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うつが治ったときの話:後編❶

最初の分娩が緊急帝王切開だっため、3回のお産が全て帝王切開でした。

ドイツ人とのハーフで胎児が普通分娩できないほどビックベビーでした。
妊娠糖尿病でも胎児が大きくなるので、疑われて何度も検査しましたが問題はなく単に「遺伝的に大きい」赤ちゃんなのでした。

ちなみに第一子(長女)は、全く陣痛が来ず遅れに遅れて42週0日での出産となりました。
まさに2週間ものオーバーステイでしたが、40週を超えると胎盤機能が徐々に落ちてくるので、急激に大きくなることはなく、やはり元々大きかったようです。
彼女の出生体重は4400g 身長は59㎝で、生後2ヵ月くらいの雰囲気の新生児(助産師さんも役場の人もびっくり)。

第二子(長男)は、予定帝王切開のため38週と5日での出産となり、体重は4220g 身長56㎝でした。彼は満期(40週0日)までお腹にいたら余裕で、4500gを超えたと思われます。

ちなみに、
医学的には4000g以上を「巨大児」4500g以上を「超巨大児」と呼びます。
“超巨大児”なんてなんだか怪獣みたいな響きですね(苦笑)。

第三子(次男)も予定帝王切開で同じく10日早くの出産でした。
出生体重は3620g 身長54㎝。

初めての3000g台の新生児は抱っこした時に、
「なんて小さいの~」と思いました。
実際に体のしっかり具合や哺乳力など、4000g台で生まれてきた姉兄と比べると全然違いました。
新生児の数百グラムの違いというのは、かなり大きいな...と実感しました。
第二子まで新生児用のオムツは、パツパツで入りませんでしたので、末っ子に使用できた時は感激でした。


夜中の大出血



2013年に第三子を予定帝王切開で産み、産後3ヵ月で子宮円錐切除術を受けた。

手術は問題なく、1週間後に術後のフォローと切除した取組織の状態を聞くために外来を訪ねた。
そこで診察を受け主治医から、切除部分の細胞は前ガン状態であったこと、取り切れているので心配ないが、今後も定期的に経過観察を受ける必要があると説明を受けた。次の診察は3か月後ということになった。

結果が問題なく経過も全く問題ないと聞いて、
安心して帰宅して子供と遊んで過ごす、まだまだ平和モード....

翌朝の未明、3時ごろにふと目が醒めた。

なんだか冷たい....?

お尻の下がひんやりとする感覚で気がついた。
体を起こして見下ろすと布団が真っ赤に染まっている。
痛みや腹部の違和感は全くなく状況が飲み込めないまま、まだ頭は半分眠ったままトイレへ行った。

便座に腰を下ろした瞬間に、股の間から「ドサッ」と何かが落ちてきた。
「エッ!?」と思い覗くと真っ赤な塊が見えた。

この瞬間に「お腹の赤ちゃん大丈夫?」と血の気がひき混乱した。
反射的に寝室を見ると遠くに赤ん坊が眠っているのが見えた。

「いやいや息子はあそこで眠っているよ、私はもう出産したんだ・・・」

「よかったよ....でもじゃあコレ何?」

一瞬のことだが頭のなかで、時間経過が無秩序に並んで自分がどの時点にいるのかが解からなくなった。
しかしそれはほんの一瞬のことで、便座に腰を下ろしたまま息子の寝姿を見ていると徐々に目が醒めてきた。
痛みは全くないがこれほどの出血は尋常じゃないと思った。
落ちて来た何かは、大きな血の塊でグレープフルーツ大の大きさだった。

上階で眠っている夫を起こして、出血していること、病院にいかなければならないことを伝える。
夫も寝ぼけており要領を得ない感じだったので、とにかく階下の惨状を見てくるように言う。
血まみれのトイレを見て、夫も起き抜けのなかさぞビックリしたことだろう。

子供達がいるので病院へ運んでもらうわけにはいかず救急車を呼ぶことになった。

さきほど問題ないよ、と言われた病院へ救急搬送されることになるとは・・・
ひとり救急車に揺られ、そういえば初めて自分のために救急車を利用するなぁ....と考えられるほどには冷静だった。

ERにストレッチャーで運ばれて、
止血のためにタンポナーデをすることになった。
膣のなかにガーゼを入れていくのだが、これが激痛で悲鳴を上げると女医が気の毒そうに、

「分かるわ、痛いわよね。でも我慢して、こんな時間だし麻酔をかけてとなると大事だから。あと残り1メートルよ」

エッ!今、1メートルって言った!?

