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読書感想 「それを、真の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力」  レベッカ・ソルニット 著  渡辺由佳里 訳

 読み始めて、読み進めて、どんどんアメリカが遠くなっていくような気持ちになった。
 それは、とても個人的な感覚に過ぎず、他の方々は違うのかもしれないけれど、アメリカの社会に興味が持てなくなっているような気がした。
 それは、今の新型コロナウイルス のために緊張が続いている状況で、自分の余裕がなくなっていて、目の前のこと以外に興味が持てないという、視野の狭い発想になっているせいかもしれない。

 その本が、「それを、真(まこと)の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力」(レベッカ・ソルニット著)である。

アメリカが「近く」思えた時代

もちろん物理的には、日本からアメリカはずっと遠いままなのだけど、もっと興味が持てて、近くに感じたことがあった。


 たとえば、すでに古いことになってしまうが、20世紀の後半に、ボブ・グリーンを読んでいた時は、アメリカは近くに感じた。ここに描かれている人物像は、自分とは何も関係のない異国の人々なのに、その人たちのことが、近くに感じることさえあった。


 「それを、真(まこと)の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力」を読んでいる時の、関心の距離の遠さは、自分の年齢が高くなったことで、昔のことのほうがよく見えるという、ノスタルジーというバイアスのせいなのだろうかとも思う。普段は、そんなに昔のことを、ましてや違う国の過去のことなど考えることもないのに、このソルニットの本を読んでいて、どうしても考えてしまっていた。それは、今と昔を比べていたのかもしれない。それは単純に、「昔はよかった」という個人の感慨におさまるものではなく、このソルニット の本を読んでいると、本当に社会的な事実として「昔の方がよかった」ことが突きつけられそうな気がするから、自分には手に負えなくて、関心を遠ざけるという、どこか自分の気持ちを守る行為をしてしまっていたのかもしれない、とも思った。

トランプ大統領への嫌悪感

 このソルニット の本の中には、トランプ大統領のことが何度も出てくる。それは、今は忘れられていることだとも思うのだけど、遠い日本の、政治にそれほど関心もなく、メディアに触れる時間がそれほど長くない私のような人間にさえ、トランプが大統領になるなんて、という言葉が、ありえないことの象徴として、含み笑いとともに語られていたことがあったはずだ。確かに、あんな人が大統領になるなんて、うそみたいなことだから、と素人でさえ思っていたのが、ほんの4年前のことだった。

 トランプが大統領になったことは、とてもショッキングなことだ、というアメリカ国籍の人の発言を、直接的には数少なかったが、間接的にも、メディアの上の言葉でも数限りなく聞いた記憶がある。それでも、そうした思いに対して、選挙で選ばれたのだし、そういう言葉を発しないもっと多くの、トランプ支持のアメリカ人がいるはずだし、という思いと、こちらも、自分の国のことで大変だし、という気持ちもあって、それからも、トランプにそんなに関心を持てなかったのかもしれない。


 ただ、こんな表現を読むと、トランプを好きになるのは難しいと改めて思える。あれだけ、嫌がられていたことも、納得ができる。まだ大統領になる前の、ヒラリー・クリントンとの2回目の公開討論の時の光景が、こんな風に書かれている。

言葉は行動に付随するものである。トランプは討論の最中に自分の位置を離れてうろうろし、立ちはだかり、睨みつけ、怒鳴りつけ、演壇を両手で握りしめてあたかも性交しているかのように腰を前後に振った。

 最低だと思う。ただ、30年以上前、日本でも、酔っぱらった中年で、このくらいのことをしている男性は、よく見かけた気がする。それでも、プライベートな空間で行われていたし、今ではそれも許されなくなっているのに、現代のアメリカの、公的といえば、これ以上ない公的な場所で、そんな行為をした人間が、アメリカの最高責任者に選ばれたかと思うと、その事実を確認すると、なんだか改めてガッカリする。


 そして、ヒラリー・クリントンの敗因について分析した部分を読むと、できたら、これほどまでにひどい、ということから、自分は目を背けたかったのかもしれないと、と思う。

ヒラリー・クリントンは、無謀で、不安定で、無知で、無礼で、限りなく下品で、気候変動否定者で、独裁主義の野心を持ち、国の財源を私物化する計画を持つ白人優越主義のミソジニストとわたしたちの間に立つ、唯一の存在だった。だが、多くの人びと、ことに白人男性は、彼女に我慢できなかった。それがトランプ勝利の十分な理由なのだ

 こう書いてきて、思うのは、それでもいろいろな意味で今でも、「ナンバーワン国家」でもある、という事実だし、こんな状況のアメリカでも、2019年のジェンダーギャップ指数で53位だが、日本は121位であるという事実でもある。

 だから、トランプが大統領でいるアメリカより、この数値だけが絶対でないにしろ、アメリカの現状を正確に描写しているように思える、ソルニット の著書を読んでいると、それはそのまま、今の自分の住んでいる国のことを見せられているように感じ、さらにいえば、この状況よりひどいことも認めざるを得ないから、その現実から目を背けたくて、本を読み進めて、だんだん遠くなっていく気持ちになったのかもしれない。

