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高校生によるエッセイ 最終回「居場所」


エッセイ ΠΡΟΔΟΣΙΑ
No.20
「居場所」

 高校の卒業式からそろそろひと月が経つ。

 小学校を卒業した時のことを思い出す。知らない親たちや特に関わりの無い者ばかりだった下級生たちに見送られ、体育館を一定の間隔で立ち去っていく。僕の通っていた学校は4階建てだったので、体育館のある1階から、1、2年生の間に使っていた教室に面した長い廊下を歩き、その突き当たりを左に曲がってこれまたさらに長い階段を上って行く必要があった。その階段を上っている間に、前後に何があったかはもう朧気だが、どうしても涙が溢れるのを止められなくなってしまい、妙に晴れた陽の光が差す足元を見て静かに泣きながら教室まで向かったことを覚えている。

 中3の年は丁度コロナ渦で、そのタイミングで僕の中の世界や他人へ対する価値観が目まぐるしく変貌した年だった。前回書いたので簡略化するが、それまで仲良くしていた友人が話題欲しさに僕を貶めて、それがきっかけで陰湿ないじめに遭い、担任に相談しようにもそれまでの担任ほど手放しに信じ切れず、結果人を信じるということに対する僕の見方は粉々になって、友人というものを新たに作り上げるのがトラウマになってしまったのだ。
 だから中学の卒業式は「やっと地獄から解放された」という安堵から全く涙を流すこともなく、終わってすぐに牛丼屋のカレーを食べた。
 それから数年経って、妙に中2の時の教室やその周りの景色が印象に残っていることに気が付いた。中学2年生。僕が誰かの悪意に気が付けないほどに純粋で、人間というものに絶望を見出していなかった頃だ。楽しかった思い出があるのと同時に、明確な居場所がそこにあったこと、それだけは確かだった。

 高1の年、つまり2021年。僕の孤独はピークに達した。前年の人間不信のせいで新たに友人を作ってもどう関わればいいのかわからず、息巻いて入った放送部には新入部員が僕だけしかいなくて、毎日の昼休みの放送を担当することだけが部活のやり甲斐で、それで昼休みはクラスにいないもんだから友人関係の溝は開いていく。
 二学期に、一番仲の良かった子が学校に来なくなってしまい、話せる子はいるけど「僕はここにいていいのかな」という感覚におびえながら学校生活を過ごし、先輩たちの激しいいざこざの板挟みに遭ってしまい部活も無断で休部。毎日が重苦しく回っていき、インスタのストーリーには「僕の日々はこの通り充実しているよ!」とでも言わんばかりに積み重なっていく気持ち悪い投稿ばかり。少しの嬉しいことや性体験で気を紛らわせて正気を保つ日々。母がいたり、毎日寝転んでいたベッドの上や、立っている足元だけでも居場所と呼べるものはあったのいうのに、僕に居場所なんてものはこの世にないんじゃないかとさえ思っていた。
 そして僕自身、自分に居場所がないことを、ある種強情に「ない」ままであろうとしていた。独りぼっちのかなしい高校生という型に自分を宛がいたがっていたのだろう。「異端の鳥」という映画の主人公に自分を重ねて見ていた。
 だからそんな社会的マイノリティーがエッセイを書いたら誰かの目に留まるんじゃないかと思って、ΠΡΟΔΟΣΙΑを書き始めたのであったと記憶している。

 高校生活を終えた今、あなたの居場所はどこですか?と訊かれたら、胸を張ってここだといえる場所がある。二年生になって後輩ができてから真面目に再開した放送部。そこで僕は自分の居場所をつくることができた。

 今まで沢山のコンテンツを通ってきたからか、ウルトラマン、スーパー戦隊、バンプにミスチル、ヨルシカ、DA-PUMP、ボカロにアニメと、好きな分野がバラエティ豊かな後輩たちと打算抜きに話すことができたし、作品制作の面でも、人数が限られていたので、自分でストーリーを作り本を書き録音して演じて編集までのプロセスを1人でこなせることができた(もちろん後輩たちが居なければ作れないが)。孤独で燻ぶっていた僕の中には確かにそうした力が備わっていた。居場所を自分で作り上げられるという、どんな特殊能力よりもうれしい未来につながる力がそこにあったのだ。

 普通であることを目指そうという姿勢で教室で力んでいても誰も手を差し伸べてはくれない。けれども、自然体のままで羽を伸ばしていると自然と仲間が集まるものなのだろう。僕は昔からどこか人とズレた側面があると感じていて、教室でのぼくはそれをひた隠しに生きているものだから、クラスメイト達にとっては最後の最後まで、僕は取るに足らない「真面目な子」としか見られなかったが、この3年弱を過ごした放送部の子たちや顧問の先生たちにとっては「どこがとは言えないが変な先輩」という自分の本質に近いところを受け入れて、そういう変な先輩だというのに一緒になって着いてきてくれた。そっちのほうがありのままを肯定してくれている気がして、本当に嬉しかった。
 僕の居場所はちゃんとあった。居場所があるということはこんなにも幸せなことなのか。

