

 神様のようにともかくすごい、「超世の傑」である曹操。じゃあ、なんでそんなすごい曹操は、統一して皇帝になれなかったのでしょう?

 そんなところから疑念を抱いてどうするの? そういうツッコミは理解できます。そこを言ったらおしまいだという気持ちは湧いてきます。

 これは当時から考えられていたことで、『出師表』にしても、諸葛亮と劉備も疑念を感じていたことがわかります。

 『三国志』の悪役といえばそうなります。対立した敵から見ればそうなる。それでも、誰が一番智勇において優れているかと尋ねられたら、眉をしかめつつも「曹操でしょうね」と答えざるを得ない。そういう史実があるわけです。

 となると、第二の疑問も湧いてきます。

 当時から智勇第一である曹操を、そう描いたところで、それは新視点でも何でもないということ。

 曹操の再評価そのものも、実は定期的になされていることではあります。

 フィクションでは曹操は極悪非道です。講談を聞いている民衆が「曹操は最低だ!」と盛り上がろうと、それはそうなのです。

 しかし、インテリを自認していたら、そうは言い切れない。

「いや別にね、私は曹操が好きとか。曹操が人生の目標だなんて言うつもりはありませんよ。でも彼は実際大したものじゃないですか。槊(ほこ)を横たえて詩を賦(ふ)すなんて、そうできることじゃありません。彼の詩だってたいしたものですよ」

 こういうことが見本回答になる。曹操再評価なんて、定期的になされていたことで、別に斬新でもないのです。

「はっはっは、曹操再評価ですか? そなた初心者かな?」

 みたいな、腹立たしいことを言われても仕方のないこと。

 毛沢東も、自らをなぞらえるほど曹操が好きでしたからね。魯迅も評価しています。

 うるせえ、中国の文人を出してくるんじゃねえよ! 日本ではどうなんだ!

 そういう反論は予測できます。これは吉川英治版、横光版が通過済みですね。陳舜臣版もそう。

 吉川英治は、『三国志』前半の主役は曹操、後半の主役は諸葛亮としました。これは伝統的な見方でもあり、こういう構図もあります。

関羽=義絶(すごく正義)
諸葛亮=智絶(すごく頭がいい)
曹操=奸絶(すごくワルい)

 個性あれど、全員カッコいいのです。吉川版は、ワルだけにマイナスイメージがある曹操に、プラス要素を付け加えました。


・白面郎と形容。中国での“白面郎君”は、色白イケメンに対して使うもの。曹操にはまず使われません。
・衣装のテーマカラーが赤。中国での“赤”はおめでたいこと、義の象徴。関羽の顔が赤いのもその一種。よりにもよって曹操が赤いなんて異例です。一応、史実では着用していたらしいのですけれども。

 展開上悪役ではあるのですが、それはもうカッコいい曹操像です。横山光輝版は、このカッコいい曹操の影響がありますので、若い頃は髭なしイケメンです。『人形劇三国志』もそうです。

 もう、この時点で日本の曹操人気は確立されていたようなものです。

「日本での曹操人気はやっぱり『蒼天航路』だね!」

 と誰かが言おうものなら、容赦ないツッコミは覚悟した方がよさそうです。陳舜臣版『三国志』でも、曹操は十分素晴らしいものがあります。

 じゃあ、あのカッコいい曹操像を全否定するのか? そう聞かれて、簡単にうなずく人はいないと思っていただきましょう。そんなことをして、無駄に敵を増やしてどうするんですか。

 ただ、自分なりに考えたことはあります。あのカッコいい曹操像は、正史を解釈したり、さまざまな先行版をふまえているというよりも、連載当時の平成日本で「カッコいい!」と思える男性像の象徴であったのだと。もちろん作者の解釈でもあるのでしょう。それはそうですが、作者一人だけが抱えている像であれば、あそこまでヒットはしないはずです。

 読者の心とも響き合う、斬新なヒーロー像。

 それはそれで結構なことです。素晴らしいこと。ただし、あまりに時代に接していると、時代が変わり、そこを生きる人が変われば、陳腐化することもあるということは考えましょう。

 いくら『蒼天航路』の素晴らしさを力説したところで、自分より年下の世代が「ふーん、それで?」としらけきったとしても、それは仕方のないことなのでしょう。

「ネオ三国志!」とは何だろうか?

