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「二つの脳、二つの心」を生きる

金曜日にドイツ語のインテンシブコースが終わって一抹の寂しさを感じている。
たった3週間だったけど深く学べた時間だった。
今までもオンラインでドイツ語学習をやってはいた。でもそれは会話中心で、文法を深く学んだのは9年ぶりだった。

ゲーテはドイツ語学校として本当に優れた学校だけど、受講料がとても高いことでも有名だ。
ゲーテの先生が優秀というのは以前も受講して知っていたけれど、今回更に分かった事があった。

「良い先生」というのはモチベーションを引き出してくれるということ。
今回の受講で、大げさに言えばドイツ語への親愛の気持ちを持つことが出来た。
ドイツ語が嫌いと苦手意識を持っていた私にとって、それは画期的なこと。
気持ちってこういう風に変化するんだなって思った。
それは今回の先生がきっとドイツ語教えることに熱意を抱いていたからで、人を動かすのはそういう情熱なんだな...とつくづく思う。

このコースは同じ先生が継続して、来週から後半が始まるので、私も続けようか...と考えた時期もあった。
単純に、学生になって学ぶのが楽しかったし、クラスメートはボスニアヘルツェゴビナやメキシコ、チュニジアから来ていて、皆ナースだったので、クラスに連帯感があった。
「もう続けない」と言うと皆、盛大に残念がってくれた。

ただ、11月は分岐点になる大きな出来事が予定されていて、それに向けて自分を整えていかなければならない。
ドイツ語コースが始まると何もできなくなってしまうので、すごく残念だけど当初の予定通り終わることにした。
自宅でコツコツドイツ語学習は続けていこう。
そうでなけれであっという間にまた忘れてしまうから。なにせ子供達との暮らしでは、日本語しか使わないのが実情だから。

心を整えるために日曜日は大掃除をした。

長年、掃除は大の苦手だったけど、いつの頃からか掃除中に瞑想のようになる心の状態に気がついた。
面倒くさくて意味なんて感じられなくっても、黙々と掃除に没頭しているとある種のフロー状態になれる。その無心が心地よくって、身の回りがキレイになるのだから凄く一石二鳥!
台所の普段はしない所の掃除を熱心にしていたら曇っていた空がだんだん明るくなってきた。
そして急にキラキラと光が差し込むなか雨が降り始めた。
天気雨は吉兆だったなぁと、自分の心の中にあるものを“それで大丈夫だよ”とソッと後押ししてもらっている様で、思わず雑巾を置いて祈った。

その姿は側から見たら滑稽に映るかも知れないけど、日常にフッと悟りの様な時間が在るとすれば、それは無心に労働している瞬間かも知れないと思う。
私は特定の宗教は持っていないけれど、そういう悟りの様な瞬間がたまに訪れてくれると深い喜びに包まれる。


短い時間でも意識して瞑想をするようにしている。たとえそれがごく短いものでも日常への影響が大きいようで、瞑想は“頭の中のお喋り”を静かにしてくれる。
「今、ここ」にいる感覚が強くなり、自分の核が安定してくる。

昔、TEDでみたジル・ボルト・テイラー博士の動画が忘れられない。その講演を最初に目にした時の衝撃というか、感動はいつまでも色褪せず心にあって、その力強いメッセージを瞑想する前にふと思い出したりする。

「宇宙の中で生物学的に最も近い存在の兄」が統合失調症であり、『どうしてわたしだけが夢を抱くことができ、それを現実と結びつけ、夢を実現することができたのか?』『夢をありふれた現実に結びつけられず、妄想を抱いてしまう兄の脳と、いったいどこが違うのか』

この切実な疑問がテイラー博士を脳の研究に駆り立てた。その気鋭の若き神経解剖学者(37歳)がある朝、突如危機的な脳出血に襲われる。

『わたしの目は、たった四時間のうちに、自分の脳の情報処理能力が完全に衰えてゆくのを見つめていました』

出血により左脳の機能を失ったテイラー博士はこの様に語る。

実際、生物学的な損傷の大きさを考えれば、ふたたび彼女に戻るなんて、ありえないことだったのです。
(中略)
わたしは左脳の死、そして、かつてわたしだった女性の死をとても悲しみはしましたが、同時に、大きく救われた気がしていました。

