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最近よくあるグラフィックレコーディングへの誤解の考察。

0-🐤まえがき

さて、今回は、最近よくあるグラフィックレコーディングへの誤解を、DesignResearcher / TokyoGraphicRecorder の清水の視点から考察してみるノートです。この考えが正しいと主張する論理や、誰かへの意見やメッセージではありません。あくまで私が普段の仕事や研究の中で体験したできごとから生まれた個人的な思考の記録です。

(※ ムーンショットの件で、このノートを見に来てくださった方には、もしかしたら期待はずれだったり、腑に落ちない部分や、わかりにくい部分もあるかもしれないことご了承ください。)

色々な角度からの意見があると思いますが、社会の中でのグラフィックレコーディングはじめ、ビジュアリゼーションのあり方は、賛否両論の議論や混乱を生み出すくらいに、まだまだ未知の領域です。

100年後に、この領域がどのように進化するのか想像しながらご覧いただけると、きっと何か新たな発見があるはずです。ここに来てくれた好奇心ある "あなた" の思考を、何かしら刺激できることを祈りながら、ノートにしては長文の1万字をシェアしてみます

DesignResearcher / TokyoGraphicRecorder / 清水淳子🙌

1-🕵️‍♂️‍♀️そもそも私は何を探求しているのか?

私は、2013年3月から、 多様な専門家や実践者や生活者たちが集い、何か新しいモノゴトを生み出すための話し合いの場を研究対象としている。多様なメンバーが集う場は、新しいモノゴトのアイディアが 生まれる可能性は高まるが、同時に、それぞれの立場、経験、 目的、想いの違いから、衝突や沈黙が起きることも多い。 そこで、私は、そのような衝突や沈黙した話し合いの場で、Tokyo Graphic Recorder として、 グラフィックレコーディングを用いることで、一体何が起きるのかを実践しながら探求している。

2-🎨グラフィックレコーディングとは?

グラフィックレコーディングとは、短く一言で言うと『人々の議論/対話を 図や文字や絵を組み合わせたグラフィックを用いてリアルタイムで可視化する手法のこと』。記録するメディアは、ホワイトボード/模造紙/ロール紙など多い。または、iPadやペンタブからプロジェクターに投影することもある。 (活用方法や効用、発生した背景について、詳しくは書籍の一部を無料公開しているページがありますので、そちらをご覧ください。)

INTRODUCTION 目次 / グラフィックレコーダーとは?
👉まえがき
👉Q 1 グラフィックレコーダーは何をする人なの?
👉Q 2 なぜ「グラフィック」なのか?
👉Q 3 どんな効果が期待できる?
👉Q 4 会議の参加者はどう変わる?
👉Q 5 なぜ、今の時代にグラフィックレコーダーなのか?
👉Q 6 社会の中で活用できる場所はどのくらいあるのか
👉Q 7 グラフィックレコーダーとグラフィックファシリテーターの違い
Q 8 何からはじめればいいのか?

この日本初のグラフィックレコーディングについての書籍は2019年4月現在、6刷となった。初版で終わることも多いと言われる出版環境の中、多くの人に自分のビジョンが届いた。これはとても嬉しいことだった。


3-🖥認知度のアップと新しい呼び名「グラレコ」の登場

自分自身で様々なメディアの取材を受けたり、講演やワークショップをしたり、書籍を出す中で、ビジュアルプラクティショナーと依頼主は想像以上に増えていった。これはグーグルトレンドで「グラフィックレコーディング」の検索ワード数を調べてみたものだ。

画像1

この数字が全てではないが、目安としてざっくりと眺めてみると、2013〜2019年のネット内での知名度と関心の変化がよく見える。私が活動を始めたのは2013年当初。また、注目していただきたいのが、2015年頃から、自然発生的にグラフィックレコーディングを「グラレコ」と略して呼ぶ人が増えた。今ではそちらの呼び名で呼ぶ人の方が多いかもしれない状態だ。

4-🌱SNSで見えなくなる「レコーディング」の時間と空間

「グラレコ」と呼ばれ始めて、良いことも悪いことも両方起きた。良い流れとしては、呼びやすく忘れにくい名称のおかげで知名度が上がった。そしてカジュアルな響きで、まずはやってみようというビジュアルプラクティショナーが増えた。ビジュアライズを一部の業界や人だけではなく、もっと多くの場所で生かしていきたいと考えてた自分にとっては本当に嬉しいことだった。