すでに何度目かの「エッ!」だったが、一体何メートルあるの?と涙目で尋ねると2メートルだと言われた。
乾いた2メートルのガーゼを圧迫止血するために押し込んでいくのは尋常じゃない痛みだった。
泣きながら耐えたが、今後これ系の痛みを何度も経験することになるとは、この時点ではまだ知る由もなかった。

そのまま緊急入院となり、稀に子宮円錐切除術後に出血がある...と説明を受けた。
多くは手術直後か、1週間くらいたって電気メスで焼いた箇所のかさぶたが剥がれ落ちた痕から出血があるそうで、私の状態はこれに当てはまる。

1日後にタンポナーデのガーゼを抜くときもまた激痛だったが、入れる時よりもまだ楽だった。

これで止血ができているはず・・・が、抜去後しばらくして出血が始まった。
腹痛も何もないので予兆もなく、何かが流れてくる感覚で気が付くという、ただただ不気味な感じだった。

嫌な予感は当たり、
止血のための手術をしましょう」ということになった。

全身麻酔で、目が覚めたら手術は終わっていた。
オペ中に出血したけど、(子宮頸部を)縫っておいたからね、という軽い説明を聞いて今回の騒動もこれで終わるわね...と思った。

オペ後は、止血剤の点滴を受け、その後は止血薬の飲み薬も服用して様子を見た。

2日間経って再びガーゼの除去を受け(また痛かった)、お昼ご飯を食べたら退院してもいいと言われ昼食をとっている時に(!)、
またしてもあの嫌な感覚が下腹部にあった。

慌ててトイレに行くとまた出血している....愕然となりながらナースコールをした。

担当医が来て言うには、

この前の手術で、子宮頸部全周を縫える所はちゃんと縫っている。
術後に止血剤まで点滴して、これで「再出血」というのはちょっと考えられない。
もしかしたら凝固機能に問題があるのかもしれない。

貴方の選択肢は二つ。

また同じ手術(止血術)を受けるか、子宮を取るか
ただ止血術をまたするといっても、前回縫った以上
どこを縫ったらいいのかと思うけど・・・

とのことだった。
猶予は20分
「20分で決めてください」と言われた。

手術室ナースの経験もあったので、医師が頸管をすでによく縫っていて、同じ手術をしてもどこを縫うべきか判らない、という意味はよく理解できた。
要するに普通では出血するはずが無いのに、出血しているということだ。

私は過去に3度帝王切開を受けており、止血で問題になったことはないので凝固機能に異常があるというのは考えられなかった。
おそらく4年という短い期間に普通より大きい胎児を妊娠し帝王切開を受けていたことで子宮筋が疲弊していたのだろう・・・。
産後3ヵ月で円錐切除を受けること自体は妥当だが、私の体には負荷が大きすぎたのだろう。

元々、子供は3人以上は望んでいなかったこと、切除したとはいえ前癌状態の組織があったことを考えれば、不要になりかつ爆弾かもしれない臓器であれば摘出したほうがいいのではないか、と医師の夫からも言われた。

確かにその通りだが、私にとって子宮はいわば戦友のようなもので、この数年間苦楽を共にしてきた。
出産後しばらくの間、子宮を腹部からも触知できるので、その都度触れて来た。
女性の象徴という言葉も頭に浮かんだ。

卵巣を取るわけではないので、女性ホルモンにも影響はないと分っていた。
それでもためらいがあった。

子宮が無くなるということは、生理も今後来ることはない。
妊娠から授乳期を3回繰り返したので、もう何年も普通の生理サイクルから離れていて、毎月生理が来る感覚は遠いものだった。
でも末っ子が離乳したら生理はそこから毎月来るものだと思っていた。
37歳で生理がなくなること、子宮がなくなることを想定したことはなかった。

そういう想いが巡るが時間がない。

同じオペをしてもまた出血する気がした。
この時点でかなり出血していたので、これ以上繰り返すのが怖かった。

そして子宮摘出術を受けることにした。

トラウマ:第二子出産時の体験

ここで問題になったのが麻酔方法だった。
私はさっき食事をしてしまっていたのだ。
(食べたら退院と言われていたから)

