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『「ジャーナリズム信頼回復」について、元・新聞読者として、考える』(前編)

 103歳まで長生きしてくれたけれど、約20年間、妻と私で介護をしていた義母は、新聞に親しんでいた。
 それも、東京新聞の朝刊だけをとっていたのだけど、理由は、新聞の中では一番安かったから、ということのようだった。

 目もそんなに良くなかったし、白内障もあったら読みづらかったはずなのだけど、100歳を越えても、メガネをかけ、新聞を広げて読んでいる姿は、「知識人」のようにも見えた。義母が好きな記事は「あけくれ」という、読者から投稿される日常的な話題だった。

 東京なのに、地方紙という不思議なポジションの新聞だったのだけど、ここ何年かは、有能な記者によって注目を浴びた、という意外な展開があった。

 だけど、103歳で義母が亡くなり、介護も終わり、さらに節約が必要だと思った時に、今までとっていた新聞をやめてしまった。

 それから、1年以上がたつが、また新聞をとりたい、と思ったことはなく、毎日、宅配の新聞を読むことは、とてもぜいたくなことのようにも思えている。

ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言

 この提言が出されたのは、2020年。いわゆる「黒川検事長の人事問題」について、かなりの注目や非難も集まっている頃に、その黒川検事長が賭け麻雀を、コロナ禍による外出自粛の時に行っていた、ということが批判を集め、辞職に追い込まれた。同時に、その賭け麻雀を一緒にしていたのが、新聞記者だったことで、そのことも批判されたことへの応答だった。

 なぜ、書かなかったのか?といった素朴な疑問も、山ほど寄せられたはずだった。

 それをきっかけとして、というよりは、それまでのことも含めて、会社の垣根を超えて「ジャーナリスト」として投稿されたのが、この「6つの提言」だった。

 内容は、やや抽象的なところが気になるが、確かにそれほど非難もしようもなく、それが実現すれば、ジャーナリスト全体だから、当然、新聞の質も上がって、私も、また新聞をとるかもしれない、と思うくらいの内容だった。

 こうして目標を立てるのは、とても大事なことだし、会社を超えて考えていくのは、ジャーナリストという仕事をするのであれば、何かあった時に同業者全体で戦うシステムを作らないと、権力にやられてしまう、という意味でも正しいように思う。


 だけど、例えば、この提言のあと、ここに名前があがっている人たちは、何らかの形で連絡を取り合って、この提言を実現するために、どうするのか?雑談を含めて、ずっとコミュニケーションを取り続けているのだろうか。

 いろいろなことがあって、忙しいとは思うのだけど、それでも、この提言を形にするためには、とんでもなく膨大な言葉のやりとりや、考えの行き交いが必要だから、その継続があれば、これからも期待がつながっていくと思っている。


 それでも、まずは提言として形にしたことで、スタートできるのも事実だとは思う。

 昔、ジョンレノンとオノヨーコが、戦争は終わる。あなたが望めば。みたいなメッセージを送り続けて、それは、最初、意味ないんじゃないか、と思っていたのだけど、それでも、まずは誰かが言葉として言い続けないと始まらないのかもしれない、と思うようにもなった。

取材の方法

 誰かを取材したい、と思う。
 その人と距離を近づける。それで、できたら心理的に仲良くなる。
 そのほうが、情報を得られる可能性は高くなる。

 とても個人的でささやかで短すぎるので一般化できないとは思うのだけど、1年半ほど、スポーツ新聞で、主にゴルフ記者をしていた。その時に、最初に現場に先輩記者と一緒に行った時に、その全体像を教えてもらった。

 プレスルームなどで行われる合同記者会見でも記事は書ける。場合によっては、何も質問しなくても書くことも可能だった。さらには、ゴルフというスポーツは、プレスルームがクラブハウスに設置されていて、情報も入ってきやすいので、記事も書きやすい環境だった。

 それでも、紙面に記事を書くのであれば、共同会見だけでは、他と同じになってしまうので、他の記者がいないところで、独自の取材をしないといけない、とも教えられた。それが可能になるのは、わかりやすい表現でいえば、選手と、仲良くなることで、初めて記事になるようなことまで話してくれるようになる。

