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ストレスとワタシ

“二月は逃げる”といわれるが、その通りで駆け足で過ぎようとしている日々を見ている。

年度末が近づいて来て、日本語補習校の理事長の仕事も途切れなくやって来る。
昨秋から私の両肩を重くしている人事の件がなかなか終わらず少し困っている。
そこに領事館からの案件も来て、パソコンが苦手な私は慣れない事務仕事に四苦八苦している。これが全て無償仕事である。事務員さんが欲しいと無性に思う。

“在外子女の日本語教育を担う補習校”は文科省や外務省関係で援助を受けているため、領事館とのやり取りは多い。
しかし、お役所からの指示文書というのはどうしてあんなにも読み解き辛いのか...
今週予定されている日系ホテルでの天皇誕生日の祝賀会にも補習校理事長として恭しい招待状が届いたが、今のところ出席する予定はない。

去年から“ストレスがかかると左肩から腕にかけてが痺れるように痛くなる”という症状が出る様になった。体というのは自分が思っている以上に外からの影響を受け意識に語りかけようとするのだな...と近頃つくづく感じる。
けれども思い返せば、東京でナースの仕事をしていた頃は生理不順に悩まされていた。一月飛んでしまうことはよくあって、20代の月経回数は1年で8回程度だったかも知れない。判で押したように28日周期で来る、と友人から聞いて信じられない気持ちになったものだ。アレも今から考えたらストレス以外の何物でもなかった。
胃もよく痛くなっていたし、14歳頃に治っていたはずの小児アトピーがぶり返して、これは30代までずっと私を悩ませる症状になった。
アトピー性皮膚炎は、加齢と共に穏やかになると聞いていた通り年々軽くなったが、入れ替わりの様に掌と足裏の皮膚トラブルで、特に掌は手をついたり物を持ったりするのが痛くて普通の日常生活を苦痛に感じるほどだった。

困り果てて、一度皮膚科で徹底的にアレルギーの検査をしてもらった事があった。
ちょうど助産師の資格を取るために、家族で一年奈良に移住していた頃のことだ。特別なレーザー治療ができる数少ないクリニックで、家から遠かったがバスを乗り継いで受診していた。
血液検査や重金属のアレルギー検査(パッチテスト)もして結果は陰性。驚くことに「全くなんのアレルギーも無い」という事が判明した。花粉症を含む花粉やハウスダスト、その他アレルゲンになる全ての項目が陰性。
「こんなに酷い皮膚症状があるのに何のアレルギーも無いのは珍しい、今どき...」と皮膚科のお医者さんもびっくりされていた。
小児アトピーでもあったし季節の変わり目にも鼻炎症状があったから、てっきりアレルギー体質だと思いこんでいた。
そういえばアフリカでもガンガン地元フードを食していたし、キレイな水ではなさそうな水も「脱水になるよりマシ」と飲んでいたがお腹を壊した事もなかった。元来かなり頑健な体らしい。

「元気に生んで貰って親に感謝しなければ」とよく人は言うけれど、そんなの“たまたまそう生まれた”だけでしょう...と長らく不遜な気持ちでいた。だけど自分が子供を産んでみて、自分自身の何かを確実に削った感があった。
それが何のか分からない、魂の一部だろうか...

丈夫に生んでもらうというのは決して当たり前では無いと、最近になってやっと理解し納得した。
遅いなぁ...
思えば自分は“既に与えられたもの”に対してとても無自覚なところが在る。
当たり前と思う物事は本当にそうなのか...?
何が当たり前なのか?
そういう事を、ちゃんともう少し考えながら生きていきたいと思う。

ずっと私を悩ませてきた掌の症状は昨夏から信じられないくらいよくなって、今はほとんど目立たなくなった。普通に手洗いができるのが嬉しい。
代わりの肩の痛みは、ストレスを感じている時だけ現れる症状なので、それも自分の状態を知る手掛かりだと思えばそれほど苦にならない。
ちゃんと症状を出して貰わないと、自分を過信してしまうから有難いものだ。
“あぁ今ストレス感じてるのね..”と自分の体を摩り労わってあげよう。

自分で自分の状態を受け止めるだけで、問題の大半は問題では無くなるなぁ...と最近よく思う。

早咲きの山桜が咲いていた
向こう側にはライン川が流れる
雲間に見えるお日様が
とても美しかったライン川の朝


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