しかし、その一方で「グラレコ」という日本語のニックネームからは「Recording」の「ing」というリアルタイム部分を知る部分を消した。そのためSNSで、完成した画像が、グラレコというネーミングで拡散されると、複雑な情報を手書きでわかりやすく図解すること。そしてその情報を人集めに使うことを「グラレコ」だと受け取る人が増えてきた。

書籍の中で、「Q3 -グラフィックレコーディングでどんな効果が期待できるのか?」という部分で2つの効果を書いた。

しかしどうやらSNSの空間の中で、既存の1と2に加え、新しい3と4の役割が生まれて行った。

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📘1-会議の最中で、対話の活性化を引き起こす

👉対話のためのグラフィックレコーディング
「リアルタイムでみんなの前で、話の全体像を描き、
その場で、参加者と共有して考えを深める」
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📘
2-会議後に、第三者(身近な関係者)を巻き込む記録物になる
👉アーカイブとしてのグラフィックレコード
「リアルタイムで描いたグラフィックレコードを、
その場にいなかった人にシェアして、共通認識を作る 」
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📣3-広報物で、
第三者(ステークホルダー)に見せて好感を持ってもらう
👉PRとしてのグラレコ
「ゆっくり見えないところで、話の重要な部分をまとめて、
ステークホルダーに、短時間で対話のエッセンスを味わってもらう」
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🤡4-SNSで、第三者(世界中の人)に見せて注目を集める
👉バズを期待したグラレコ風
「伝えたい情報を、手書き風で
より多くの人に不特定多数の人に伝え、話題や行動を生むことを狙う」

この4つは見た目からは判別できないが、全く違う。それがややこしい。


5-👿そもそも(バズ)は悪なのか?

生活の中では、ネットで爆発的にシェアされたことを「バズる」「バズった」もっと多くの人に知らせたいことを「バズらせたい」という。しかし、起源は先人の凄腕マーケターたちが切り開いてきた歴史がある。

そもそも(バズ)とは、人為的にクチコミを発生させて商品やサービスの特徴や感想などを周りに広めていくマーケティング手法のこと。発生は、インターネット以前の、口頭の口コミによる商品の広報活動まで遡る。

作り方としては、インパクトある話題性のあるバイラルネタを見つけて、メディアに載せることで「バイラルメディア」を作る。バイラル(Viral)とは「ウイルス性の」「感染的な」という意味。そして、短期間で爆発的な注目を集める手法である。

なのでバイラルメディアは適切に活用すれば、今まで出会うことのなかった情報で世界を繋げるものすごい可能性がある。実際に、最高峰のビジネス/アート/哲学/テクノロジー全てを掛け合わせた実際素晴らしいコミュニケーションを生み出すバイラルメディアも多く誕生してきた

しかしこれは精巧なリサーチと、塾考したストラテジーがあっての世界だ。今やバズの世界はピンキリになっている。今の時代では、バズは手のひらから誰でもチャレンジできるチャンスだ。だが、相当な知見と経験と覚悟がなければ、そのチャンスはノイズ(誰かにとっては暴力)で終わることもある。諸刃の劔の手法なのだと私は考えている。

▼11/14追加 / 参考記事


なので、グラフィックレコーディングを行なっているつもりで、気がつかずに自分の描いた「グラレコ風」のグラフィックを、バイラルネタとしての文脈でバズマーケティングに使用されてる可能性を常に考える。もし、本気で手書きバズマーケティングのプロになるならば、それはそれでカッコいい。だけど「私は知らなかった。そんなつもりはなかった。騙されてた。」というのはお金もらう以上はナシにしたい。


6-👶多様性ある自由すぎる「グラレコ風」の世界

「グラレコ風」の世界は天真爛漫で自由だ。ipadのスケッチアプリで読んだ本の内容やレシピを手書きでまとめることや、似顔絵と自己紹介をまとめたバナー型のプロフィール画像を作ることを「グラレコ」と呼んだり、写真に手書きで絵を描くことを「フォトレコ」と呼んだり、食べたものを記録することを「食べレコ」と呼んだり、作者自身の名前をつけ「(名前)レコ」と呼ぶなど様々だ。もはや『「レコとは何か?』という感想を抱かせるカオスな状況が生まれた。(「レコ」は「手書きでゆるくデコる」みたいな飾り付けのニュアンスまで意味が広がっているように思う。)

そういった多様性ある略された「グラレコ風」が、本来の「グラフィックレコーディング」よりも多くSNSで溢れるようになると、今度はリアルタイムで描くグラフィックレコーディングを「生グラレコ」と呼ぶ人も現れる。ものすごいスピードで、言葉の意味の変容が巻き起こっていた。


7-👪「グラレコ風」は Co-design の世界観?

