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「自分のやりたいこと」が有ることの幸福。

45年生きてきて、「やりたいこと」が全く見えなかった時期があった。

それは第一子を出産後、
気がつけば自分が全くやりたいことを思い出せない、ということに思い至った。
ずっと明確に「やりたいこと」があった私にとって、それはかなり衝撃的なことだった。

そしてそれは5年近く続いた。

それが産後うつだと気がついたのは、間が抜けた話だが随分経ってからだった。
要するに前半2年間は「自分がうつである」ということにも無自覚だったし、後半は途方に暮れつつ諦めムードで日々過ごしていた。

今から思うと、なぜそんなに放置してたのか?放置できたのか?ということに自分のことながら呆れてしまう。

私は看護師だったし、結婚した相手は医師だった。お互いに精神科の領域は詳しくなかったが、それでも曲がりなりにも医療者が二人もいる家庭だ。

いや、なまじ変なプライドがあったからかもしれない...。        
子育てなんて古今東西、みんながやっていることで自分たちも当然普通にできるに違いない!
という驕りがあった。

まず当時の私は「産後うつ」がどういうものか全く知らなかったし、「うつ」の症状や実態もまったく分かってなかった。
加えて書けば、外国に居たことがより状況を判り辛くした。

「慣れない外国暮らしで、初めての子供を育てている」という状況は、都合よく自分の、ほぼ全てのネガティブな感情の説明に使えてしまった。

初めて母親になった女はみんな、多かれ少なかれ不安や焦りや、社会から置いてけぼりを喰らったような気持ちになるんだろう・・・。 

そう思ってきた。


心のなかで渦巻く様々な気持ちの、
「どこからが病的なもの」で「どこまでが許容範囲」なのか?

それがスッパリ判るなら、問題の半分は解決している。

そうやってちゃんと感情の仕分けができなくて、頭のなかが混沌としているから、問題自体が見えなくなっていくものなのかもしれない。
こういうことは専門家による診察と診断が必要な案件なのだ。     
そう...今になってみればそれは明らかにそういうことだったのに。

あの当時私に欠けていたのは、 
「なにかがおかしいかもしれない・・・」という自分への自覚だったのだと思う。  
でもあの頃の私は、子供を産む前の自分のことをうまく思い出せなくなっていた。
だから「前と比べて何か変かも?」という風に思えなかった。
だからなのか私がしたことは「気がつかないフリ」をすること。

「全て問題ない、アンダーコントロールだ...
(そうに違いない!そうに決まってる!)」


と全力で思い込もうとしたし、実際少なくとも2年間は無自覚で、うつになってる自覚はゼロだった。
あの頃、私は周囲にも自分自身にも、抱えている問題を上手に隠す名人になっていた。    

だからよく「あの人がまさか!」といわれることが起きても、私はあまり驚かない。
そうやって自分の問題を隠して振舞うことが、すでにある意味病的ともいえるから。

周りと自分との乖離が深くなればなるほど、問題の根は深くなっていくのかもしれない。   

十数年前は今ほどドイツも、産後うつも含めて産後の母親の精神状態に注意を払うということがなかった気がする。                
日本では、産後うつの問題が注目されるようになったのはここ5年くらいの話だ。

マタニティブルーズと産後うつの違いも、発症の時期や回復までの経過の違いなどはあっても、症状は互いに重なることが多く判別が難しい。
マタニティブルーズは放っておいても治るが、産後うつは違う。
やはり専門家の気づきや対応が重要になってくる。

「産後うつ」については、ゆっくり自分と向き合いつつ、これから時期を考えて当時の自分の状況や心情を書いていきたいと思っている。    
自分のなかに書きたいことや、書くべきことが山ほどある気がする。

産後うつの5年間は、厳しく辛く切ない時として私の記憶に刻まれている。
夫とうまくいかなくなったのも、産後うつがあったからだ....と何度も自分を責めた。

でもあの「自分のしたいことが見えない」期間があったから今、それが見えることがとても幸せに思う。
「自分のしたいことがあって当たり前」の私だったら、見えなかったこと、解らなかったことが、きっとたくさんあるに違いない。

「人生に無駄なことは無い」というけれど、人生とは思いがけないことの連続だ。
自分がコントロールし切れるものは、実は僅かかもしれない、ということ。
産後うつも全くのアンコントロール下で起きたことだけれど、そこから多くを学べたと思っている。

経験を生かすも殺すも自分次第だから、せっかくした体験。

“苦労は買ってでもしろ”と言った先人は偉大だ。

私は若者ではないけれど、中年でもきっと苦労したことから深く学んでいける、そう信じていきたい。


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