 『蒼天航路』の曹操で検索をすれば、名言が出てきます。

「いや、曹操の名言なら正史にせよ、詩にせよたくさんありますよ。『魏武注孫子』もいいですね」

 などと、間違ってもここで口を挟んではいけませんからね。ええ、たぶん。

 曹操の難しいところは、彼自身文才がありすぎるので、そのまんま使う方が効果的な点であるのですが。それはさておき、漫画に話を戻しましょう。

 本作は、漫画としてはとても面白いのです。おもしろい漫画とは、読者の共感を得なければなりません。連載当時の1990年代から2000年代の日本人が共感でき、かっこいいと思える。そういうヒーロー像が求められます。

 本作の曹操像は、この基本を踏襲しています。ぶっ飛んでいるようで、実は「超世」でもないのです。

 曹操が宦官・張譲の家に剣を持って乗り込む逸話は、愛する初恋の相手・水晶を取り戻すためのものとされています。

 洛陽北部尉となった若き曹操が、五色棒で禁令違反者を殴り殺す場面は、セコい悪党を撲殺する爽快感がある。

 こうした描写からは、曹操が劣等感を抱きかねない背景としてあった宦官の孫であること。当時の反宦官を掲げていた人士・清流派の動きとは切り離され、現代人がスカッとできる動機に再解釈されているのです。

 典型的な例として、孔融の処刑があげられます。孔子の子孫であり、堅苦しくて保守的でダサい、そんな孔融を曹操がかっこよく処刑する。ダサいおっさんにガツンと言い切るかっこいい若者像のようではありますが、史実とは逆です。

 史実における孔融処刑の表向きの理由は、発言が過激で非道徳すぎたこととされています。むしろ曹操は、斬新な言論をする側を処刑する「下の世代が理解できない嫌なおっさん」であるとも言えるのです。理由はあくまで表向きで、裏には色々汚い理由もむろんある。

 本作の曹操の言動は、史実を無視し、ひどい時は真逆にしてでも、当時の読者のニーズにマッチする像にされました。

 『蒼天航路』の掲げる「ネオ」とは、要するにだいたいが連載当時の読者が納得できるように史実を再解釈したものであり、それが歴史的解釈として正しいかどうかはまた別なのです。

 歴史的解釈ではなく、青年漫画解釈をして、新たな曹操を生み出す――。それが斬新であるというよりも、読者のニーズに一致した。

 『三国志演義』翻訳版や吉川英治版をわざわざ読むような、ガリ勉インテリを気取るわけでもないし。人形劇や横山光輝版に感動するには歳を取りすぎた。

 時間もないし、知識よくもそこまでない。毎週発行されている青年誌に掲載されていてると、読むのに適している。

 ワルくてかっこいい。セリフもキャッチーでネタにしやすい。

 エログロもあるし、絵がなんといっても美麗だし。

 本作の「ネオ三国志」の新しい部分とは、そういう読者向けのニーズをきっちり射程に入れた。そういうことだと思うのです。きつい言い方をしますが、それが当時のマーケティングの勝利ということ。

 それは悪いことではありません。実際に楽しみ、ハマった人がいるのであれば、それはそれで「ならばよし!」となるのです。

 じゃあなんでそんなに不満そうなんだ? そう思いますか?

 実はこの当時のマーケティング戦略や、求められたヒーロー像と、曹操の実像はあまりに食い合わせが悪いのです。

 『蒼天航路』版の諸葛亮もかなり問題がありますが、それについては散々議論されていますので、ここは曹操に焦点を絞りましょう。

「ならばよし!」じゃない

 『蒼天航路』の曹操は、「ならばよし!」と爽快感のある顔をすることが特徴です。

 けれども、正史の曹操はむしろムスッとして、「よいならばよいで理由を説明しろ! 勢いでごまかすな!」と容赦なく突っ込んでくる、無茶苦茶めんどくさい性格です。曹操大好きな『孫子』がそもそも、無茶苦茶めんどくさい理論の塊ですし。

 曹操は無茶苦茶めんどくさい人です。上司にしたら三日で参りそうなほどやたらと細かく突っ込んできそうなのです。

 もうひとつ、曹操が「ならばよし!」と言いそうにもない理由として、曹操は自己評価がそこまで高くないということがあります。麗しい謙遜でもなく、よく自己嫌悪に陥っていて、情緒不安定で、イライラしやすい傾向を感じます。