 新生活を前に、この十数年来暮らしてきた街や積み上げた放送部という居場所から無理やり追い払われてしまうような感覚に襲われていた。今思うと小学六年生の僕は、六年間というそれまでの人生の中の大半を過ごした居場所から出ていかなくちゃならないことに涙を流していたのかもしれない。前の家を取り壊して分譲住宅地にすることになった時にも同じ理由で胸がいた編んでいたのだろう。この感覚がなかなか厄介で、今でも日々バスタブの中でしっとりと涙を流してしまっている。

 そんなある日、後輩たちが僕一人のために焼き肉屋を貸し切って「三年生を送る会」を開いてくれた。お世話になった先生、先輩達の分までまで映っているため30分以上に渡るビデオメッセージをプレゼントしてくれて、人狼ゲームで遊んで、おいしい肉をみんなで食べた。

 僕の中には確かに居場所があって、少なくとも彼ら二十数名もの人が僕を「在ってほしい」と思ってくれている。これほどうれしいことはない。自分は恵まれているなぁと強く思う。

 その流れで卒業式の後に、特にクラスの人たちと弾む話もないので、後輩たちとカラオケに行くことになった。カラオケは4時間も続き、最後は時期部長の後輩の粋な計らいでYMOの「Rydeen」を爆音でかけながら店を出る。外は水を含んだ大雪がしんしんと降っている。出入り口でたむろする後輩たちを見ているうちに、おそらくこのメンバーで集まってカラオケをすることはもう二度とないのだろうな、とか、この中には今日が根性のお別れとなる子がいるのだろうな、とかセンチメンタルなことをどうしても考えずにいられなくなってしまう。この瞬間を忘れたくねぇなと思っていると、ふと左ポケットに手が触れ、その中身を思い出した。卒業式のときに撮ろうとフィルムを巻きとっておいたKodakのフィルムカメラ。さっと取り出して後輩たちを写し、シャッターを切った。

 不思議なことにその瞬間をもって、それまでのセンチメンタルな感覚がぱっと晴れ、それっきり居場所を奪われる感覚は跡形もなく消え去ってしまった。
 それがどうしてなのか分からないまま数日が経って、現像に出した写真が手元にやってきた時に何となくその理由がわかった気がした。写真は一瞬を永遠に留めることが出来る。きっと、僕の居場所が、シャッターを切ったあの時を境に、過去の居場所へと変わったからだろう。


 新生活を始めるにあたり、新しい住処に飾っているものがある。後輩たちが書いてくれた手紙や絵や色紙、Blu-rayに焼いてくれたビデオメッセージ、「本日の主役」のタスキ、そして件の写真。過去の居場所が今の居場所を作る糧になるのだと、この思い出の品々を見ているとつくづくそう思う。

 今も居場所はここにある。


 さて、この長い駄文をよくここまで読んでくれました。読んでくれたりスキしてくれたりと、いろんな方にありがとうございます。
 2021年の終わり頃に始めてから、毎回かなりの時間の隔たりを経た上でしれっと投稿を続けてきたこのΠΡΟΔΟΣΙΑですが、高校生でなくなるこのタイミングがいい機会なので、ちょうど区切りもいいし(そのために今更ながら昨年末の音楽レビューを投稿したけども)、この回でお開きにしようと思います。
 はじめは文章力をつけたいだの何だのと言っていましたが、如何せん書く機会に恵まれないものだったからいまいち実感がありません。(親戚たちには文才があると言われて照れくさいけど嬉しかったものですが)
 無事に第一志望の大学にも受かって、これからやりたいことが沢山あるのでしばらくはこういうものを書かない予定でいますが、きっと僕のことだ、放送部に復帰したときみたく、またすぐに愚痴だの悩みだのをぶつけにやってくるだろうと踏んでいます。
 そのときはこんなΠΡΟΔΟΣΙΑとかいう小洒落た題名ではなくいい名前を以て始めるつもりです。
 ちなみにこのΠΡΟΔΟΣΙΑというタイトル、ギリシャ語で裏切りだとか背信だとかそういう意味があったはず(何気なくネットサーフィンしてて見つけただけなのであいまいですが)だけども何の裏切りもなく終わりました。僕がよくやってしまう、自分自身に対しての裏切りみたいなものを誹りたくて立てたタイトルだったので、不満や怒りばかり書き込んで破滅していきそうだったNo.1あたりの自分からは想像もできないような変化をしたという点ではΠΡΟΔΟΣΙΑになったのでしょうかね…?
 そろそろ終わります。もう深夜一時半を回ったので早く寝ないと。明日は朝のうちに美容院に行く予定なんです。
 では、またこんど!

高校生によるエッセイ「ΠΡΟΔΟΣΙΑ」


No.1 「ある晴れた日に」
No.2 「散歩」
No.3 「POP SONGの話」
No.4 「いろいろあんですわ」
No.5 「IMAGINATION」
No.6 「桜が咲いている」
No.7 「彼女」
No.8 「多様性に懺悔しな!」
No.9 「なんとか生きてます」
No.10 「あれから」
No.11 「怒り」
No.12 「タイムリミットについて」
No.13 「車窓より」
No.14 「FEEL LIKE FANTASY」
No.15 「予感」
No.16 「やるせない報せ」
No.17 「猫」
No.18 「変な高校生による2023年リリースベストソング」
No.19 「許すこと、許されること」
No.20 「居場所」

さく・え:チビットスナギツネ/kodomowaltz


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