上京物語ですの〜オカン編〜。

どうしようもなく弱くて人間が怖くて情けない自分。自分を変えるキックが欲しくて左腕に入れ墨を入れた。多分、24歳の頃だった。

左腕に入った波形の入れ墨。それでも自分は変わらなかった。少しもキックになりはしなかった。

精神薬に頼って、精神薬だけを頼りに生き延びてる自分。強い自分になりたい、もっともっと大きなキックが欲しい。

そう思った26歳の時、東京に出る決心をした。そう決めた翌日に東京まで物件を探しに行き、早くも1週間後に上京することに決めた。

突然のことだ。予定外のことで貯金は5万円しかなかった。けれどそう思ったら最後、東京に行こうとする自分を止められなかった。

片親なのにお金を無心することはできない。東京まで家財道具を運ぶ運賃と、通販で新しい家財道具を揃える値段に、大して大きな差はなかった。そんなものや当分の生活費をまかなうため消費者金融でお金を借りた。そこまでしても何が何でも東京に行きたかった。自分を変えたかった。

事後承諾。急に決めたことだ。数日後に東京へ行くとオカンに告げた。お母さん私は本を書くという夢がある、失敗してもいい、今行かなければあの時東京に行っていたならと、一生文句を言いながら生きていってしまうとオカンに告げた。

オカンはしばしの沈黙のあと、お前は言い出したら聞かない、東京で頑張ってきなさい、けれどお前の帰ってくる部屋はいつも用意しておくと言った。

東京に行く日。来なくいいと何回も言ったけどオカンはついてきた。ボストンバックいっぱいの荷物を自転車にのせて、オカンと一緒にバス停まで辿り着いた。

出発を待ち備えたバスの一番後部座席に乗り込む。オカンから自転車に積んだバックを渡される。しばしの沈黙の後、「こんな細くて小さな子が、どうやって東京で生きていくんやろうか?」と呟いて、オカンは顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼした。

オカンはとても気丈だ。後にも先にも涙を見せたことなどなかった。オカンを見てはいけない。もしも見たなら私は確実に泣いてしまう。

ブー。
バスの扉が閉まる音が鳴る。こらえきれずに後ろを振り返った。自転車のハンドルを持って棒立ちで、涙をボロボロこぼしながら、いつまでもバスを見送っているオカン。

バスがゆっくりと発車する、オカンがどんどん小さくなっていく。お母さんごめんなさい、こらえきれず涙をこぼした。

母1人と私1人。世界でたった2人だけの家族。兄貴は私が高校生の時にある日突然失踪した。父親は私が2歳の時からいない。私と一緒でガリガリに痩せた小さなオカン。世界で2人っきりの小さな家族。そんなオカンを捨てて私は東京へ旅立った。

自分1人のことなら涙もでない。むしろスッキリとしているだろう。だけどガリガリに痩せた小さなオカンを、1人だけ大阪へ残して行くのは、相当大きな覚悟と決断がいった。それでも私は東京へと旅立った。自分のためだけにオカンを捨てた。

父親は昔から道楽者だった。養育費なんてものは一切ない。細腕一つで2人の子供を育てたオカン。パート2つに家では内職。思い出すのは疲れきった横顔と深い溜息。

家族の会話はまったくなかったし、笑顔を見せることもほとんどなかった。それが家族と呼べるのかは正直微妙だったけれど、それでも2人きりで生ききた。けれど私は自分のためだけに、たった1人の家族を捨てて、東京へと旅だった。

私と一緒でガリガリに痩せこけたオカン、そんなオカンを大阪に残して上京を決めた。オカンをひとりぼっちにして東京へ消えた。


上京してから約5年。オカンから電話が来る、私もオカンに電話する。
ゴハンはちゃんと食べてるんか?
風邪はひいていないか?
お母さんまた太ってしもうたで。

オカンが電話越しにケラケラ笑う。大阪時代は本当に会話がなかった。でも今は素直に喋れる笑える。やせっぽちのオカンが太った、それだけで嬉しくて安心する。

離れてみて初めて分かった、オカンとの強い絆と深い愛情。32歳当時に初めて気付いた。一度離れて初めて分かった気がする。本当の家族になれた気がした。

オカンもそろそろ年金生活だ。お金の心配はしなくていい、全部面倒を見るから東京にこないかと私が言った。大阪から離れたくないとオカンが言った。私の自分勝手で離れた大阪。けれどせめて最後だけは看取りたい。

大阪に帰るしかないのか。けれどまだ私には夢がある。まだスタート地点から少し進んだくらい。ゴールにはまだまだほど遠い。

今でも忘れられない切ない言葉と光景。「こんな小さな子が東京でどうやって生きていくんやろうか?」。けれど東京に来て良かったと思う。だって私とオカンはまだ生きているし、電話でケラケラと笑いあえる家族になったから。

時々オカンに電話をかける。オカンも時々電話をかけてくる。
ゴハンはちゃんと食べてるんか?
風邪はひいていないか?
いつも同じことを繰り返すオカン。大丈夫やってと笑う私。

東京と大阪。離れてみて初めて分かった、オカンからの深い愛情と家族の絆。

もっともっと人生の速度を上げなければいけない。東京でも大阪でも通用する人間にならなくてはいけない。だからひたすらダッシュする。そして夢を全うできた時、大阪に帰ってオカンの面倒をみたいと思う。

もっともっと人生のスピードを上げなければ。レフレインする言葉。「こんな小さな子がどうやって東京で生きていくんやろうか?」けれど夢はきっと叶う気がする。夢を叶えるのに必要なのは運とタイミングと持久力だ。

オカンと私との上京物語。もっともっと強くなって有名になって、私を育ててくれたオカンを幸せにしたい。


〜追記〜
オカンは2022年9月24日の早朝、74歳というまだ死を迎えるには早すぎる年齢で、天国へと旅立ちました。最後はきちんと看取れました。オカンとまだ離れる決心がつかず、オカンの遺影と遺骨は神棚に置いたまんまです。私もいずれはそちらに行くし、家族なんだからそれまで一緒に居ればいいとも思ってる。そして神棚にご飯とお水を供える時、必ず私はオカンの遺影に語りかける。

「お母さんお米美味しく炊けたで?」
「お母さんそっちは暖かい?」
「お母さん生まれかわってもまた私を産んで?」
「お母さんお母さんお母さんお母さん」
「お母さんが大好きや!」

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