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読書感想 『これやこの』 サンキュータツオ  「使命感による切実な語り」

 このところ、「本に関する情報源」が、かなりラジオに偏っているかと思うと、ちょっと恥ずかしく感じる部分もあって、それは、自分の好みや興味を簡単に知られたくないというような見栄かもしれない、と気がつくと、また恥ずかしくなる、というグルグルが始まることがある。

 このラジオは、ポッドキャストで聞くことが多いので、月曜日の深夜に聞いていると、贅沢な時間だと思えるのだけど、この番組は3人の芸人の語りを中心にできている。

 その会話の中で、もっとも若手で、大学での講師や、広辞苑の執筆者の一人でもあるサンキュータツオ氏が本を出したことを知ったが、共演者の言葉から考えると、文学寄りではないか、渋い随筆かも、などと予想していたが、読んでみたら、いろいろな事前の予想とは全く違っていた。

「これやこの」 サンキュータツオ随筆集

 表題作でもある「これやこの」は100ページを超える作品で、それはフィクションではなく、柳家喜多八立川左談次という二人の落語家の、主に晩年の記録だった。

 落語の初心者でも、その魅力が分かるような気配りは十分にされているものの、メインテーマは、この2人の落語家の、落語家として生きている姿を、その凄さを、野暮は承知で、なるべくストレートに伝えたい、という著者の強い気持ちだと思う。

 これから70代に入る、この先の10年が黄金の10年になるはずだった、柳家喜多八師匠と立川左談次師匠。
 音源も少なく、その高座に触れた人たちの記憶を語り継ぐことだけが、師匠たちを死なせない唯一の方法だ。
 各時代に名人はいる。しかし、次代の名人と言われた人物、あるいは名人という権威になることなく、その時代に輝いた清々しい人たち。私たちにはそういう記憶の片隅にいる人たちを語り継ぐ権利と義務がある。ほかでもない、自分が語らずにだれが語る、と思える人物に、人生でいったいどれだけ会えるだろう。たまたまこの時代に生まれ、なんの因果か、ほんの少しでも出会っておなじ時間を過ごした者の義務として、語らずにはいられない。放っておいたら、もしかしたら語られずに、記憶されずに霧のごとく消え去ってしまうものかもしれないから。 

 これだけ読むと、重すぎるような印象もあるかもしれないが、読み始めた時は、恥ずかしながら落語に関しては無知に近い自分でも、落語家という存在について、落語の面白さについて、そして落語界の現状についてもかなり冷静に「語られて」いることで、「今の落語の世界」が近くなった気持ちになれた。

 さらには、ここに出てくる二人の落語家が、どれだけ価値のある存在だったか。さらには、もっと凄くなるはずだったのに、という思いになり、読者として、無念さも共有出来るようになるのは、何より著者の伝えなければ消えてしまう、という切実な使命感の力だと思う。

 そして、「書く」のではなく「語る」という表現に、芸人でもある著者の思いも入っているのだろうけど、確かにこちらに向けて、「語られて」いるように読めるので、そういう意味では、入りやすい作品だと思う。

 さらには、優れた「人物ノンフィクション」でもあるのだけど、登場人物の気持ちが何もかも分かるかのような、行きすぎた踏み込み方をしていない。

 それは、広い意味では、同じ「芸人」としての敬意がそうさせているのかもしれないが、登場人物の「死」が近くにある重い話でありながらも、その人の「生」もしくは「芸」の描き方に比重がかかっているから、それが品の良さにつながっているように思う。そのことで読後も必要以上の重さを感じさせない。

生きている証

 他の16篇は短編という構成になっているが、すべてに共通しているのは、死者に関する文章、ということだった。

 そう書くと、追悼文といった、どこか襟を正すような、笑いから遠ざかるような、硬さに近づくような印象になってしまいがちだが、「これやこの」と同様に、「生」の側に重点を置いた「語り方」になっているので、やはり変な圧迫感はない。

 それぞれの作品に登場するのは、ほとんどが、著者が個人的に知り合った、あまり上品な表現ではないが「無名の人たち」でもあるものの、著者にとっては確かに存在した、だけど、こうして残さないと、誰にも知られることなく消えていきそうな話ばかりである。

 かといって「これやこの」のように、著者と深い関係性のある人ばかりではないので、どちらかと言えば、ささやかな、だけど、他の人では「換えが効かない」ようなエピソードが、注意深く描かれ続けている。

 こうした作品を読み進めていると、自分が生きていることも、家族や友人など、ごく少数の人の記憶の中に、かろうじて残されているのかもしれないけれど、もっと長い年月がたち、その周囲の人たちもいなくなったら、その痕跡もなくなることに気づく。

 その人の生きている現在進行形の状態は、映像で記録されていれば残りやすいのは当然だけど、短い動画は別としたら、ほとんどの場合は、誰の場合でも消えてしまうのは同様で、生きるはかなさとともに、月並みな感想だけど、生きていることの、かけがえのなさも、読んでいる途中でも、ふっとリアルに思い返すことができた。


 生きていることに慣れた気になって、どこか疲れも抜けないままで、自分自身も含めて人間という存在に、少しうんざりし、分かったような気になり、興味が薄くなってしまっているような時がある。それは、今の社会に生きている人たちに、自分も含めて、程度は違っても、共通するような感覚でもあるかもしれない。だけど、それでも、ふと、生きていることの意味みたいなものを、少しでも考えたい、と感じている方にオススメしたい1冊です。

 大げさかもしれないけれど、そんな気持ちにさせてもらった作品でした。



(他にもいろいろと書いています↓。読んでくだされば、うれしいです)。


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