 そして、それからトーナメントを取材するようになって、何ヶ月かたつと、人との心理的な距離を縮めるのが早くて上手い人が、記者の中には大勢いることに気がつき、記者になった1年目は特に、社交性に欠ける自分には向いてないと思っていた。

取材構造の矛盾

 同時に、その取材構造自体に、素朴な疑問も持つようになった。

 それについては、新人の頃は、取材もロクにできない人間だったから、ただ密かに思っていることだった。それでも、それは今も解決できない課題だとも思うし、その時、まだ半分以上、素人で学生だったから、余計にそんなことを感じていたのかもしれない。

 それは、こんな疑問だった。

 取材相手と心理的な距離を詰める。仲良くなる。そのことで、他の記者には言わないようなことを教えてくれるようになる。そのことで、質の高い記事が書ける可能性は高まる。ただ、もしも、その取材相手に対して批判的なことを書かざるを得ない場合に、距離が近いほど、書きにくくなるのではないか。それは、勇気とか覚悟とか職業倫理もあるとしても、せっかく仲良くなったら、その相手に嫌われたくない。というのも自然な気持ちだし、その距離が近くなることで、いつの間にか相手の思考と近くなってしまって、そもそも、悪いことが分からなくなる可能性はないだろうか。

 近くなっても、批判すべきことは批判するのがプロ、とは言われていても、それは、その相手との決別につながる可能性も高い。利害の一致がある場合も考えられるけれど、でも、人との距離を縮めるのが上手い人ほど、俗な表現でいえば「仲が悪くなってしまう」ことに、より苦手な可能性があると思った。

 これがスポーツ選手であれば、批判しなかったとしても、その影響力には限界がある。ただ、政治家という、場合によっては国民の命に関わる影響力のある人間を相手にするような、政治部だからといって、この取材構造の矛盾に対して適切に対応できるのだろうか、と自分には縁遠くても、思ったことはあった。

 そう思っていたのは、仲良くなったら批判しにくくなる、という人間の心理を乗り越えるのは、システムや構造を考え抜かないと難しいと思ったからだった。

 

田中角栄の金脈問題と、黒川検事長事件

 1970年代に首相になり、とても注目も高く、人気もあり、キャラクターも強かった(モノマネも随分されていた)のが田中角栄で、その失脚が「金脈問題」で、そのきっかけとなったのが、「文藝春秋」(この時も文藝春秋だった)に出た立花隆の記事だったと言われている。その時、まだ子供だったのだけど、印象に残ったのは、こんな政治部の記者の言葉だった。

文藝春秋の2つの特集について、大手メディアの政治部記者たちは「そのくらいのことは皆知っている」と語っていた。(Wikipediaより)

 このことと、冒頭の「6つの提言」のきっかけの一つになったはずの、黒川検事長と賭け麻雀をしていた記者の思考と、実はかなり似ているような気がするし、だから、それだけ根深いように思う。

書けるはずなのに、書かない理由を推測する

 この「田中金脈問題」の時も、知っているのに書かない、ということは槍玉にあげられて、記憶は定かでないが、記者クラブは解散したほうがいい、といった声は上がったと思う。

 だけど、それは変わらずに、21世紀まで時間が進んでしまった。この世界の中で生きてきた記者が管理職になり、指導するようになれば、自分がやってきたことしか教えられない。そのことで、おそらくは変わる方が難しい。

 それに、改めて、例えば、田中金脈問題のときは、どうして知っているのに書かなかったのか。そして、「黒川検事長賭け麻雀問題」も、このこと自体を「書く」のであれば、1度、卓を囲めば十分で、その時に自らが参加したことは責めを受けるとしても、それも含めて、もし上層部が庇うこと前提であれば、書けたと思う。


 ここから先は、昔、ゴルフ記者として、プレスルームの隅っこに短い時間いただけの経験しかない人間が推測するから、説得力がないかもしれないが、自社の名前や名刺があまり武器にならず、かえって警戒されてしまう中を、個人的な信頼を結ぶ訓練をするしかなくて、そういう人間からみたら、張り込みの際には黒いタクシーではなく、ハイヤーの後部座席に乗る同年代の大手の新聞社記者は、とても特別に見えた。

