見出し画像

うつが治った時の話:前編

noteを始めて、まず最初に書いたのが「産後うつ」についての記事でした。


どうやってうつが治ったのか、うつから抜け出せたのかは書かなかったですが、今回はそのお話をしたいと思います。
長くなりそうなので、前編と後編に分けることにしました。


かなり明け透けに書いている部分もありますが、それは私の職業上、性を伴う話が恥ずかしいものではないことと、性は人間の営みのなかで普遍的で大切なものだと考えているからです。

個人的には恥ずかしい経験もありますが、大ぴらに話すことで何かの、誰かの参考になれたら嬉しいです。


私がうつが治ったのかも!?と自覚したのが、第三子の次男を産んだ年の終わり頃なので、2013年の年末になります。

だからもう8年も前のことになります。
8年!書いておいてなんですが驚きです。
もうそんなに経ったのかと...。

子宮頸ガン検査に引っかかる


2013年、3回目の帝王切開で出産した。


妊娠中に必ず行われる「子宮頸ガン検査」で子宮頸部に高度異形成がある、と指摘されたのは妊娠7か月の頃だった。
毎年検査をしていたが、それまで全く問題なかったためいきなりのことで驚いた。


妊娠中期〜後期にかけて慌しく検査を重ね、結局
出産が終わるまでは、このまま特に何もしないでいましょうということになった。

妊娠中に頸管をさわるのは、早産のリスクに繋がること。
仮に前ガン状態だったとしても子宮頸ガンの場合、通常10年くらいかけてゆっくり癌化していくものだから焦らなくて大丈夫、ということだった。

セカンドオピニオンで行った、デュッセルドルフの大学病院での対応は非常に不快だった。
笑い飛ばせるまでに5、6年かかってしまうほどの。

ドイツにおける内診とは


ここでドイツの産婦人科領域の、一般的な対応を書いてみたい。

ドイツには内診時に、患者(妊婦)と医師を区切る「カーテン」などという気の利いたものはない。

※日本では内診台に上がり、開脚ポーズを取るとサーっと腹部の上にカーテンが引かれ向こう側(腹部から下方向)は見えなくなる。


内診台がある同じ部屋の隅に、試着室のような場所があり、そこで下着をとり歩いて内診台まで行く。
最初にこのシーンに出くわして、スカートを履いて来なかったことを深く深く後悔した。

いつもスボンで過ごしていたのでウッカリしていた。
イヤ、そんな配慮がないシステムというか、原始的な感じだと思ってなかった。
なんと下半身すっぽんぽんの状態で、内診台まで歩いて向かわないとならない状況になった。

以後、妊婦検診時はスカートを着用するということはマスト、絶対忘れないようにした。


デュッセルドルフの大学病院でも、診察室のど真ん中にドドーンと内診もできる診察台が鎮座していた。

そこに横たわると助手の女医が一言。

「先生(教授)はもうすぐ来るから、足上げていて」

本当にすぐにでも教授が登場するような言い方だったので、素直に片足ずつ足を載せ横たわる。
下半身裸で足を上げるので、それだけでもう恥ずかしい。

3回目の妊娠で、内診台には慣れっこだったがタオル一枚かけてくれるわけでもなく剥き出しのモロ見え。
でもすぐに教授が来るなら....まぁ良いよね....

助手(女医)がおもむろに近づき、じゃあ..と言ってカチャカチャと器具を使い、

「はーい準備しとくわね」

と言ったか言ってないかもう覚えていないが、何かしらの声かけはして、“クスコ”と呼ばれる膣鏡を挿し入れた。

これも内診台では普通の手順。

内診台に横たわって、足あげたら次はクスコよね。。。
で、教授は?

その姿で5分以上は耐えた。

そして色々ともう記憶が怒りで曖昧なのだが、
その待機中に誰か関係無い医療者が、何かの用事で入って来たのはよく覚えている.....!

当然、私には関係ない医療者だ。

それも男性だった....

妊娠7ヶ月の妊婦は腰がすぐに痛くなる。

5分以上経過して堪らず「腰が痛いから足を下ろしたい」と言った。
あの時の時間は、ちょうど5分くらいだったか、もっと長かったのか....もう覚えていない。

覚えているのは、凄く長いと感じた待ち時間と羞恥心だった。

よく考えたら、、、考えなくても酷い話である。

百歩譲って、「足上げ開脚待機」までは許せる。
そっちの方が効率いいはいいから・・・
でも、クスコまで入れて待つ必要がどこにあったのだろう....