 荀彧なり郭嘉が「大丈夫です、がんばりましょう!」とネジを締めなおさないと、ダメになりそうな不安定感がある。

 『短歌行』でも「去りし日は苦多し」(俺の過去は黒歴史ばっかり)と、人生が不満であったことを言っていますし。

 メンタル不安定でやらかす曹操は、『三国志演義』でも、「げえっ!」と困惑する横光版でもおなじみなのですが、正史にまだしも近いのは、むしろあちらだと思えるのです。

 「ならばよし!」とまだ言いそうにもないわけ。それは、曹操がケチだということがあります。

 『蒼天航路』連載終了後、曹操の墓が発掘され、驚きのドケチ断捨離埋葬が明かされました。当時から「遺言がなんか細かくて気持ち悪い」と突っ込まれていた史実が解明されたのです。

 『蒼天航路』の曹操はやたらと派手で美麗な服を着ていて、それが表紙でも魅力的なのですが、実際の曹操は「服なんて着られればいいじゃん。この大変な時代、服に金かけてられねえし」と割り切っていたと思われます。若い頃、あまりにチャラくてラフな格好をしていたと書き残されています。

 いわばスーツではなく、いつもあの同じ服を着ていた、スティーブ・ジョブスみたいなものですね。

 でも……実際の曹操を再現して楽しいと思わなかった連載当時の時代背景がある。

 やたらと細かくて、めんどくさくて、ダメ出しがくどくて、自己評価が低くて、情緒不安定で、地味な服装をしている。

 そんな上司嫌だし、編集部から提示されたという「ミュージカルみたいな『三国志』」にならないし、そんなもの、週刊青年漫画誌で別に読みたくなかったのではないですか?

 ありのままの曹操なんて、1990年代から2000年代には受け入れられなかっただろうとは思います。

エロでごまかそうという思惑は「くどい」

 時代の雰囲気が一変したために、本作は今後残念ながら受け入れられなくなっていくことも、想像できてしまう。その典型例をあげましょうか。

 作中で問題のある描写として、「宛城の戦い」をあげます。これは宛城にいた曹操が、夜襲を受けて大敗を喫するものです。

 『演義』はじめフィクションで、誤解のある描写をされてきた場面であり、曹操の「極度の女好き」を強調する格好の材料ともされてきました。

 本作は『演義』までの流れを否定するどころか強調し、曹操の言動や人格を下方修正するということをしてしまっているのです。

 問題点をまとめてゆきます。

・そもそも女がらみで失敗しているのか?
とびきりエロチックに描かれる『蒼天航路』の鄒氏ですが、そもそもその名前も創作なのです。『演義』の像を変えるといいながら、そこは流用していると。
・曹操の下半身はそこまで緩くない 
曹操は側室が多かったことは確かなのですが、同時代の別の人物と比較して、そこで失敗しているとも思えないのです。『蒼天航路』のように美女ならば誰とでもアバンチュールを楽しむわけでもなく、個々人と対話しつつ、側室にしていたことがわかります。

 美女ならば誰でもカモン! そういうタイプはあまりに警戒心がないし、健康的にも悪いので軽蔑されます。曹操は暗殺を恐れて毒物摂取訓練をするくらい慎重ですので、そこまで羽目を外していません。美女関係の逸話は、他の人物の方が多いことは重要です。

・曹操はショックを受け、そして反省をしている
『蒼天航路」の曹操は「ならばよし!」と失敗をあまり引きずらないように思えますが、生史はそうでもありません。宛城での失敗の後は敗因を分析し、大々的な慰霊をし、自らの過ちを認めています。

 この戦いにおける長子・曹昴の死が原因で、丁氏と離婚に至ります。丁氏に責められても、反論が一切できず、相手の言い分を受け入れるしかなかったのです。しかも、死の間際まで丁氏と曹昴への後悔を口にしており、かなり深刻な失敗として本人も受け止めていたようです。

『蒼天航路』の曹操は、丁夫人から「人として欠けるところがあります!」と罵倒されていますが、あの描写では確かに史実における曹操と比較しても何かが欠けているとしか言いようがないのです。

 本気で『演義』の曹操をなんとかするのであれば、お色気展開よりも、宛城にいて策を練っていた賈詡との知謀戦なりあったらいいと思ってしまいます。それで鄒氏が暗殺者設定にするとか。そういうひねりはできなかったのかと思ってしまう。

 苑城のアレンジは「卞氏の策謀だった!」とやらかした『三国機密』(邦題『三国志 secret of three kingdoms』)のあとだとより厳しいと思えますね。

