殺人はどうですかですの。

よーく覚えてる。正確に言うと、わたしは兄貴を殺したのではなく、殺し損ねたことがある。わたくしの部屋に住み着いた兄貴は、私の金で麻雀ばかりをしていた。いわゆる「アルコール」と「ギャンブル」依存症なのだと思う。

一つ屋根の下、いくら兄妹といっても苛立つ気持ちがぶくりぶくりと浮かぶ。兄貴なんてその最高傑作だ。兄貴のせいで瀧本家はおかしくなる。その昂りじみた門を全部断ち切らないと……。
「殺す、か……」
「もう、殺すしかないな」
「兄貴を殺そう」

思い立ったらすぐ行動、近くのローソンで包丁を買った。玄関をノックして鍵が閉まったそのドアを蹴った。何回も蹴った。
兄貴はもうすでにパチンコにいってしまっていたようだった。だからと言って「兄貴を殺したい」と言う思いは消えない。「自分が死ねばいい」かといって自分を自分で殺めるのとは違う。

「殺さないと」
「殺さないと」
「ここで負のループを断ち切らないと」
気持ちのなかで押し問答した結果、
精神科元主治医に相談の電話をかけてみた。

「先生、人が人を殺すことは悪いことなんでしょうか?」
「…貴女のお兄さんを殺すことで、一番悲しむのはお母さんなのよ、貴女の一番大切なお母さんが悲しむのよ」
「……そうかも知れません」

クソ兄貴を溺愛しているオカンのことだ、元主治医が言う通り悲しむのはオカンだけで、わたしはちっとも悲しくないけど。

「あー、やーめた、アイスコーヒーでも飲もっ!」
2時間、冷や汗脂汗ダラダラで兄貴の出演を待ち構えていたんだもの。思いっきり一気に無糖のアイスコーヒーを飲み干してやろうと決めて自販機でコーヒーを買ったら、まさかの当たり付き自動販売機に「777」が光っていたのだ。
「来た!」
「これは合図だ!」
揺れ動く気持ちに今度は良心はなかった。
「殺す」「殺す」「殺す」
そればかりを考えて家のドアを開けたのだが、まさか不在とは思わなかった。

偶然というのは必然かも知れなくて、あの時兄貴が家にいなかったら、私は兄貴を八裂きにしていたのだろうか。後日、全く同じようなシチュエーションで家族殺しをした人もいた。

自販機の当たりが運命を左右する、我がことながらいやぁな話だ。夏の終わりに涼しい話をば、でした。



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