2021/3/25

近頃躁鬱の波が大きすぎる。めちゃくちゃハイな日もあれば、ドン底の日もある。今回はドン底の時の気持ち(今・現在進行形)を書こうと思う。

ベッドで横になり、布団を被っている時、何となく冷たい感触があって、目から大粒の涙がボロボロ出ていた。無意識に涙を流していたし、なんで自分は泣いてるんだろう?と思えば思うほど涙が止まらない。

ぼくは気持ちを表情に出すのがとても苦手。周囲と違う感情を抱いていたらダメなんだと勝手に自分自身に強迫観念を植え付けていたのもあるし、自分のせいで周りが険悪になったりするのが耐えられなくて、自分の気持ちを伝えるのが、ある時感情自体が薄れていた。

話は変わるけど、ぼくは母親という母性にしがみついているし、父親という概念を追い求めている気がする。父親とその家族は長男優先、女はどうせ嫁いで財産として残らないから要らないという考えをしている。それ故に父親から愛情を注いで貰った記憶も、可愛がって貰った記憶もない。それに加えて大人なのに、親なのに、その場の感情で怒りだしたり車の運転が荒くなったりだった。よっぽどママのお兄さんとその家族の方が好き。一番身近な異性の父親が存在しないも同然で、オマケに怖いという感情と結び付けられているから、ある種男性恐怖症の様な、小学生でも体格が大人になってると無条件に恐怖を感じてしまう。

でもとにかく愛されたいという思いもあって、関わりを持つようにしては途中でダメになるの繰り返し。言い出したらキリがないけど、なんで普通にお父さんとお母さんが仲良くて子供のこと好きで標準以上の暮らしができる財産を持った家に産まれなかったんだろう?って切に思う。

別にぼくが今現在の親・性別を選んだわけではなく、あくまで勝手に作り出されたから死ぬのも自由だと思うんだよね。でも結局は死ぬのが怖いから今こうやって生きて文章を書いてるわけで。色んな自殺方法を調べたり、自殺した後の自分の体はそんな感じでぐちゃぐちゃになるんだな〜ってのを想像することで割と正気を保ってる。生きる為に死ぬことを考えるって究極的に矛盾してるけど、その空気感がなんだか安心する。

以前、自殺未遂で終わった首吊りの時のことを定期的に思い出してはいざとなればその方法で死ねばいいという安寧にもなっている。ママと本気で死にたくなったら、自殺しようと思ったら樹海に行こうって話してる。ママは私だけのママだし大好きとか大嫌いとかそんなありふれた感情を超越してママのことを愛しているからなるべくなら安らかに本人が望む最期を見届けたいけど、一緒に死ぬ。即ち無理心中もありなのではととてつもなく思う。

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