敬意をもてた「昔のアメリカ」

 日本国内の、アメリカへのあこがれは、かなり人工的な戦略が背景にあるのもなんとなくは理解できるし、戦後すぐに生まれた人たちの渇望にも似たあこがれの時代に比べると、1960年代生まれの自分たちの世代は、もっと冷静な見方ができると思っていた。

 たとえば、2001年の同時多発テロのことも、そのあとにノーム・チュムスキーを読んで(そのことについて書いてあるnoteもあります。よろしかったら、ここをクリックすると、そのページにリンクしています)、第2次世界大戦後に、もっとも戦争をおこない続けているのが、他でもないアメリカである事に改めて気づき、同時にそのことから目を背けていた自分のことも考えると、シンプルな尊敬はとてもできないと思っていた。

 だが、このソルニット の本を読み、たとえば、こんな箇所を読むと、唐突に忘れていたと思った記憶が蘇ってきたりする。それは、少なくとも、かつてはアメリカへの敬意みたいなものがあったことと、結びつくような記憶だった。

若い人たちは知らない(そして、年がいっている人たちの多くは思い出せない)だろうが、一九八〇年代以前にはホームレスは、ほとんどいなかったのだ。それを知らない人は、「ホームレス問題は存在する必要がない」ということが理解できない。四〇年前の保護された資本主義よりさほど極端ではない解決策で、そのほかの多くの社会問題と同様に、この問題はほぼ終わらせることができるのだ。四〇年前の資本主義では、いまよりも実質賃金が高く、いまよりも納税の責任が公平に割り当てられ、いまよりもセーフティネットが多くの落ちてきた人を受け止めてきた。ホームレスは、国、州、地方の政策が作り上げたものだ

 1980年代半ば。仕事でアメリカに1ヶ月くらい行っていたことがあった。何しろ広い国だった。仕事の都合で田舎ばかりをあちこち移動した。シュガーランド、スィートウォーターといった、どれだけ甘いんだ、という地名や、最初に訪れたハーシーという街が、本当にチョコレートの香りがしていて、ハーシーチョコレートの町だということを知ったりもした。私などよりも、もっとアメリカに詳しい職場の先輩が、こんなことを言っていたのを、この本を読んで、思い出した。

アメリカだと、お金がないとフードスタンプをもらえて、それがけっこうよくて、だから、働かないほうがいいのか、と思うくらい。

 

 1980年代のその頃は、日本の経済が伸びている時期だったから、だからアメリカは、追いつかれそうになっているかもしれない、といった否定的なことを感じた。ただ、その一方で、そういうところにアメリカの底力みたいなものを感じていたし、そういう見習うべき部分があるから「ナンバーワン国家」のままなのだ、という気持ちもあった。

 まだアメリカの真似をする傾向が強い時代だったから、こういうところは積極的に真似してほしいとは思ったのだけど、そこを真似する前に、強者だけが生き残ればいい、といった、いわゆる「新自由主義」の傾向が主流になってしまった印象がある。そして、福祉の充実をする前に、強者だけが生き残ればいい、という真似をするのだけは早くて、そして、現在に、ダイレクトにつながっているかと思うと、ちょっと悲しくもなる。

20世紀後半のアメリカの知的な財産

二〇一六年三月、現代のもっとも偉大なジャーナリストのひとりであるベン・バグディキアンが亡くなりました。(中略)わたしは幸運にも彼が教える倫理学の授業を取っており、「客観的になることはできませんが、公正であることはできます」とそこで教わりました。「客観的」というのは、あなたたちや主流メディアがたむろできる中立領域や政治的な無人地帯があるという、フィクションです。あなたが何を伝える価値があるものとみなすか、また、あなたが誰の文章を引用するのかといったことさえ、政治的な判断なのです。わたしたちは、極端な人たちをイデオロギー信者とみなし、中道を中立として扱う傾向があります。まるで、「車を持たない」という決意は政治的だけれど「車を持つ」という決意はそうではなく、「戦争支持」は中立だけれども「戦争反対」はそうではないといったように。非政治的でいることも、傍観者でいることもできませんし、中立領域もありません。わたしたちはみな、主体的に関わっているのです。

 こうした文章に接すると、以前、メディアに関するシンポジウムで研究者が言っていた、『メディアの人たちは、メディア学をきちんと学ぶべきだ。だから、中立という、できないことに、こだわってしまうのではないか』というような指摘をしていたのを思い出す。

 すでに30年以上前から、アメリカではメディアで仕事をする前に、こうしたことが、学生に教育として行われた事に、やはり底力を感じる。そして、あまりにも現場主義すぎる傾向は、日本のメディア界で、おそらくはずっと続いている印象があって、今だに「メディア学」の教育もされていないし、当事者の勉強もまだ足りてないように思えてしまう。それが自らの身を守ることにもつながるはずなのに。