あの時なぜ私は、
「それは嫌だ」とハッキリ言えなかったんだろう...と、ちゃんと言えなかった自分に嫌気がさした。

とにかく足を下ろさせてもらって、診察台の上でさらに待つ。
この時も下半身は剥き出しの状態で、じっと待っていた。結局15分以上は待った。

バタバタと慌ただしく女教授が入ってきた。
やっとお出ましだ。

私はこの時が初診だったので、初めて会う医師である。
彼女は急いでいるようで挨拶もそこそこ、
ハイ早く足上げて!と苛立ちながら言ってきた。
内心、“さっきずっと足上げて待ってたんだけどね、、、”と思いながらも素早く言われたようにした。

クスコ膣鏡



先程、意味もなく挿入されていた「クスコ」というペルーの古代インカ帝国の首都の名前が付いた膣鏡は、アヒルのクチバシに似た形をしている。

取り扱いは、クチバシ部を膣に丁寧に挿し入れる。

私には超お馴染みのクスコ、
この手技を雑にするのと丁寧にするのでは、全然違うということを、この時に身を持って体感することになった。

内診というのは、妊娠中や出産時に頻繁に経験するものだが、これを丁寧にするかしないかで女性の負担というのは全く異なると思う。

肉体的にはもちろんだが、精神的なものも大きい。
内診は女性にとって羞恥心を伴い、デリケートでパーソナルな場所に対して行われるものである。


興味深いのは、雑な内診をするのはむしろ女性に多いということ。
女体に対して遠慮があるので、内診が丁寧なのは男性医師のほうだそう。

この急いで来た不機嫌な教授の内診は、雑で痛かった。
人は、誰しも雑だったり、ぞんざいに扱われたら怒りや悲しみを覚えると思うが、この内診時には加えて屈辱も感じた。


アンタだって同じもの持ってるんだからさぁ!!

と声を大にして言いたかった。

結局、この教授の意見も同じで出産まで待てるというものだった。
「経過観察に何度か来なさい」と言われたが、絶対に嫌だと思い2度と行かなかった。

出産近くまで、産婦人科のクリニックで経過を診て貰いつつ、出産する病院探しを行った。

※ドイツでは妊娠後期に病院を決め、それまでは開業医のクリニックで妊婦健診のみを受けるシステム。

3度目の帝王切開について


出産は予定帝王切開。

これで3度目、最後のお腹を切る手術だと覚悟していた。
しかし、妊娠後期から普通分娩できないことに落ち込んでいた。

最後になる出産、なんとかしてお腹を切らないで産めないか?と考えたが、すでに2回切ったお腹では子宮破裂のリスクは高くなるのでオススメ出来ないと言われた。
帝王切開が1回のみであれば、普通分娩にトライできることもあるが、3度目は無理だろう。

十分解っていたが未練だったし、今更ながら帝王切開分娩が怖かった。
分かっているからこその怖さがある。

実は、2度目の帝王切開で麻酔時にトラブルがあり
非常に怖い体験をしたためトラウマにもなっていた。


色々あった妊娠期間だったが、三度目の正直で、最後の帝王切開分娩は初めて納得のいくものだった。

ドイツでは、帝王切開手術の麻酔は脊椎麻酔だが、過去2回手術後の痛みが壮絶だったので、断固、硬膜外麻酔を希望した。

硬膜外麻酔はカテーテルを入れるので、術後にカテーテルから持続的に痛み止めをいれることができる。
これまで、手術後3日間は地獄のように痛かったので絶対に3日間はカテーテルは抜かないで欲しいと麻酔科医に頼み込んだ。

そのおかげで手術後の痛みはよくコントロールされ、痛みにのたうつということもなかった。


3回目にしてやっと落ちついた出産で満足だった。


まさかこの後に4回目となる開腹手術が私を待ち受けていることも知らずに。。。


出産後8週間でもう一度、子宮頸管の状態を確認することになっていた。
たまに、ホルモンバランスの影響でか、出産後に高度異形成が治ることがある、と聞いていて期待して過ごした。
けれど残念ながら8週間後の結果は「高度異形成」で変化なしというものだった。
私の子宮頸管部の組織に明らかな異変があるのは間違いないようだった。

本来であればもう少し検査をしていくのだが、すっ飛ばして円錐切除術を受けることにした。


子宮頸部の異形成がある部分を、円錐状に切り取るという、日帰りで出来るポピュラーな手術を産後3ヵ月が経過した時点で受けることになったのである。


後編へ続く




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?