しかしこのような混乱の状態は、むしろ歓迎すべき状態のようにも感じる。SNSで様々な「グラレコ」を見て、「グラレコを描きたい!」と、軽い気持ちで描き始めたビジュアルプラクティショナーが、描いてる内に「グラフィックレコーディング」の「ing」に目覚め、さらには「グラフィックファシリテーション」を習得してスキルアップしていくパターンも見かけた。

略されたなんでもありの「グラレコ風」の世界は、誰でもビジュアリゼーションの世界に触れることのできる優しい玄関とも考えられた。この玄関口の出現は、今まで、ビジュアル言語を使うことを過度に抑制された社会への反動の現れようにも見えた。グラフィックは [プロが使うもの/大人は絵で伝えてはいけない] という抑圧が、ビジネスシーンでも認められた「グラフィックレコーディング」で解除された。形式が生まれることで、大人が手書きのグラフィックを描くことに承認と勇気を与えたのではないだろうかと思う。選ばれた誰かだけでなく、誰でも描く世界への願望が「グラレコ風」というスタイルで現れたと考えることもできる。

それは、誰もがデザイナーとなって身の回りをクリエイトをする北欧で起きている新しいデザインの潮流 Co-design の世界観の理想の姿のビジュアル版プロトタイプにも見えた。なので、私は、バズマーケティングに取り込まれてない、その人の生活範囲の課題を描き出すための自由なスタイルの「グラレコ」の出現は本当に嬉しく尊いものだと感じた。このエンパワーメントの文脈は、当事者研究でのグラフィック活用への出会いにもつながり、多くの発見があった。



8-📞依頼の変化

そんな感じで、「グラレコ風」「グラレコ」「グラフィクレコード」「グラフィックレコーディング」。他にも様々な手書きビジュアリゼーションの手法と文脈が入り乱れる日々だった。その混乱をそのまま楽しむビジュアリゼーションマウンテンクエスト#VMQ (このこともまとめたい...)というイベントを考えたりするなど、ジタバタと試行錯誤してる中、依頼の内容に変化が生まれた。

『話の重要な部分をまとめて、SNSで、多くの人にわかりやすく伝えたい』そんな期待して依頼してくるクライアントが増えてきたのだ。更に『流行ってて、SNSでシェアされやすいし、硬い会議の華になりそう』というような漠然としたイメージでの依頼も増えてきた。

そういう空気を感じた時は、打ち合わせでグラフィックレコーディングのリアルタイム性がもたらす効果や性質や危険性をしっかりと説明する。すると担当者が目を輝かせて、ビジュアルを活用した会議の再設計が始まる。盛り上げの外注ではなく一緒にクリエイトする仲間になる。そんな楽しい仕事の始まり方が増えた。

...一方、逆に「あぁ...黙ってサッと描いてくれればいいのにな〜工数増えるな面倒臭いな...😒」という空気もガンガン感じる現場にも出会うこともある。こういう時にビジネスライクに、なんでもサッと描いてしまえばいいのかもしれない。けど私にはできないので、しっかりと本質を伝える。(結果、お仕事が消えることも多い。。)

そういった打ち合わせに出会った時は、本当にぐったりしてしまう。だけどまだまだ未発達の領域なのでしょうがない。具体的に、どのようなズレが生じているか? (長く複雑すぎる前提のシェアから、ここからが本題だ。みんな離脱してないだろうか...?) 

ちなみに私は誰が何が悪いとかは、全く思っていない。
ただ「体験が伴わない情報」で、人々の認識がドミノ倒しのように上書きされていく現象。これが怖い。
けど、それ以上にこの情報環境が興味深いので、この混乱をみんなで考えていきたい衝動。それが願い。
(書き疲れてくるとRAP調になってくる癖....😂)

さて、最近、よくあるグラフィックレコーディングへの誤解を3つ上げて、私の考えを書いてみる。

***

A-『重要部分だけを、わかりやすく1枚にまとめたい!』

→△🙅‍♀️リアルタイムで、シェア用の端的なまとめは作れない。
→◎🙆‍♂️消えてしまう話の全体像を記録することで参加者の理解を助ける。

SNSで拡散する用に編集されたグラレコが増えた影響なのか、グラフィックレコーディングは会議の重要部分だけをギュッと端的にまとめたキレイな画像なのだと考える人が増えている。

