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1月の短編「大小の影」

「そこじゃないよ。もう一個向こう」
「え、なんで?」
「そこは端っこの板がグラグラしてるから」
歩く速度も変えないまま、まーちゃんは先へ。
「ホントだ」
グラグラの板の端に、本来は金具がはまっていたであろう穴が二つ空いている。

「よく来るのな」
顔を上げるとまーちゃんはすでに奥から二番目のベンチに腰掛けていた。敷地の角の街灯がその姿を細長く砂場まで映し出す。
「土日はね。子供たちを遊ばせるのにちょうどいいでしょ、ココ」
「確かにな」
「なんせ児童公園だから」
懐かしい響き。
「そうだったな」

まーちゃんの隣にゆっくり腰掛ける。
「アンタはもう全然来ないの?」
「だって用がないだろう」
「そりゃそうよね」
「けどお前んとこはここから近いもんな」
「うん。すぐそこだもん」
「701だっけ?」
「うん」
古い白塗りのコーポ。二つ並んだ左奥の方。上から10、9、8、7。
「あれ」
もう一度。10、9、8、7。やっぱり。
「電気消えてね?」
「うん。もう寝てるよ、おじさんたち。朝早いから」
「そうか」
「夜更かしは禁物ですよー」
こともなげに言いながら、中華まんで指先を温めている。なんだか笑われてでもいるかのような気持ち。

ポタ、ポタと、頭が冷たい。もしや、と見上げると、速いまっすぐな粒。
「なんだ、雨か」
食べかけのおでんに蓋をする。
「今朝は吹雪いてたけどね」
「え、そうなの?」
「うん。6時くらいだけど」
「あー、それは起きてないわ」
「そりゃそうでしょうね。だってめちゃくちゃ寒いもん」
あー、まただ。じわじわと。笑われてでもいるかのような。

たまらず目一杯ノビをすると、乾いた砂にかかとがすべった。体が落ちそうになる。
「おっと」
「気をつけてよ。おでんまだ残ってるんでしょ?」
「おう」
体全体が斜めなまま生返事。

「あとさ、アンタ、ビールなんか買ってなかった?」
「うん。そりゃ買うだろ」
「ダメ!ドサクサに紛れて何してんの」
「なんだよ、うるせーなあ」
「アンタ早生まれでしょ?」
冗談混じりの険しい顔。よく覚えてんな、そんなこと。
「ねー、普段から飲んでんの?」
「どうだっていいだろ」
パッと出た返事は想定よりピシャリとしていて、少しハッとする。視界の隅でまーちゃんはため息をついた。
うーん。これなら笑われる方がだいぶマシだった。
中断していたおでんに逃げる。ほどよく冷めて、買いたてより食べ頃。

「これさ」
まーちゃんは地面を指差して、ニッコリと口を開く。
まーちゃんの指の先。さっきガガガとすべったかかとが地面に跡をつけていた。
「こんなんで線引いてさ、ドッジボールとか」
「あー、やったやった。あの木の手前のあのスペースだろ?」
「そうそう。でも今はあっちの角よ」
「あ、あそこじゃないのか」
「ね。フェンス近いのに」
「でもやってんだ。俺らの時みたいな感じで」
「やるやる。いつの世も一緒」

話が途切れれば何の音もしない。空気はただのヒンヤリとした黒。
色んな気持ちで見上げると、漫画みたいな細い三日月。もはや街灯よりも弱いくらいの。

「あのさ」
「うん」
「ちょうど今頃、お前の同級生もみんな同窓会とかやってんじゃねーの?」
「あー、多分そうだね」
「やっぱ行かねーんだな」
「うーん、そうねー」
「合わないか」
「うーん」
「そんな気がするよ」
残った出汁を全部飲み干す。色味から想像したよりしょっぱいんだな。

「アンタは?」
「え?」
「こんな時間にフラフラしてたんだから、アンタも同窓会行ってないんでしょ?」
「あー」
「アンタなんか絶対人気者じゃん」
「お前別に知らねーだろ、俺の高校時代」
すごいよな。こんなこと、ためらう風もなくまっすぐ言えるんだから。
かっこつけるたびに理想から遠ざかってたんだな、俺。また笑われちゃったよ。
「迷ってたんだ」
「え?」
「行くかどうか迷ってブラブラしてたんだ。本当は」
「え、そんな、ごめん」
「いいんだよ。行かないことにしたから」
「いいの?」
「いいの。迷ってた程度の連中だから」
「うーん。なんか」
「久しぶりにお前と会えたことの方が大事」
砂場まで伸びてデコボコなまーちゃんの影。その影に向かって言った。
やっぱり俺の方は、力んでしまって全然上手いこといかなかった。かっこつけなきゃこんなもんだ、俺は。

気づけば三日月がここらで一番高いマンションを超えて、君臨している。それでもその光は弱く、気を抜けば闇に喰われそうで。地面の白いのはとても人工的だ。

「あのさ?」
視線を戻すと、まーちゃんは今日初めて見せる子供の頃の笑顔で俺を見つめていた。
「ビール、飲まないの?」
俺とまーちゃんの間にビニール袋。確かに、そいつだけ手つかずのまま、袋の輪郭を作って待機していた。
わかってるよ、俺だって。もうこれ以上笑わないでくれ。

「帰ってから一人で飲むわ。だいぶぬるくなったし」
「あ、そう」
触った感じまだ冷たいままだった缶を鞄にしまう。これが適温なのかはどうにもわからない。
かっこつけてもこんなもんだ、俺は。

まーちゃんのどこまでも長い影が、少しだけ俺に近づいた気がした。

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