原則、胃の中にものがある状態では筋弛緩剤を使った全身麻酔をかけることはできない。
緊急時ではしかたがないが、かなりハイリスクな状態になる。

※麻酔薬により嘔吐をした場合、窒息などの危険性があるため。

そのため、脊椎麻酔という背中に麻酔を入れて手術をすることになる。

前編でも少し触れたが私は、この麻酔方法で第二子の帝王切開を受けている。その時にかなり怖い体験をしてトラウマになっていた。

脊椎麻酔をすると、一時的に血圧が下がるのだが、私は血圧が60台まで下がってしまった。

「気持ち悪い」と訴えると、すぐに昇圧剤を使われた。

「血圧下がっているんだろうな・・あぁちょっと気持ち悪いのよくなってきた・・・!?」

直後、猛烈な頭痛に襲われた。

それは誰かが私の頭を万力で締め上げるような、今まで体験したことがなかった強烈な痛みだった。

「うぁあああ」と誰かが叫んでる!

声が聞こえてきて、それが自分の声だと気がついて驚いた。
激烈に痛いのに、体が半分に別れてそれを見ている自分もいるような感覚だった。


「痛い痛い!」と絶叫し続けた。


産婦人科の執刀医が、ビビッて「オペ始めて大丈夫?」と言っているのが聞こえた。

「はやく始めてください」という動揺する麻酔科医の声も頭側から聞こえた。

「では始めますね」と私の体の上で、手術が始まり出していた。

でも私はそれどころではなく、痛い痛いと繰り返していた。
赤ん坊の泣き声が聞こえるころ、だんだんと頭痛が治まってきていた。
出産の感動などと言ってる暇もなかった。

後で聞く話しでは、
一度60台まで下がった血圧が、昇圧剤で一気に200近くまで上ったそうである。

※夫も立ち合っていたので後から教えて貰った

強烈な頭痛は脳の血管が攣縮して起こったものだった。

実際は10分程の出来事だが、果てしなく長い時間に思えた。
叫びながら「頭が壊れる」という恐怖もあった。

実際に脳内出血をするリスクがあったと、後で聞いてさらに怖くなった。

夫の同僚の妻がやはり出産時に脳出血を起こして、後遺症も残ったという話も聞いていた。

若くて基礎疾患がなく、脳内に脆弱な血管が無いから、私はいま元気にしていられるのだ・・・と。

子宮摘出術を受ける


手術の麻酔方法を決める時に、
泣きながら脊椎麻酔は嫌だと言ったが、安全ではないと解っている全身麻酔を選択するのはやはりできないので、泣く泣く脊椎麻酔に同意した。


子宮を取るのも悲しいし、麻酔も怖い。
何よりやっと癒えてきたお腹を切るのが辛かった。
3ヶ月前に切ったところはやっと良くなってきていた。ここをまた切るのか....


“もう二度とお腹切らないでいいって思っていたのに・・・”


そんな思いが渦巻くなか、あっと言う間に手術室に運ばれてしまった。

心配した脊椎麻酔も、かなり量を調整してもらい問題なく乗り切ることができた。

そして、

気がつくと私は管だらけになってベッドにいた。


超巨大児になり損ねた長男(左)と生後3,4ヶ月で母の受難時に側にいた末っ子(右)
赤ちゃんだった彼も大きくなったがいつも“チビちゃん”の末っ子




⭐️後編で全部書き切ろうと思っていましたが、長くなり過ぎてしまった事と、力尽きてうまく纏まらなくなりそうなので、一旦投稿させていただきます。

長々読んでいただいてありがとうございます。

やはり何年経っても、このエピソードはサラサラとは書けないものだなぁと思いました。

肉体的に痛いことが多く、書きながらその痛みを思い出すことや、(痛がりで痛みに弱い...)
当時の出来事にぐーっと潜っていかないと、あの頃どのように感じ何を考えていたのか?があやふやになってしまう、、、というのがあります。

後編❷では、ついに5年近く悩んで来た“うつ”から脱却する出来事が起こります。
病室のベッドの上で起こったことでした。


なるべく直ぐに書き上げたいと思います。
最後までお付き合い願えれば幸いです。


1月25日(火)

みきとも


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