確かに目的によっては、最終的に1枚にサマライズすることもあるが、最初から端的なまとめを作るためにレコーディングすることはほとんどない。というかできないし、しないほうがよい。まずは、レコーディングという名の通り、会議が始まってから終わるまでの全ての情報をリアルタイムで網羅的に記録することで参加者の理解を助けることが、グラフィックレコーディングの面白さだ。

なので私は、仮に盛り上がらない会議があったら、そのまま盛り上がってない様子もレコードする。アイディアが出ない時は、虚無の時間をそのまま空白で描くこともある。どれだけ素晴らしい話が出たか?という部分だけを掻い摘んでレコーディングするのでなく、一見無駄だと思われる全体像を記録することで参加者の発想や理解を助けるほうが面白いことが起きると考えている。


B-『SNSで広く多くの人に伝えたい!』

→△🙅‍♀️SNSで広めるのはおまけ。もしSNSがメインなら全力対策
→◎🙆‍♂️まずは現場が重要。(その場にいる人→関わる人→SNS) この順番

本当にもうSNS無しでは語れない時代になってきている。描いたグラフィックレコードをSNSで華やかにアップして、より多くの人に関心を持ってもらって、存在の認知に繋げたいという依頼は多い。

でも待って。そのイベントの内容って本当にSNSでシェアする必要あるのだろうか? 本当に意思を持って発信してるのか?それとも周りの勢いに流されて発信させられてるのか?そもそも本当にSNSで伝える必要ってあるのか?SNSだけで理解できる内容なのか?その前に現場はどうなっているのか?映えに夢中になって冷え込んでいないか。

無料だし、方法も簡単なので、ついつい何でもアップしたくなる気持ちもわかる。だけどSNSにアップして何か効果を狙うならば、しっかりプランニングする必要がある。描いたグラフィックレコードだけをアップしても参加者以外に文脈は伝わらない。また「グラフィックレコーディングをしました!」という事実が、「何か面白いことをした!」という記号になっているとしたらもっと危うい。

それよりもビジュアルを用いて、フラットに話し合う空間/現場の絆や信頼がある風景を伝える方がかっこいい。その場合は画像だけでなく映像や現場の写真なども必要になる。文章も工夫しなければならない。大変だけど、人がグッとくるのは、現場のリアルを伝えようとする試行錯誤の工夫や努力や覚悟なのではないだろうか?


C-『登壇者のメッセージを素敵に強く伝えたい』

→△🙅‍♀️ 特定の人のための拡声器 (スピーカー)ではない
→◎🙆‍♂️ みんなでフラットに話し合える舞台 (ステージ)を作る

登壇者の話を残したい。シンポジウムでは多い依頼。誰かのスピーチをかっこよく残したい。きっと依頼主は、似顔絵があって、スピーチの名言が散りばめられる記録をイメージして依頼してくる。

そういう記録は否定しない。でも、必要以上に登壇者の話を煌びやかに記録しないのが大事だと思う。インスタでいうと「盛りすぎない」ここに尽きる。本当に泣きそうになるくらい素晴らしい話もたくさんあるけれど、やはり「盛りすぎない」これは重要。

誰かの一人の考えを特別に素晴らしく見せるための絵ではなく、その場で起きたありのままのできごとを描くことが大事なのだと思う。現実にはフラットではない関係性も、せめて紙の上では平等に誰でも発言できる仕組みを生み出すことを行いたい。

私の理想のグラフィックレコーダーは、誰かの一人の考えを特別に素晴らしく見せる拡声器(スピーカー)ではなく、紙の中に思考を交わす舞台(ステージ)を作るイメージ。その舞台を使って場をファシリテートに入ると、グラフィックファシリテーターになるのかなと思う。私はあくまでもその舞台を作り、参加者が自主的に動き出すのが好きなので、あえてグラフィックレコーダーと名乗り続けてる。(けど、これが複雑さを生んでる原因なのかもしれない...肩書きを変えていったほうがいいのかな...など悩み中)


9-💣結論/3つが組み合わさると地雷になることがある。

A - 重要部分だけを、わかりやすく1枚にまとめたい
B - SNSで広く多くの人に伝えたい
C - 登壇者のメッセージを素敵に強く伝えたい

上記3つがグラフィックレコーディングによくある誤解だ。この3つが揃ったまま、企画自体の冴えなさを誤魔化すための華として取り込まれると炎上要素のある地雷になる。(予測になるので、本当のところはわからないけれど、今回のムーンショットは会議自体が超絶不安定だったところに、上記3つのグラフィックレコーディングへの誤解要素が混じり合って、燃料となって、派手に炎上してしまったように思う...。)

