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東京讃歌

「どう?東京には慣れた?」
東京都内に住み始めて3ヶ月が過ぎて、そんなことをよく聞かれるようになった。


正直言って、東京は変な街である。

こんなことを言ったら、東京アンチ撲滅運動過激派ガチ恋勢によって私の住所が特定され、東京を追放させることになり、なんやかんやで佐賀の沿岸で住み込みで海苔の養殖を手伝うことになり、結果的に毎朝法外な時間に起こされるんじゃないですか?と、私の身を案じてくれた人もいるだろう。

しかし、そのような心配は無用なのだ。何故なら、東京都内に東京ガチ恋勢はいないどころか、東京に関心のある人など都内にはいないからである。東京に関心を持っているのは、むしろ東京以外にいる人なのだ。(念の為言っておくが、そもそも私は東京のアンチではない)
各都道府県で行われたアンケートで、あなたは今どこにいますか?という質問に対し、46道府県のほとんどの人が自分のプリフェクチャーを回答できたのに対し、東京都在住者のほとんどが「どちらでもよい」と回答しており、東京に住んでいる人はもはや、東京に住んでいる、という自覚さえ失っているのである。

東京からは、「地元愛」みたいなものがまったく感じられない。これは、そもそも東京にいる人のほとんどは、別の地域にルーツがあることが多いからだろう。加えて、街は常に新しいものやひとに変わっていくので、もともと住んでいた人も、あまり地域に執着しないように徹底的に教育されているのだ。
しかし、東京という場所は、新しいことや他者を受け入れることに関してはとても寛容であるように思える。他の地域の人がこれを読んだら驚くかもしれないが、なんと、東京のひとは、満員電車でも何の抵抗もせずただ静かに押しつぶされているし、高すぎる家賃もおとなしく搾取されているのだ。逆にもし、満員電車で抵抗している人を見かけたら、それは東京のひとではない。

先日、私もそのような、東京を知らない哀れな青年を見た。彼は、自ら満員電車に乗り込んだにも関わらず、背後の乗客に背中を押されて舌打ちをし、よろける周辺の人に悪態をついていた。私もその時は、なんだか感じのわるい青年だな、と思っただけで気づかなかったが、実は、彼のその行為は、何の意味もないことだったのである。なぜなら、彼の背中を押しているのは、背後の乗客ではなく、もっと大きなものであり、当然のことながら周辺の人に責任はなく、それらはすべて東京という大きな概念によって生み出された、巨大な力であったからだ。その時、彼が抵抗していたのは、東京そのものであるにもかかわらず、彼は東京のなかにいて、しかもそれは、逃れようがない大きな存在だったのである。彼はまだ、本質的に東京を理解できていなかったのだ。

私たちが東京に住むとき、同じように私たちも東京を受け入れなければならないのである。


などと、わけのわからないことばかり考えていないで、もっと仕事に集中すべきである。

それにしても、今日はまだ月曜日だ。
絶望的なことに、今週は土曜日まで仕事の予定なのだ。週末まで遠いことだし、もう少し、妄想に浸るとしよう。

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