カントクノセンタク


ボロボロに泣いてねこんでしまった。

何故かって??

ただでさえ酒にも情の訴えに強くない私が飲み慣れてないジムビームのロックを片手にノーサイド・ゲームを鑑賞したからである。

ジムビーム×涙腺の崩壊 に因んで私はコレを

"涙腺ビーム"

と名付けよう。勇者ヨシヒコに登場するメレブ(ムロツヨシ)がいかにも使いそうなクソ呪文みたいである。

涙腺ビームを食らった私は、全身を抱擁するヨギボーに身を任せて優しく包み込まれ、眠りに誘われる。飲み残しのウィスキーは融解した氷と共に希薄されていく。

それは時間と共に流れ…


今朝に至ると。。。

あ、ノーサイド・ゲームのネタバレを少々含むので以下の内容は自己判断でみてください。














これくらい下までいけばいいかな?


ハマハタとナナオの開幕戦レギュラー争いの発表シーンにて。両者はもちろん、レギュラー発表を終え、グランドから去るサイモン監督のカメラアップの描写からは、選手の命運そのものを決めるジャッジをくだす監督側の苦渋の決断そのものが伺える。

一般人とは異なる、1人のラグビー選手としてフィールドで活躍した彼だからこそ共感できるものがある。
悔しいのは選手だけではない。選手運命を左右する立場であるが故に、平等や対等で決めてはいけない。プレイヤーとして活躍し、そこに弱肉強食の茨の道があるのを知っている。なおかつ、それぞれの努力や奮闘を見てきた。全員を選べない過酷な現実を前にして悔しいのは彼なのではないだろうか。


一人一人を優遇することはできない。だからその中でもいかに優れている才能を持つ人材を選ぶ。

そう言わると、この世は酷く残酷かもしれない。しかし、誰しもがそう思っている。選ばれるモノ選ぶモノ、立場や地位や人なぞ、関係ないのである。皆が皆、抱えている現実そのものである。

突き進む強き者はチャレンジという標語などを掲げて突き進む。我を貫くのもまた一興。目を背けたくなることもあるかもしれない。逃げたくなるかもしれない。遠ぞくことも一興である。

しかし、これだけは伝えたい。


いずれにせよ道は果てしなく続く。
それでもヒトは歩んでいく。
行き止まりは自分で自分を殺めたトキだ。

p.s.
道は長い。されど刹那の選択の連続である。
人生は貴方が監督である。

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