( ※5/2追記 /
もちろん企画自体に闇でなく、ビジョンがあれば、
グララフィックレコーディングは
危険な「地雷💣」ではなく、
素敵な「花火🎆」になります。

どちらも同じ威力あるもの...
取り扱いとTPOによって結果は変わってしまうのです。)

中身がないのは、
a・グラフィックレコーディングなのか?
b・描かれた会議そのものなのか?

炎上した時に、SNS上で、この2つの責任問題の押し付け合いになると、切ない仕事になる。この構造が生まれそうな会議の時、私は仕事を大きくリデザインすることを試みる。できない時は受けない方がいい。

炎上しても「まぁ議論が起きたからいいじゃない!何でも試さないと!」と楽天的になるのも大事だけど、気軽に炎上させて、「グラフィックレコーダーが来ると炎上する...」と思われるようになったら悲しいので、話題性ある大きな仕事では、グラフィッカーみんなで気をつけたいところ。


10-👑ナポレオン絵画から学ぶ仕事の受け方

仕事を受ける時にいつも思い浮かべる絵がある。ナポレオンの肖像画だ。

画像2

ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト

有名なナポレオンの肖像画。これは、スペイン王が、ナポレオンとその軍隊が、1800年5月にグラン・サン・ベルナール峠経由でアルプスを越えようとする姿を理想化して描いていると言われている。

実際のアルプス越えは晴天の日のことであり、ナポレオン自身は軍隊に数日遅れて、ラバに乗ってガイドに案内されたという。実際は白い馬なんか乗っていないし、マントも翻らない。わかりやすくいうと「盛っている」。

この絵は、軍隊の指揮を上げるために描かれたプロパガンダだ。より立派に見せるために、本当のナポレオンの姿は反映されていない。担当した画家は本来のナポレオンの姿を描くため、座ってスケッチさせるように頼んだが、ナポレオンは、そっけなくこれを拒絶したという。

歴史上、絵描きという職業は、権力者を民衆に大きく見せるための制作物を生業として受けてきた。このことにより視覚文化は大きく発達してきたが、今の現代でもこのようなことは続くべきなのか? 私はこの構造にも疑問を持っている。

だからこそ、強い力を持つ人の会議のネガを隠すための、ナポレオン絵画的グラフィックレコーディングになっていないか? いつも自分に問いかける。歴史を超えて、ナポレオン絵画な仕事はたくさん転がっている。そのナポレオン的な仕事の誘惑と、どう向き合って自分が本当に描くべき光景を描くのか? この葛藤は歴史を超えたビジュアルプラクティショナーの課題なのかもしれない。

11-🚶‍♂️仕事を受ける前に確認するといいこと

グラフィックレコーディングの講座が様々な場所で日々行われている。どんどん描ける人が増えることにワクワクする一方、描ける人をこんなに気軽に増やして「本当に大丈夫なのか?」不安になることもある。

バズマーケティングしかり、グラフィックレコードは情報環境によっては、生み出した情報が一人歩きしてコントロールできなくなってしまう状況に巻き込まれることがある。駆け出しグラフィッカーさんには、どんどんチャンスを手にして描いて欲しいと思う一方、仕事に繋げる時には、リスクを常に意識して欲しいと思う。

普段私が確認してること。

1■良かれと思って描いたビジュアルが
誰かにとってはノイズ(暴力)にもなり得る可能性があることをイメージする

2■担当者の建前と本音にズレがないか確認する
ニーズとインサイトの観察をする

3■描いた意図を自分の名で発信できるのか?常に自分に問いかける
描く意義を感じる仕事、説明できる仕事を行う。


12-🚗たぶん必要なのはメディアリテラシーの向上

ここまで色々と書いて思ったのは、一番大きな問題は、変化しすぎるメディア環境と日本の義務教育でメディアリテラシーの授業がないことなのかもしれない。

a・現実世界 (会社 / 大学 / 組織 / 家)
b・仲間内のデジタル連絡網 (電話 / LINE / FB)
c・全世界にバイラルしうるSNS (Twitter / Instagram / FB)