あのジル・ボルト・テイラーは、膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきました。
(中略)
わたしは、兄と彼の病についても忘れ、両親と、両親の離婚についても忘れ、仕事と、ストレスの多い人生のすべても忘れていました。そして、この記憶の喪失によって、安堵と歓びを感じたのです。
(中略)
左脳とその言語中枢を失うとともに、瞬間を壊して、連続した短い時間につないでくれる脳内時計も失いました。瞬間、瞬間は泡のように消えるものではなくなり、端っこのないものになったのです。
ですから、何事も、そんなに急いでする必要はないと感じるようになりました。波打ち際を散歩するように、あるいは、ただ美しい自然のなかをぶらついているように、左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わっていったのです。
小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました。
言葉で考えるのをやめ、この瞬間に起きていることを映像として写し撮るのです。過去や未来に想像を巡らすことはできません。なぜならば、それに必要な細胞は能力を失っていたから。わたしが知覚できる全てのものは、今、ここにあるもの。
それは、とっても美しい。

「奇跡の脳」ジル ボルト テイラー著

原題は「My Stroke of Insight」
その元の意味は「脳卒中」(stroke)と「一撃で生じた」(stroke of〜)の掛け詞になっている。
insight(洞察)は、これまでなかった新たな発見、ひらめき、見抜く力のこと。
つまり、脳卒中によってテイラー博士は、劇的に、あることに気づいたのである。

訳者 竹内薫 

失われつつある左脳の機能の前に右脳の世界が現れ、その世界をテイラー博士は“肉体の境界がなくなり素晴らしい至福の時”それは右脳の世界、ニルヴァーナ(涅槃)と悟る。

結局のところ、わたしたちが体験するものはすべて、わたしたちの細胞とそれらがつくる回路の産物です。
ひとたび、いろんな回路が、からだの内側でどんなふうに感じられるかに耳を澄ませば、あなたは世界の中でどうありたいかを選ぶことができます。
(中略)
わたしが一番好きな恐怖の定義は「誤った予測なのに、それが本当に見えること」。
あらゆる思考が、単なる束の間の生理現象だということさえ忘れなければ、左脳の物語作家が「暴走」して勝手に回路につないでしまっても、慌てる必要はありません。宇宙とひとつであることを思い出せば、恐怖の概念はその力を失います。

肉体的、精神的な機能を完全に回復するまで8年の “右脳の意識への旅” それは深い安らぎに包まれる体験として『奇跡の脳』の中に描かれている。

我々は全く異なる二つの機能、キャラクターを持つ二つの脳を持って生きている。
テイラー博士は「who are we?」と問いかけ、左脳優位になりがちな社会で生きる我々が宇宙と一体になる右脳にも重心を置き、新たな発見(insight=洞察、心眼)に感謝することを伝えてくれる。

わたしはたしかに、右脳マインドが生命を包みこむ際の態度、柔軟さ、熱意が大好きですが、左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。なにしろわたしは、10年に近い歳月をかけて、左脳の性格を回復させようと努力したのですから。
左脳の仕事は、右脳がもっている全エネルギーを受け取り、右脳がもっている現在の全情報を受け取り、右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い、それを実行可能な形にすること。
左脳マインドは、外の世界と意思を通じ合うための道具。

奇跡の脳


私にとってnoteで書くことは、右脳と左脳を統合するようなものかも知れない。
深い気づきを感じて、それを“言葉”という形にすることに喜びを感じる。
それは浄化であり癒しであり、綴ることで見えなかった世界が立ち現れて来る。


脳と心とそして魂と。

人間の奥深さを見つめながら、どこに辿り着くのか分からない、そんな人生の旅を感じていけたらと願っている。

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