 その「場所」から「ジャーナリスト」を始めたら、小マスコミとは感覚が違うはずといった小さな推測や小さい体験に加えて、元・新聞読者としての想像も伸ばして考えてみる。

記者と首相の「距離」

 田中金脈問題を知っていた政治部の記者は、もしかしたら総理番と言われる人たちかもしれない。そういう人たちは、首相という、その時の一応は最高権力者の取材を通して、その近くにいる生活を送っているはずだ。
 
 そして、毎日、首相のそばにいて、取材を続けることによって、顔を覚えられ、場合によっては社名と個人名を覚えられ、というよりは、そのくらいにならないと、おそらくは仕事にならないと思う。

 そこまでたどり着くには、もしかしたら大変かもしれない。そして、時の首相と、その「距離」になった時に、目の前にいる人間は、権力者であり、この人の判断一つが、国民の命に直接関わるような存在で、だから、常に監視が必要で、という緊張感を保てるだろうか。

 というよりも、そんな緊張感を持ち続けている記者に対しては、権力者は、他の記者と比べたら、「距離」をおこうとするのではないだろうか。人間としても、メリットとしても。そうやって「距離」を置かれるとしたら、もっと「距離」を近くするには、仲良くなるしかない。

 そうやって、「距離」を近づけて、場合によっては、特別に「君だけに話すけど」という状況が訪れて、そして、おそらくはいまだに重要な、まだ公になっていない「政局」に関する話題などを、そっと伝えられるようになったら、それで1面がとれる時代もあったはずだ。

権力との「距離」

 そんな中で、たとえば「金脈問題」を、記者として知ったとしたら、どうするだろうか。

 書いたら、その近い「距離」は崩壊する。権力者のそばにいて、権力者が自分だけに情報を流すような環境はなくなる。

 それに、もしかしたら、金脈と言っても、政治家で「それ」がない人間はいないし、政治を行う上での必要悪であって、もっと重要なのは、どういう政策を行うかだ。もしかしたら、本気で田中角栄に希望を持ってしまった政治部の総理番の記者はいなかったのだろうか。

 田中角栄は、相当の「人たらし」という伝説は、私でも聞いたことがある。そこに、新聞というものがスタートした時の「荒くれ」ではなく、「エリート」になってしまった新聞記者が、対抗できるだろうか。

 そんな「小さな必要悪」を書く必要はない、などと、いつの間にか「権力者側」の思考に、その方が国民のため、などと思っていた可能性は、本当にないのだろうか。

 でも、そのくらい、取材対象との距離は難しく、せっかく近づいたら、その関係を維持したくなるのは、記者の本能だし、もっといえば人間の欲望ではないか、とも想像する。

 だから、総理番のように近づいて、なんとか取材する、という構造自体が、憲法を無視するような権力者が出てきた時点で、完全に無意味というか、有害なものになっていないだろうか。

 近い距離を保ちながら、きちんと批判する。

 言うのは簡単だけど、そして、一線をたもつ、のも重要だけど、そうした心掛けだけでは、「人間関係のプロ」(良好な関係を築くというよりも、コントロールする、という意味で)でもある政治家に取り込まれる可能性が、21世紀の現代でも、高くならないだろうか。

黒川検事長問題

 それと同様に、黒川検事長も権力者であり、そこまで親しくなることを考えたら、賭け麻雀をしていることを書くことを、躊躇しないだろうか。この関係を保つための、ここまでの努力も惜しくなるだろうし、そこで「これからも」継続的に得られる情報を優先したくなるのが、新聞記者だと思うけれど、それは勘ぐりすぎだろうか。

 そして、やはりそばにいることで、思考まで権力者になるのが、人間という存在ではないだろうか。それは、責められないし、そうならないと、距離を縮めるのが難しいし、もしかしたら、自分まで「権力者」の一員になったような「錯覚」は、想像しにくいけれど、とても気持ちいいものかもしれない。

 だから、根本的に、取材方法や構造も、業界全体として、心がけではなく、システムを全面的に変えるべき時に来ているように思う。

 それができなければ、22世紀に、「新聞」は生き残っていないように思う。だから、後編でも、「ジャーナリズム全体」を考えるには、あまりにも能力が足りないので、「新聞のシステム」を中心に、考えようと思っています。

 



『※中編(リンクあり)に、続きます。次は、僭越で未熟ながら、さらに「権力との距離」について、もう少し、考えたいと思います』。



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