この3つの世界は似てるようで違う。そしてしっかり分けられてるようで、グラデーションで繋がっている。意識しないとあっという間に違う空間に運ばれてることはよくある。現実世界とSNSを行き来する日常の中で、情報を伝える/受け取るトレーニングは必要なのだろう。何も学ばないのは、教習所なしで高速道路に飛び込むことに似ている。

ジャーナリスト菅谷明子さんの著書「メディア・リテラシー」には多くのヒントが詰まってるように思う。 


13-🚗グラフィックレコーディングの未来

「グラレコ」で検索すると、良くも悪くも意味が変容していく様を目撃することになる。グラフィックレコーディングの書籍出した立場としては、色々と『混乱をもたらすものを世の中に出してしまった...』と責任を感じて、不安になる日も多い。

でも、私としては、始めに書いたように、100年後に、この領域がどのように進化するのかが楽しみでしかたない面もある。なので今回のような議論を呼ぶような出来事はこれからもどんどん起きてほしい。あとは、こういう議論が起きた時に、ビジュアルプラクティショナーは意見をどんどん言える雰囲気になるといいなぁと思う。そこにビジュアルランゲージとしての発展のチャンスがあると思う。

また、ここまで読んで逆に興味が湧いてきた方は、是非一緒にお仕事や研究をしましょう。「ビジュアリゼーションを軸にどのような対話や未知のコミュニケーションが生み出せるか?」様々なカタチで探求する仲間を探しています。メッセージお待ちしてます◎

私も、日々色々とぐるぐると考えてますが、みんなで思考しながら、良い事例を作り続けていきたいです。混乱を楽しみましょう。


14-🐤あとがき

さて、いかがでしたか? 長く拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!

「スッキリした!😋」「なんだか違和感...🤨」「いやここは違う!😡」きっと色々な角度からの意見があると思いますが、はじめに書いた通り、社会の中でのグラフィックレコーディングはじめ、ビジュアリゼーションのあり方は、賛否両論の議論や混乱を生み出すくらいに、まだまだ未知の領域です。感想/意見がありましたら、是非教えてください。対話しましょう。

今日発信した内容やこれから生まれる対話や議論が、100年後のメデァア環境の中でどのようにアーカイブされるのかとてもワクワクします。この領域がどのように進化するのか想像しながら、いつか全員でビジュアルを真ん中にみんなで話せたらいいですね。

DesignResearcher / TokyoGraphicRecorder / 清水淳子🙌
平成最後の夜に。


15-🍡おまけ / 参考書籍や動画

☝️ビジュアルのパワーをジャーナリズムと言語学の視点から研究しているSunni Brownのプレゼン。いつか彼女とディスカッションしたい。そのために英語を頑張る気持ち。

☝️Sunni Brownの著書

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☝️ファシリテーション・グラフィックの創始者のひとりの著書

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☝️日本で一番読まれてると思われるファシグラの本

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☝️[心というのは胸の辺りにあるものでもなく、脳の中にあるものでもない。
人と人の間に生じてくるものだ。] そんな気分になる本。

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☝️「AとB」ではなく、「AとBのあいだ」を見つめたい。

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☝️言語の中でビジュアルはどこに位置付けられるのか?

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以上、私がグラフィックレコーディングのあり方を考える時に参考にしてる書籍の一部でした。では◎

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Design Researcher / 対話の場 / 議論の可視化について研究してます◎グラフィックレコーディングの教科書 発売中 https://amzn.to/2Frt8OC |多摩美情デ専任講師

コメント9件

お元気でしょうか?
活発にご活躍されているようで何よりです。
何度か清水さんのグラレコを横目で見て「すごい!」と感じたことが未だに言語化できない新しい体験でした。
「ing」こそがグラフィックの一般的な機能であるリプリゼンテーション(ログとしての)ではなく、議論や話の中で積極的なアクタント(行為者としてのもの)として機能させ、その場の質を変化させていく重要な要素だったなとこの記事を読んで勝手に納得しましたw
多忙な毎日だと思いますが、ランチなどでお話が聞けると嬉しいです。
ありがとうございます。「ing」の部分が一番重要なのですが、SNSでは見えなくなってしまうのが悩みです。どこかでお話しできること楽しみにしております。(ちなみにこれはペンネームですかね?どなたかわからないのでSNSアカウントありましたら教えいただけると助かります!)
失礼しました。俊敏な豚→前職の同僚だった李です。
李さんですね! 鋭い視点で一体誰かと思いました...。 李さんのコメントなら納得です! ランチ是非行きましょうー!
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