 ソルニット が1980年代から「作家、歴史家、アクティビスト」として、様々な時代の変化にもかかわらず、文筆活動も続けてきて、今の活動も支えているのは、こうした文化的な投資が支えになっているのは、間違いない。

 だから、アメリカだけでなく、日本の今の状況は相当に絶望的であったとしても、文化的な投資によって、未来に対して、希望をつなぐことができる。ソルニット は、そんな実例として、これからでも、少しは真似はできるはずと、思いたい。

翻訳者にまで伝わった情熱

 おそらくは、もとの原文の文章が持っていた、情熱をベースにしてリズムカルでありながら、知的に突き詰めていくような部分まで再現されているのは、この著者の思考も含めて翻訳者が、理解したからこそ、可能になったことだと思う。もちろん語学的な能力に欠ける自分自身には、どこまで理解できたか分からないが、こういう熱のこもった「あとがき」を書いているのは、ソルニット の、何よりも情熱に影響を受けたのが、分かる気がする。

だから私たちがパワーを持つためには、現在起こっていることを誤魔化さず、見過ごさず、深く掘り下げることで、ものごとの「真の名」を見つけることから始めなければならない。そして、見つけたら、その真の名を堂々と使うことにも慣れなければならないのだ。
 私の周囲にある「真の名」を見つけて語ることを、これからの私の人生の目標にしようと思う。  二〇一九年一〇月 渡辺由佳里


「真の名」を見つけて語ってみる


 「それを、真の名で呼ぶならば」というタイトルを見て、論語の中で、国を正しく治めるには、まず「名を正す」といった孔子の言葉を、自分自身が、それほど深く理解していると思えないが、すぐに思い出した。

 そして、国を治めるのに、「言葉」から正しくするなんて、やはり孔子は遠回りではないか、と論語の中に出てくる弟子のようなことを昔は思っていたが、不幸なことに、この8年間は、「名を正す」ことの重要性を日々感じていた。だから、この「真の名で呼ぶならば」というタイトルは、確かに重要なことだと思うし、最後に、「真の名」を見つける努力を、未熟ながら、してみようと思った。

ドナルド・トランプ様
 拝啓 あなたはニューヨークにお住まいだということですが、実際にこの市を歩き回ったことがおありなのか疑問に思っています。(中略)あなたは、ジェット機に向かうリムジンに身体を押し込むとき以外に、自分のタワーから降りることはあるのでしょうか。

 トランプに、ミソジニーという「名」をつけるのは、自分の知識の不足があるので、ミソジニーに対して、本当に理解しているかどうか分からないが、確かにそうだと思う。だけど、その「名」によって指し示しているのは、トランプの「部分」だけとも考えられるのではないか。

 トランプの、移民への姿勢や発言などから、伝わってくるのは、多様性への嫌悪みたいなものだと思う。それは、民族や人種だけでなく、おそらくは、徹底して異質を嫌うような暗い情熱といっていいものではないだろうか。

 トランプは、裕福な家に生まれ、一時期は事業が苦境に陥ったものの、その後復活もし、大統領にまで上り詰めたのだから、基本的には、ずっと裕福な人間なのは間違いないと思う。そして、おそらく周囲は、そういう人間ばかりでもあり、また、今もあまり外出しないとしたら、生きてきてずっと、自分とは異質な存在を知らないままなのではないだろうか。

 だから、トランプの、真の「名」を呼ぶとしたら、もしかしたら「同質執着」だけでなく「異質恐怖」も合併していると考えられないだろうか。ミソジニーだけでなく、人間関係における「同質執着」や「異質恐怖」という「名」をつけたほうが、よりトランプを理解できるのでは、と思えたのは、単なる未熟な思いつきかもしれない。だが、そんなことまで考えを進められたのは、間違いなく、このソルニット の本を読んで、考えたおかげだと思う。

 同時に、おそらくは、トランプの『同質執着』や「異質恐怖」という特徴を、共有しているかに思える日本のリーダーが指揮をとっている感染症拡大防止にも、より不安は高まる。おそらく、リーダーは自分の「仲間」以外を助ける、という意欲が希薄なのだから、と思うと、やはり、ゾッと怖さがこみ上げる。だけど、それでも生き残るためにも、まずは「自分の身は自分で守る」ことを徹底しようと、密かに覚悟したりもできたが、それは、やはり悲しい覚悟だと思う。



参考資料  

男女平等ランキング、日本は過去最低に 中国、韓国、UAEより下
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/121700969/

参考資料 青空文庫 現代語訳 論語 下村湖人 子路第十三 三(三〇五)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/43785_58836.html


(データ)

「それを、真の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力」     レベッカ・ソルニット    岩波書店   2020年1月28日第1刷発行

2020年4月。東京都大田区内の図書館で予約して借りた。別の図書館から、取り寄せてもらった。


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