瀧本容子

1974年大阪出身の実践系ライター。20歳から大阪拠点に一般情報誌の出版社勤務を経てフ…

瀧本容子

1974年大阪出身の実践系ライター。20歳から大阪拠点に一般情報誌の出版社勤務を経てフリーライターに。27歳東京に拠点を移しサブカルチャー誌を主戦場に、潜入取材や体験ルポを寄稿。自身の経験を活かした精神病・薬・メンヘラネタを得意とする。著書にアイアム精神疾患フルコース(彩図社)

最近の記事

母さんがどんなに僕を嫌いでもですの。

物心ついた時から家庭に居場所はなかった。 「なんでそこに立ってるねん!!!」 ただ、そこに居るだけで叩かれた。ただ、そこに居るだけで味噌汁をぶっかけられた。ただ、そこに居るだけでタバコを腕に押しつけられた。 ただそこに居るだけでそこに居るだけで底に居るだけで底に底に底に。 まったく意味が分からなかった。 後になって納得したのは、ちょっとした凡ミスみたいなもので、要するにわたしはわたしの家族たちと、血液型が合わなかったということです。 「だからか!」 すべてに合点

    • あけおめですの。

      赤いキツネを食べながら 毛玉だらけのセーターで マサ斎藤が シジミのように砂を吐き 手旗信号を巧みに使い おいでやすと繰り返す めぞん一刻全巻を デリヘル嬢から借りパクし 遠く音無響子さん情報を ウィキペディアでチェケラッチョ 五分刈りでイイよねって ザビエル自慢の髪を切り 居直った感を見せながら マサ斎藤と 寿司は日本文化ねと語りあう あけましておめでとうございます!🎍

      • 悲歌ですの。

        「悲歌」 金子光晴 恋愛が手術であらうとは おもひもかけないことだつた。 すつ裸で、僕は 手術台の上に横たはる。 水銀のやうな冷たさが 僕のからだをはしる。 恋愛が熱いなどとは なんたるたはごとぞ。 白いきものをきて メスをもつてるのも僕の分身。 しやがの花のやうに蒼ざめてふるへて、 ねてゐる方も、僕なのだ。 レントゲン写真には 恋人の姿がうつすりでてゐた。 ガラス板にのつてるのは 盲腸に似た血のかたまり。 不幸にも、僕にとつては 恋愛とは一つの腫瘤なのだ。 それを

        • 上京物語ですの〜瀧本編〜。

          わたしの家族は超複雑であって、よってアダルトチルドレンであり、診断名で言えば複雑性PTSDである。 精神病、 自殺未遂、 子供が産めない体、 養子、 その他もろもろ。 泣いて腹がふくれるか、わたしよりツライ思いをしてる人はもっともっと、数え切れないほどたくさんいる。 だから笑っていなくてはいけないと思いつつ、やっぱり自分が可愛く絶望的な気持ちになる時もある。 そんな自分を変えたくて、現金5万円だけを握りしめてやって来た大都会東京。 初めて上京した日はとても寒い日だっ

        母さんがどんなに僕を嫌いでもですの。

          瀧本さんへですの。

          何者にもなれない瀧本さんへ 貴女は何者かになりたかった。 できれば天才になりたかった。 左利きに憧れた。 AB型にも憧れた。 O型で結果、養子だと判明した。 瀧本さん、貴女は何者にもなれなかった。 瀧本さん、 瀧本さん、 瀧本さん、 貴女はどこまでいっても凡人だ。 だから、笑え。 笑えよ、笑え。 そして、笑われて生きてゆけ。 自分ひとりぼっちな気がして、 男に女に依存しまくっていた瀧本さん。 でも、もう少しで50歳だ。 いつまでそんな青臭い人生を歩むのか。 でもね

          瀧本さんへですの。

          惨めなんかじゃないですの。

          物心ついた頃すでに父親はおらず(ラマンと逃避行)、父親との思い出になるソレはだいたい誕生日にやって来て、キキララをいっぱい買ってくれる優しいオッサン。そんな風だったけれど。 車で事故ったことは過去5回。そんな不器用のお手本みたいなわたしが、車の免許を取りたてだった当初、母&娘のタッグで、父親の再婚宅へと呼ばれて出向くことになった。 また、その再婚相手というのが、オカンの従姉妹にあたるという、複雑すぎる家族環境で。 エレベーターをギューーーンと上がったその宅は、ベランダを

          惨めなんかじゃないですの。

          元主治医へのラブレターですの。

          わたしが薬物に溺れてから10年以上、ずっと付き添ってくれた元主治医がいました。 初めて会った時、初めてかけられた言葉は、「もう、あなた、限界よ」 顔面一面掻きむしる自傷癖で血だらけになり、日常になったリストカットをリストバンドで隠し、体重が33kgまで落ちていた頃だった。 「何言ってんすか先生! 大丈夫っすよ! 余裕っすよ!」 そう言うと、彼女は、言った。 「もう、笑わないで、私まで悲しくなるの」 だからわたしは、彼女を信用し、着いて行こうと決めた。 それから9年