 そういう展開へのクレームはさておき、どうしたってエロ展開が厳しいのは確かです。

 連載当時の価値観では、「エロばかりでけしからん」と言えば、どういう反応であったかは想像できます。

 三角メガネをかけて、ざます言葉で「悪書は白いポストへ!」とでも言ってくる。そういうPTAのおばさんが漫画を理解しないで文句つけてくる。そのあたりでしょうね。

 でも……2020年代、#Metoo時代となり、スマホでエロ動画がいくらでも見られる時代となると、そういうことではなくなってきます。

 大河ドラマ視聴率アップのために女優を脱がせるべきだというニュース。

 「濡れ場で女優魂を見せてきたか?」とやたらと言い出すニュース。

 エロ袋とじをつけてくる男性向け週刊誌。

 ブルマやスクール水着のような、本物の若者はもはや親世代の遺物としか思えないものを、萌えアイテムとして扱う。

 ムフフだの、ドキッだの。そういう昭和の親父臭さに通じるレトロさすらもはや感じさせます。

 『蒼天航路』の連載期間は平成ではあるので、そんな昭和とは違った平成のエロ描写の古さが出てくる。

 エロばかりでけしからんというよりは、もっと複雑なツッコミです。

「悪いのは曹操でしょ? それなのに、なんで鄒氏が死ぬの? 悪いのは犯人でなく、ミニスカートを履いている女だと言い張る痴漢かよ!」
「曹操、真面目に仕事しようよ。遠征先でエロを楽しんで大失敗って、どんだけ間抜けなのよ」
「鄒氏の性技がすごいとか把握している曹操が、ともかくひたすらキモい」
「鄒氏夢幻じゃない。むしろ曹操大敗でしょ」

 こんなツッコミが湧いてくる。

 かつては出張先で、ムフフとその土地の美女とアバンチュールを楽しむことが、働く男の娯楽だったものです。社員旅行に芸者を呼ぶ、それが昭和。平成にだって、そういう話はあったものです。ビジネスホテルの有料チャンネルだって、そういう番組がありますね。

 けれども、そういう時代は終わりました。

「会社の経営者は『蒼天航路』を読め!」という意見もありますが、私は反面教師としてならば勧めると言います。むしろそこは『魏武注孫子』の方がよほどためになると思いますが。

 むしろ出張先でエロをして大失敗したら、容赦なく始末をつける必要がある。そんな時代なのです。別に曹操が心ゆくまで性技を楽しんでもいいとは思います。互いの同意を得て、安全な状況でするのであれば、それはそれで結構なことです。ただ、あんな危険な遠征先でそれをしてどうするのか?

 そういう現実と重なると、曹操のあれやこれやが爽快どころか不愉快。諸葛亮のあれやこれやに至っては、振り返る必要性も感じない。

 そういうことを感じる作品なのです。奔放な性の冒険なんて、もう古臭い。

 時代のニーズに合わせすぎると、時代が変われば古びてしまう。そんなことを感じさせる作品、それが『蒼天航路』です。

 本作は『三国志』の新解釈というよりも、古典の受容も時代によって変わる、そんな典型例として興味深いとは思います。連載当時の漫画作品としては極めてレベルが高く、巧みで、おもしろいことは確かなのです。そこをふまえた上で読むのであれば、勧められる作品です。

 2020年、『蒼天航路』は皮肉な先例として提示されることもありました。

 ある少年漫画原作者が事件を起こし、連載が打ち切りとなったのです。なまじ人気作品だけに、再開できるのかどうか、話題となっております。

 そんな時、原作者が死去しても続いた人気漫画として、本作が取り上げられることがあるようです。ちなみに本作は長い休止を経て、原作者なしで続いております。

結局は『サブカル三国志』だ

 『蒼天航路』とは何か? 結局のところ、ネオではなくサブカル『三国志』ではなかったのかという結論に至りました。

 『蒼天航路』の曹操は露悪的でかつ、いつでもヘラヘラと明るい。人を撲殺したり、我が子の戦死を妻に告げるような状況でも、明るい顔であっけらかんとしている。虐殺をやらかそうが、大敗しようがめっぽう明るい。

 劉備は史実に近づけ、軽薄にしているという。それはそれで正解と言えばそのようで、『演義』よりも正史の方がサブカルと相性が良かったんじゃないかという気もしてくる。

 聖人君子の関羽が屋外で子作りをするとか。そういう悪趣味軽薄なことで笑いを取ろうというセンスも感じる。

 当時はそれも個性だし、青年漫画だからとなんとなく流していたし、面白いとも思ったけれども。

 ああ、あれはサブカルそのものだったんだな。そう振り返っています。そしてサブカルそのものに嫌悪感がはっきりと湧いてしまった現在、あの作品をもう一度楽しめるとも思えないのです。

 寂しいかというと、別にそうでもない。曹操の楽しみ方は、いろいろありますからね。漫画で終わりじゃむしろつまらないし。それでいいんじゃないですか。


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