          元主治医へのラブレターですの。

          人間は二度死ぬんですの。

          ”死”についてよく考える。 ”在る”についてよく考える。 わたしのなかで、”在る”か否かということは、死ぬまで脳味噌にこびりついて離れない、永遠のテーマなんだろうと思う。 よく、依存していると言われた。特に、まったく知らない人から言われることが多い。 NNNドキュメントが放送された頃からかだろうか。雑誌連載を読んでくれていた人も、同じように思っているかも知れない。 わたしは、一年に一回くらい、自分検索をしまくる。パソコンで、とても、徹底的に。 普段は自分のことより他

          人間は二度死ぬんですの。

          上京物語ですの〜オカン編〜。

          どうしようもなく弱くて人間が怖くて情けない自分。自分を変えるキックが欲しくて左腕に入れ墨を入れた。多分、24歳の頃だった。 左腕に入った波形の入れ墨。それでも自分は変わらなかった。少しもキックになりはしなかった。 精神薬に頼って、精神薬だけを頼りに生き延びてる自分。強い自分になりたい、もっともっと大きなキックが欲しい。 そう思った26歳の時、東京に出る決心をした。そう決めた翌日に東京まで物件を探しに行き、早くも1週間後に上京することに決めた。 突然のことだ。予定外のこ

          上京物語ですの〜オカン編〜。

          出かけるようになりましたですの。

          わたしはどうしても外せない用事がある以外、外に出ません。 精神科通院、打ち合わせ、考えてみたらそれくらいです。 打ち合わせが入っていない月などは精神科通院のみなので、 1ヶ月に2回しか外出しないことになります。 スーパーやそんなのは、今は彼氏さんにまかせきっています。 コンビニまでタバコを買いに行くことも自動販売機に行くことも怖いです。 汗が顔、ワキ、手に滲んでき、指先が震えます。 ので、勢いをつけるヨッシャアのためにリストカットします。 すると、コンビニ、自動販売機くらい

          出かけるようになりましたですの。

          殺人はどうですかですの。

          よーく覚えてる。正確に言うと、わたしは兄貴を殺したのではなく、殺し損ねたことがある。わたくしの部屋に住み着いた兄貴は、私の金で麻雀ばかりをしていた。いわゆる「アルコール」と「ギャンブル」依存症なのだと思う。 一つ屋根の下、いくら兄妹といっても苛立つ気持ちがぶくりぶくりと浮かぶ。兄貴なんてその最高傑作だ。兄貴のせいで瀧本家はおかしくなる。その昂りじみた門を全部断ち切らないと……。 「殺す、か……」 「もう、殺すしかないな」 「兄貴を殺そう」 思い立ったらすぐ行動、近くのロー

          殺人はどうですかですの。

          精神病者の小さな幸せですの。

          精神病、嗚呼、精神病。 毎日が生きづらくて仕方ない。 だけど知ってるかい? 精神病のデパートと呼ばれるわたくしは 今日、朝起きてカーテンをあけ、 眩しく暖かい日光を浴びただけ。 それだけで、 たったそれだけで、 幸せを感じることができるんだぜ?

          精神病者の小さな幸せですの。

          お母さんが大好きですの。

          子宮に大腸に盲腸に気管にetc… オカンは若い頃からガン体質だった。 何回も何回も手術しては、 また違う場所にガンが生まれることの繰り返し。 本人は見ることができないが摘出した大量の臓器を見せられるたび、 「オカンの臓器、まだカラダん中に残ってんの!?」 冗談じゃなくそう思ってしまうほど、 ガンが転移する可能性のある臓器という臓器を全部取られていた。 今回の死因となったのは「盲腸ガン」で、 検査結果が出たり新しいガン治療法の承諾を家族に得るたび、 東京から遥か大阪の実家に戻

          お母さんが大好きですの。

          兄貴あるいは瀧本純についてですの。

          兄貴との接点はほぼない。 それは私が兄貴から目を逸らしていたのかも知れないし、 兄貴も兄貴で心のバリヤーを巡らせていたのかも知れない。 そんな無関心な兄妹関係だったが、 本や音楽や漫画など兄貴に影響を受けたものは大きい。 瀧本純、嗚呼、瀧本純。 勉強の頭はとても良いが、社会生活という意味での頭はすこぶる悪い。 わたしの兄貴との強い思い出は、 唐突に「俺は大阪で終わる男やない!!!」の一言から始まる。 まず兄貴がオカンの隠し財産を100万相当をひったくり、 そんな「大阪で終

          兄貴あるいは瀧本純についてですの。